『天文学の歴史』第5回 近年の天文学① | 奈良の鹿たち

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『天文学の歴史』

第5回

「近年の天文学①」

 

当ブログ2020年7月の『宇宙』と併せてご覧ください

 

⦿シュヴァルツシルト(Karl Schwarzschild、1873年~1916年、ドイツ)

アインシュタインの一般相対性理論から重力場が解き明かされました。ある空間に極めて高い質量が存在する場合、空間自体が重力で歪み、「シュヴァルツシルト半径」(アインシュタイン方程式の厳密解の一つで「シュワルツシルト解」と呼ばれます。球対称で静的な質量分布の外部にできる重力場を記述しています。この解は太陽や地球など、十分に自転の遅い恒星や惑星が外部の真空空間に及ぼす重力を近似的に表わすことができ、応用されています。)と呼ばれる特殊な球形の領域が発生します。その近い場所では「事象の地平面」と呼ばれる境界面を持ち、その重力で光が吸い寄せられ、領域の内側では光の速度でも抜け出せないことを表しており、ブラックホールの存在を示唆していました。

この境界面は物理的な面ではなく数学的なものであり、もし人が事象の地平面の内部に(潮汐力により引き裂かれる前に)落ち込んだとしても、物理的ななにかを感じることはありません。この面はブラックホールの性質を決定づける上で重要です。

⦿エディントン(Sir Arthur Stanley Eddington、1882年~1944年、イギリス)

アインシュタインの一般相対性理論を英語圏に初めて紹介しました。                

1915年、アフリカのプリンシペ島に遠征しての皆既日食を観測し、もう一方で太陽の近くに見える恒星の写真を撮影しました。遠くの恒星から観測者に達する光線が太陽の近くを通る場合、一般相対性理論によれば、太陽の重力場によって光線が曲げられるため、本来の位置からわずかにずれて見えるはずである。この現象を捉えるには皆既日食の時に観測する必要がありました。エディントンの観測結果は一般相対性理論の予測を裏付けるものでした。

エディントンは恒星の内部構造の理論についても研究を行い、恒星の物理過程の正しい理論を初めて構築しました。恒星は重力によって収縮する力とガス圧(温度)や輻射圧で膨張する力によって安定化している、というモデルです。これらの仮定から、彼は恒星の内部温度が数百万度になることを示しました。1920年には、恒星は水素からヘリウムへの核融合によってエネルギーを得ていることを初めて示唆しました。恒星が核融合でエネルギーをまかなっているという説が唱えられたのはこれが最初でした。

⦿フリードマン(Alexander Friedmann、1888年~1925年、ロシア)

フリードマン宇宙とは、アインシュタインの一般相対性理論の方程式

を宇宙全体に適用して発見した解によって示される、宇宙の振る舞いを記述するモデルのことです。

アインシュタインは、宇宙を静止させることができるように1917年にすでに方程式に宇宙項Λ(宇宙定数)を付け加えていたが、フリードマンの解では宇宙は膨張したり収縮したりすることを示していました。
宇宙定数Λ=0の場合、フリードマンモデルでは、宇宙は静止しているのではなく、時間とともに膨張あるいは膨張の後収縮するというものでした。そのどちらになるかは、宇宙にある物質密度によって決まる。物質のない空っぽの宇宙では、膨張は減速することなく一定の割合で宇宙が膨張する。密度が臨界密度より大きいと、重力が強いので膨張がある時期に収縮に転じる。物質密度が臨界密度に等しい場合は、膨張は減速し続けるが止まることはなく、宇宙は無限の未来に静止する。宇宙のスケール因子を縦軸に、時間を横軸に取った図でこれらのモデル曲線の、現在における接線の傾きがハッブル定数H0で、その逆数であるハッブル時間は宇宙年齢の目安となる。
この解の発見当時、宇宙は静止していると考えられていたので、アインシュタインすらフリードマンの計算間違いを疑うほどでした。計算が正しいことがわかってもフリードマンの宇宙モデルは数学的には意味があるが現実の宇宙とは関わりないとして重要視されませんでした。1929年にハッブルにより宇宙の膨張が観測的に確認され、アインシュタインは宇宙項を導入したことを大変後悔しました。近年になって宇宙の加速膨張が確認され、宇宙項を含めた宇宙モデルが復活しました。その時は、フリードマンは既に亡くなっていました。

