『古墳』第8回 八角墳・六角墳 | 奈良の鹿たち

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『古墳』

第8回 

「八角墳・六角墳」

(はっかくふん ・ ろっかくふん)

 

 

 

八角墳 (はっかくふん)

古墳時代の終末期(7世紀半ば)に造られた正八角形の古墳。

古代中国の政治思想で、八角形が天下八方の支配者の象徴だという考えの影響によるものと思われます。当時、大王を他の有力豪族からも隔絶した支配者とみなし、中央集権国家の樹立を目指すものでした。

上八角下方墳の段ノ塚古墳(舒明陵)が最も古いとすると、6世紀末以降の天皇陵は、方墳を基礎に前方後円墳 → (大型円墳) → 大型方墳 → 上八角下方墳 → 八角墳と変化したと考えられます。

御廟野古墳(ごびょうのこふん)(京都市)

第10回 上円下方墳の項目で説明します。

段ノ塚古墳(だんのつかこふん)(奈良県桜井市)

墳形は台形状の方形壇の上に八角形の墳丘をのせた上八角下方墳の姿をしている。下部の方形壇は三段で築成されており、最下段の前面は幅約105m。方形壇の各段の斜面には自然石を用いた貼石が存在している。

八角部は二段築成で、下段の対辺間距離は約42m。

段ノ塚古墳が最も古い八角墳とされている。

八角墳は前方後円墳消滅後、皇族や有力豪族が採用した方墳や円墳に替わるものとして新たに採用されたものであり、段ノ塚古墳は天皇陵として初めて八角墳を採用した古墳として意義深い。

牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん)(奈良県明日香村)

高さ約4.5mと推定され、版築による三段築成の八角墳。

外側の石敷遺構そのものも、正八角形になるよう途中で約135度の角度で屈曲しており、上空から見た場合、共通の中心をもち大きさの異なる墳丘部分3段、平地の石敷部分3列の相似八角形が重なる形となる。石敷の外側には、さらに砂利が敷き詰められ、その部分も含めると全体では32mほどの規模になる。

また、三角柱状に削った白色凝灰岩の切り石やその破片が数百個以上出土しており、これらの切り石はピラミッド状に積み上げて墳丘斜面を装飾しており、その総数は約7,200個におよぶと推定している。

墳丘一段目は一辺12.2m、対角線約33m、対辺の長さは約22m、墳丘二段目は一辺約7m、対角線約18.5m、高さ4mである。

古墳全体に使用された石の総重量は550トン以上と考えられる。運搬には丸太(ころ)を用いても数百人、地面を引きずったとすれば1,400人もの人員が必要であり、巨石を大勢で長距離運ぶこと自体に律令国家の権力を誇示する意図があったという見方がある。

 

六角墳(ろっかくふん)

全国で3~5基のみ認められています。マルコ山古墳 塩野六角墳 奥池3号墳など。

八角墳に準ずる陵墓として、天皇に次ぐ位(皇太子・皇子)の人物が埋葬されていると考えられています。

マルコ山古墳(奈良県明日香村)

築造は7世紀末~8世紀初めの古墳時代終末期にあたる。

対角長約24m、高さ約5.3m、二段築成、一辺12m

塩野六角古墳(しおのろっかくこふん)(兵庫県姫路市)

墳形は一辺の長さが3.8m~4.4m、対辺の長さが6.8m~7.3m。

古墳時代終末期の7世紀後半頃。

墳丘は版築でなく通常の盛土による。

 

 

   

 

 

 

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次回は 第9回「双円墳・双方墳」

 

 

(担当 H)

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