『全国の焼き物』第1回 会津本郷焼 | 奈良の鹿たち

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『全国の焼き物』

第1回

会津本郷焼(あいづほんごうやき)

会津本郷焼とは、福島県大沼郡旧会津美里町周辺でつくられる陶器及び陶磁器。会津本郷焼の発祥は東北最古の窯場といわれています

 

(特徴)

会津本郷焼の器は、厚手で飾り気の無いものが多い。

これは土の性質による。会津本郷焼の陶土、陶石は、ともに珪酸分(ガラス質)が多い。これが焼成によって溶けるため、薄い造りだと窯の中で変形してしまう。そこで、古くから重厚で安定感のある造りにしてきました。厚手に造る訳は他にもあって、寒冷地なので料理や燗酒を冷めにくくし、手に熱を伝えないようにしています。その象徴的なやきものが「鰊鉢」で、古くからニシンの山椒漬けに使われてきました。素地に目に見えない小さな隙間が無数あいていて通気性が良く、食料の保存に適しています。

本産地の近郊の白鳳山で陶土も陶石も採れるため、両方を製造し磁器は呉須による染付や和洋絵具による彩画があります。陶器は伝統的な「飴釉」や自然灰釉を使用し素朴で親しみやすい深い味わいをもっています。飴釉は、会津若松市の八日町で採れる粘土を原料にした釉薬で文字通り飴色(褐色)の光沢を持っています。「鰊鉢」にもこの飴釉が施されています。

(飴釉の鰊鉢)

(飴釉の皿)

伝統的な会津本郷焼は、飴釉を成形後の器に「生がけ」をします。生がけとは素焼きせずに素地に直接釉薬をほどこすこと。飴釉を惜しげもなくかけ、比較的低温で長時間焼く。すると、釉薬の中のせいぶんが結晶化して表面に班(ふ)が現れたり、変色したりして独特の味わいが生じます。また見る角度や光の加減によっては、きらきら光って見えたり、模様のように見えたりします。

飴釉生がけした湯呑茶碗

会津本郷焼は、陶石を原料に使う磁器産地としては関東以北で唯一です。大久保陶石は風雨に1年以上さらした上で砕いて、粘土として練り上げる手間をかけます。厚手で丈夫な仕上がりで知られています。色合いは用途により様々です。山水画などを描いた白色磁器があります。

(白磁のティーセット)

 

(歴史)

今から400年以上も前、豊臣政権下で黒川城(会津若松城)主・蒲生氏郷が1593年、城の改修のために播磨国(兵庫県)から瓦工を呼んで鶴ヶ城の屋根瓦を焼かせたのが始まりです。

江戸時代前期の1645年、会津藩主の保科正之の求めに応じて尾張国瀬戸から陶工が招かれ、本郷村で陶土を発見して本格的に焼き物の基礎を築きました。1800年には、藩命で有田に潜入して命がけで技術を習得した陶工の帰国後、藩は御用窯として備前式登窯を築きました。その後、大久保陶石を使って白色磁器づくりにも成功、現在の会津本郷焼の原型が完成しました。会津藩は本郷に奉行所を置き、藩の産業として力を入れたが、後に奉行所の廃止により陶工たちに残土、工具が分け与えられ、それぞれの窯を築き、焼き物を造り始めました。

幕末の戊辰戦争で会津も戦場となり(会津戦争)、作陶も大打撃を受けたがたちまち復興。明治時代には「会津本郷焼」の呼称も定まり、輸出も行われました。大正時代、大火で断絶するがまたも復興を遂げました。

1993年には通商産業省から伝統的工芸品産地として指定されています。2021年には地域団体商標にも登録されました。明治の最盛期には窯元が100軒を超えたが、2021年時点では13軒であるが東北一の規模を誇ります。

 

(会津本郷焼陶磁器会館と資料館)

 

 

 

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次回は 第2回「赤膚焼」

 

 

(担当 A)

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