⦿ハッブル(Edwin Powell Hubble、1889年~1953年、アメリカ合衆国)

1924年、当時世界最大であったフッカー望遠鏡で行なったアンドロメダ大星雲の観測で、星雲内でセファイド型変光星を発見し、その明るさから変光周期の関係を使って距離を割り出し、アンドロメダ大星雲までの距離は90万光年と算出しました。当時まだ、天の川銀河が宇宙すべてである考えられていて、星雲や銀河などの天体は、その中にあるとされていました。ハッブルは天の川銀河の広がりよりも遠方に星雲があることを証明し、宇宙はどこまでも広がっているという概念を示しました。「コロンブスは大西洋を広げたが、ハッブルは宇宙を広げた」と言われました。

ハッブルは赤方偏移を後退速度の尺度と考え、銀河との距離遠くなるほど、離れる相対速度も距離に比例して大きくなるということを発見しました。電波は近づいてくれば青色系統に、離れていくほど赤色系統に偏移していくものです。今日「ハッブルの法則」として知られているものです。このことは、この宇宙が静的でなく、膨張していることを示唆する大発見となりました。

上の図は、距離が遠い天体ほど高速で遠のいていることを示しています。

当時、アインシュタインでさえ宇宙は静的なものと捉えていました。宇宙についてのアインシュタインの一般相対性理論の方程式からフリードマンが導き出した宇宙モデルには、アインシュタインは気づかないうちに、膨張する宇宙が含まれていました。ハッブルの発見は、このモデルを実証したものでもあるのです。

この発見は後にビッグバン理論につながることになりました。

ハッブルはまた、銀河をその組成や距離、形状、大きさ、光度などでグループ分けする分類法を考案した。この銀河の形態分類は「ハッブル分類」と呼ばれて現在でも使われています。

 

ハッブルは研究一筋で、人付き合いも評判も良くなく、大きな発見をしながら推薦者がいなかったのかノーベル賞を授けられませんでした。後々に銅像や記念碑が建てられることもありませんでした。お墓は本人の遺言でどこにあるのか、未だに知られていません。

⦿ チャンドラセカール(Subrahmanyan Chandrasekhar、1910年~1995年、インド・イギリス・アメリカ)

白色矮星の質量には上限(チャンドラセカール限界)があることを発見した。

この質量を超えた天体がブラックホールになりうるという彼の説について、直接教えていたイギリス人のエディントン(上述)は、イギリスの植民地であるインド人への人種的偏見から徹底的に否定した。この事件によって、ブラックホールの本格的な研究が始まるのが1960年代にまで約30年間遅れてしまった。

白色矮星の内部構造、恒星内部でのエネルギー伝達、恒星の進化と終焉についての業績がある。

1983年、ノーベル物理学賞を受賞。

1995年に打ち上げられたNASAのX線観測衛星「チャンドラ」は、彼にちなんで名づけられた。

⦿ホーキング(Stephen William Hawking、1942年~2018年、イギリス)

難病と闘いながら、一般相対性理論と量子力学を結びつけた量子重力論を提示しました。

1963年にブラックホールの特異点定理を発表し、世界的に有名になりました。1971年には「宇宙創成直後に小さなブラックホールが多数発生する」とする理論を提唱、1974年には「ブラックホールは素粒子を放出することによってその勢力を弱め、やがて爆発により消滅する」とする理論「ホーキング放射」を発表、量子宇宙論という分野を形作ることになりました。

次いで宇宙論に量子力学の手法を適用し、第一の業績である特異点定理を乗り超えて、無境界条件仮説を提唱しました。また、2004年には、ブラックホールの蒸発の際、内部にある物質の情報は消えてしまうとしていたが、情報が漏れる可能性があることを発表しました。

また、「量子論を加味すると、宇宙の始まりはなくなり、時間も虚数になる」という「虚時間の宇宙論」を提唱しました。時間が虚数になると、おそらく、通常の時計では時間を計ることができなくなるわけで、そもそも、「時間の経過」という概念すらなくなってしまう。だから、宇宙の始まりもなくなる。という摩可不思議な論理を展開していました。

彼の行き着いた先は、ともに「超SF」とも呼べる、純粋数学と人間のイマジネーションが美しく融合した、夢の世界だったのです。

 

 

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次回は 第6回(最終回)「近年の天文学②」

 

 

(担当P)

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