『全国の焼き物』第17回 丹波焼 | 奈良の鹿たち

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『全国の焼き物』

第17回

丹波焼(たんばやき)

 

丹波焼は兵庫県篠山市今田地区付近で焼かれる陶器

 

(特徴)

丹波立杭(たちくい)焼、または立杭焼ともいいます。起源は平安時代にまで遡るといわれ、六古窯の一つに数えられています。主に生活雑器を焼いてきました。

 

(歴史)

この地域には須恵器の窯跡もあるが、平安時代の終わりごろから鎌倉時代の初期に常滑焼の影響を受けた焼締め陶を焼いたのが発祥といわれています。中世の丹波焼の陶土は粘りがあり、鉄分を多く含んでいました。耐火温度も高く、窯の火を受けると堅く赤褐色になりましたた。轆轤(ろくろ)を用いない「紐作り」という手法で形を整え、口の部分だけ轆轤でつくられ、装飾はあまり施されませんでした。窖窯(あながま)と呼ばれる独特の窯により最高温度約1300度で50〜70時間も焼かれるため、赤っぽい土肌に降りかかったの薪の灰が、釉薬と化合して窯変し「灰被り」と呼ばれる独特な模様と色が現出し、またの当たり方によって一品ずつ異なった表情を生み出すのが丹波焼の最大の特徴です。備前焼、信楽焼に比べ、若緑色のおとなしめで爽やかな作品が多い。初期には壺や甕、すり鉢などを主に作っていました。このころの作品を「古丹波」と呼び、長胴と丸胴といわれる大壷がつくられました。

(古丹波 大壷)

江戸時代に入ると登り窯が用いられるようになり、丹波焼は大量生産品としてのすり鉢が堅くて丈夫であったため、17世紀には、中部、関東以北に急速に普及し、堺産のすり鉢が18世紀中盤以降に普及するまでは東日本で、丹波焼が瀬戸と二分するシェアを誇りました。一方で、小堀遠州等の影響により、茶碗、茶入、水指といった茶器の分野においても数多くの銘器を生みました。京都や美濃焼に影響され、装飾にこらなかった丹波焼もさまざまな文様が加えられ、釉薬を用いた「墨流し」などの陶器が誕生しました。このような変容は「丹波の七化け」とも言われました。江戸時代後期には篠山藩の保護育成などもあり、山椒壷や徳利などの器も作り始めました。

(墨流し釉)

(赤土部釉 あかどべゆう)

(筒描き つつがき イッチン)

窖窯時代には小野原焼と呼ばれていたが、登り窯時代に至って、現在の呼び名である丹波焼あるいは立杭焼の呼称が確立し、1978年(昭和53年)には丹波立杭焼の名称で国の伝統的工芸品指定を受けました。

現在、今田町上立杭、下立杭、釜屋地区の窯元は約60軒あり、今田以外にも丹波立杭焼を名乗る窯元が多数あります。

 

(丹波焼 登り窯)

 

 

 

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次回は 第18回「壷屋焼」

 

 

(担当 A)

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