『富士山 地質的景観』 第6回 富士山周辺②(南部・東部) | 奈良の鹿たち

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『富士山 地質的景観』 

第6回

富士山周辺 ②

 

【南部・東部】

 

①<鮎壷の滝(あゆつぼのたき)

約1万年前、富士山噴火による厚さ約80mの三島溶岩流が、愛鷹山と箱根山の谷間に沿って流れた際、溶岩が終点の三島あたりで4層に積み重なって厚さ10ほどの岩盤が出来ました。溶岩の下にあった軟らかい愛鷹ローム層(火山灰が積もった地層)が先に黄瀬川の流れによって削られていて、残された硬い溶岩の部分が鮎壷の滝を作り出しました。滝の地点の溶岩の厚さは8m程度で、落差は約10m、幅は約90mです。

三島溶岩は粘性の小さい玄武岩で、黄瀬川の流路に沿って谷を埋めながら流下し、三島市の楽寿園付近を末端としています。

岩盤の底には、かつてそこに生育していた樹木が立ったまま焼かれたことを示す高さ約8mの溶岩樹型の丸い穴(溶岩樹型)も多数見られます。

②<楽寿園(らくじゅえん)

楽寿園の地形をつくる三島溶岩流は、下層部が約1万7千年前、上層部が約1万500年前の富士山の噴火で流出した溶岩流の末端にあたります。

縄状溶岩(溶岩流がまだ流動性を保っている時に、その表面にしわが寄って縄が連なったような構造)などの三島溶岩の特徴的な構造を見ることができます。

③<柿田川(かきたがわ)

大量の湧水を水源とする日本でも稀有な川で、柿田川湧水群として名水百選に選定されました。

全長は約1200mで、日本で最も短い一級河川です。流水はほぼ全量が湧水から成り、柿田川の湧水量は1日約120万㎥です。これは富士山や御殿場地方に降った雨水や雪解け水が、約8500年前の富士山噴火による「三島溶岩流」に浸透し、その溶岩流の南端から湧き出でたものです。この溶岩は箱根山と愛鷹山にはさまれた狭い谷間を流れ、この柿田川上流部までやってきました。三島溶岩流は溶岩の層が7層ほど重なり、厚さ30mほどの良好な多孔質の透水層を形成しています。水を通しやすい層でも、その下古富士火山の表層は水を通さないため降った雨や雪は地下水となって流下し、このあたりで地表に「湧き水」となってあらわれます。

国土交通省が行った分析によると、富士山周辺に降った雨や雪が、柿田川の湧き水になって地上に現れるまで26~28年かかるということです。

そこに見られる動植物は実に多彩で、カワセミ、ヤマセミ、カワウ、マガモ、ヒドリガモなどの鳥類、アマゴ、アユ、アユカケ、ウグイなどの魚類、サワガニ、テナガエビなどの甲殻類、ミドリシジミ、ウラギンシジミなどの蝶やゲンジボタル、ヒガシカワトンボ、アオハダトンボといった昆虫類などが生息しています。またミシマバイカモ、ヒンジモなどの珍しい植物も見られます。

④<足柄古道(あしがらこどう)

  

足柄峠は駿河国と相模国の国境の峠です。この峠を越える道は律令時代に官道の東海道として整備され、足柄路と呼ばれました。

『日本後紀』には富士山の延暦噴火(800~802年)の際、駿河側の足柄路が通れなくなったため箱根峠を通る街道(箱根路)が整備されたことが記されています。再び通行可能となった後は箱根路と共に東海道の一部を構成しました。

⑤<宝永の杉(ほうえいのすぎ)

樹高33m、幹周7.75m、樹齢700年。御殿場市柴怒田(しばんた)には、樹齢700年といわれる杉の巨木があります。 子(ね)の神社の御神木とされています。

宝永4年(1707年)、富士山の宝永大噴火の砂礫や火山灰が高い枝の部分に残っていたのが、噴火から300年経った近年になって発見されたため「宝永の杉」と命名されました。

宝永期に400歳ほどだったとすれば、当時はすでに相当な巨木であったと考えられます。

⑥<上柴怒田(かみしばんた)

約10万年前古富士火山が噴火を始めました。上柴怒田地区の崖では、約4万~2万年前の度重なる噴火の際に降下した黒色ないし黒褐色の火山灰や火山礫(れき)を観察することができます。一枚一枚の火山礫・火山灰層の間には、風化した火山灰や土壌からなる薄い褐色の層ができています。

この崖の中部にある火山礫層の間に、細かな白色の火山灰の薄い層がはさまっています。この火山灰層は、約2万9千年前~2万6千年前に鹿児島湾北部姶良カルデラの巨大噴火で噴出した大量の火山灰で、姶良(あいら)丹沢火山灰(AT)と呼ばれ、北海道を除く日本全国での分布が知られています。この火山灰を指先で擦り合わせると、シャリシャリした独特の感触があります。これは噴火の際にマグマが急冷してできた火山ガラスのかけらが多量に含まれているためで、洗浄すると無色透明の細かい泡のかけらのような粒が観察できます。

この火山灰はどこにでも残っているものではありませんので、上柴怒田のように良い保存状態のまま発見されたこの地層は、学術的にも大変貴重なものといえます。

⑦<忍野八海(おしのはっかい)

山梨県南都留郡忍野村にある8ヶ所の湧泉群。

実は忍野村全体が、かつては宇津湖と呼ばれる巨大な湖でした。平安時代の延暦19年(西暦800年)の噴火(延暦大噴火)で宇津湖は溶岩に二分され、忍野湖と山中湖となりました。その後、忍野湖は徐々に水を涸らして干上がり、その湖底にあった盆地が今の忍野村です。

富士山及び杓子山から石割山にかけての伏流水を水源とする湧水の出口が池として残ったのが、忍野八海です。

富士山に降り積もる雪解け水が、新富士火山の透水層の地下水及び古富士山の不透水層部より下方の透水層のうち水圧の高い地下水が湧きだしたものとされています。地下の不透水層という溶岩の間で数十年の歳月をかけてろ過され、澄み切った水となりました。忍野八海からの湧水は山中湖を水源とする桂川と合流しています。

 

 

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次回は 第7回「富士山周辺③中央」

 

 

(担当G)

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