『全国の焼き物』第5回 伊賀焼 | 奈良の鹿たち

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『全国の焼き物』

第5回

伊賀焼(いがやき)

 

伊賀焼は、三重県伊賀市にて焼かれている陶器。

 

(特徴)

土鍋、行平(雪平)等は、伊賀に産する耐熱性の強い粘土を生かし、また伊賀焼独特の味を生かした釉調と「伊賀の七度焼」からくる重量感は侘びの魅力ももっています。

伊賀焼の特徴である「ビロード釉」は、灰釉の一種で窯焚きのときに薪の灰が器に降りかかり、灰に含まれるわずかな鉄分が還元焔の熱で溶けて自然釉の緑色に透き通ったガラス(ビロード)質になったものです。このビロード釉が、器のくぼみやひびに溜まり、作り手の思いもよらない微妙な景色を作り出します。

1982年11月に国から伝統的工芸品の指定を受けています。

(ビロード釉 深皿鉢)

 

伊賀焼と信楽焼

三重と滋賀の県境をはさみ隣接する二つの窯場は、山をひとつ隔てるだけで、ルーツは同じだとされ、江戸時代に幕府によって現在の境界に区分されました。

伊賀焼は信楽焼とよく似ているが、伊賀焼の方が荒々しく、力強い印象を与えます。それは、俗に「伊賀の七度焼」といわれるように、1400度以上の高温で何度も焼き締められたため、黒い焦げや長石の粒が器の表面に現れているからです。伊賀焼の陶土は、古琵琶湖層に含まれており、信楽焼と同じ三郷山から採れます。半透明な珪石粒が混じった木節粘土や、耐火性に優れた蛙目粘土などの土で成形した器は、何度も焼き締めることにより、どっしりとした重量感が生まれ、茶陶にふさわしい侘びた雰囲気の器になります。

伊賀焼の茶陶には耳(把手)がついており「伊賀に耳あり、信楽に耳なし」といわれています。

(耳付 茶陶)

 

(歴史)

伊賀焼の歴史は古く、その起源は今から約1200年前の729~749(天平年間)、農民が農業に付随して生活雑器を焼いたことに始まるとされています。
伊賀焼は、立地的に大和地方に近かったことにより、永く文化の中心にあり、日本美術の源であった奈良朝の歴史的影響を受け発展しました。奈良時代には、伊勢神宮に陶器を献上したという記録もあります。そして製陶が専門業に分化し、室町時代末期には太郎太夫・次郎太夫が活躍し、伊賀焼の創始者とされています。
伊賀市の槙山に近い五位ノ木窯跡などで、周辺の豊富な陶土と薪の燃料を利用し、信楽焼に似た擂鉢や甕、壺などが焼かれました。
その後、1584年(天正12年)、茶の湯が盛んとなった桃山時代には伊賀領主に任じられた筒井定次は自らも陶芸の才を持ち、古田織部とも親交がありました。焼き物を奨励し伊賀の真髄を具えた雅致ある作品を上野城内の窯や槙山の西光寺窯や丸柱の堂谷窯において焼かせ、豪放で力強く破格な美意識を持った茶陶の水指や花入が焼かれました。この頃から、区別が難しいといわれていた信楽焼と異なった作風を明確に出し始めました。この時代の伊賀焼は、ヘラ工具を使用した波状の文様や格子状の押し型文様の他、ゆがみ、緑色のビードロ、灰かぶりや焦げ、鉄釉を垂らすといった「破格」といわれる作為性の強い意匠が特徴です。「織部好み」と呼ばれる歪みの激しい造形、自然釉や焦げの景色を尊ぶ豪快な侘びを持つ作風を強く受けていました。

(伊賀焼 織部茶碗)

筒井定次時代1585年~1608年(天正13年~慶長13年)に作られたものを俗に「筒井伊賀」と呼んでいます。慶長13年、茶にも精通していた藤堂高虎が伊賀国主となり、その息子の高次は伊賀焼を奨励しました。この時代の作品を「藤堂伊賀」と呼んでいます。今日、「古伊賀」と呼ぶのは、筒井伊賀と藤堂伊賀を合わせた呼び名です。

(古伊賀耳付花生 江戸時代(17世紀))

なお、寛永年間(1624~1644)、小堀遠州は茶器の製作を行い、遠州伊賀の名を広めました。
しかし1669年(寛文9年)、白土山の陶土の濫掘防止のため「御留山の制」が設けられました。このため陶工は信楽に去り、伊賀焼は衰退しました。

一時衰退するが、18世紀半ばに入って藩主が作陶を奨励したことや、瀬戸の陶工により釉薬の技術がもたらされたことで「再興伊賀」の時代を迎える。再興伊賀は施釉陶の日常雑器が中心となり、行平(雪平)鍋、土瓶、土鍋などが支持を受けて全国に広まった。中世六古窯のひとつに数えられるようになりました。

 

(行平鍋)

さらに、明和から文化年間にかけて伊賀藩主は三郷山の陶土を用いて陶工たちに、雑器、茶器、古伊賀写しなどを造らせ、幾多の名品を輩出しました。伊賀焼は、幾変遷により興亡の歴史を繰り返しましたが、1830~1844年(天保末頃)から丸柱の窯は大衆生活必需品の土鍋・行平・土瓶など厨房具の大量生産に転じ、耐火、耐熱度の高い伊賀陶土の特質がかなり生かされた製品で、好評を博しました。
 

 

(天保の頃からの16連房旧登り窯)

(国の登録有形文化財に指定されている)


 

 

 

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次回は 第6回「越前焼」

 

 

(担当 A)

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