『全国の焼き物』第7回 大谷焼 | 奈良の鹿たち

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『全国の焼き物』

第7回

大谷焼(おおたにやき)

 

大谷焼は、大谷焼は徳島県鳴門市大麻町大谷において約230年の歴史がある徳島を代表する陶器です。特産品の藍染の原料となる藍の保存容器として大甕を生産したのが始まりです。

 

(特徴)

大谷の土は鉄分が多く、ざらりとした風合いとかすかに金属的な光沢を感じさせる質感は、素朴な土の味わいをかもし出した焼き物として人気です。こげ茶色が一般的ですが、深い銀色や灰色の作品もあります。

大谷焼の特徴としては、製法にもあり、身の丈ほどもある大甕などの大物陶器を作る際において「寝ろくろ」(助手が作業台の下に寝ころび足で蹴ってロクロを回す)が有名で、基本的に大甕作りは二人の呼吸が合っていないと作れないといわれています

(寝ろくろ)

これらの陶器を焼き上げる「登り窯」の大きさは日本一といわれています。

(登り窯)

大甕は阿波地方の特産である藍染めに欠かせない道具であり、藍甕と呼ばれる。

(藍甕)

 

(歴史)

当時、阿波の国(徳島県)では、焼き物は極めて珍しく、その妙技に興味を持った時の十二代藩主・蜂須賀治昭は、1780年(安永9年)、これとは別に南京・唐津と呼ばれた磁器を焼くよう命じ、九州より職人を多く雇い入れて天明元年(1781年)大谷村に藩営の窯(藩窯)が築かれ、阿波で始めて染付磁器が焼かれることになりました。しかし、材料が地元にないため高額な原材料を九州から取り寄せるなどしていたため採算が取れず、僅か3年で藩窯は廃止されました。

1784年(天明4年)、藩窯の創世にも尽力した藍商人の賀屋文五郎(笠井惣左衛門)が、江州(現滋賀県)信楽焼の職人を連れ帰り、弟に陶器製造に関する技法を習得させた。大谷村(現在の鳴門市大麻町)に登り窯「連房式登窯」を築き、陶土と釉薬を地元から調達し、藍染の需要に見合った大甕の水甕、藍甕など大物陶器の生産を開始したことが、現在の大谷焼の始まりだといわれています。

明治に入ると化学染料の開発、生活様式の変化に伴い、藍甕の需要は激減、不振に陥りました。それでも脈々と大甕作りは続けられ、今日に至っています。最盛期には、数十軒の窯元が点在したといわれていますが、現在作陶を続けているのは、7軒のみとなっています。

2003年(平成15年)に経済産業大臣指定伝統的工芸品に指定されました。

 

(登り窯)

 

 

 

 

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次回は 第8回「織部焼」

 

 

(担当 A)

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