『全国の焼き物』第2回 赤膚焼 | 奈良の鹿たち

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『全国の焼き物』

第2回

赤膚焼(あかはだやき)

 

赤膚焼は現在奈良市、大和郡山市に窯場が点在する陶器です。

 

(特徴)

草創は判然としないが、赤膚焼とは奈良市五条山一帯の丘陵で作られてきた焼き物。その名前の由来は五条山の別名、赤膚山から来ているとも、赤色に焼ける土の色から来ているとも言われるが、史料に乏しく諸説あります。

赤膚焼は名の如く、器肌に赤みを帯びています。その赤みを帯びた器に乳白色の萩釉を掛け、近年では、「奈良絵」と呼ばれる絵付けを施した物がよく知られています。奈良絵とは御伽草子などを題材とした庶民的な絵柄で、社寺や鹿など奈良の風物を描いた日用の器、茶器や酒器、祭器などがあり微妙な稚拙な構図が器肌の素朴さを巧く引き出しています。

現在、赤膚焼は奈良市、大和郡山市に7軒の窯元が点在しています。

(赤膚焼・奈良絵 皿)

 

(歴史)

桃山時代に大和郡山城主であった豊臣秀長が、五条村赤膚山に開窯したと伝えられています。

江戸時代後期には藩主、柳沢保光の保護を受け世に広めました。江戸初頭を代表する大名茶人であった小堀政一(遠州)が指導する遠州七窯の一つにも数えられていました。赤膚焼とは一帯で作られてきた焼き物の総称であり、これといった定義はありません。

こうした歴史を経て、江戸末期には「赤膚焼」の名を一躍有名にした名工・奥田木白(おくだもくはく)(1800~1871年)が登場しました。木白は釉薬の開発にも力を入れた人物として伝えられており、中でもアク・晒灰・礫(せき)を基本とする萩釉は、現在の赤膚焼に多大な影響を与えています。

(奥田木白 赤膚焼)

 

 

(なら工藝館)

 

 

 

 

 

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次回は 第3回「有田焼・伊万里焼①」

 

 

(担当 A)

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