『古墳』第4回 方墳 | 奈良の鹿たち

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『古墳』

第4回 

「方墳」

(ほうふん)

 

 

 

方墳とは墳丘の平面形が正方形および長方形になる古墳のことで、古墳時代の全期間にわたって円墳に次いで数多く築かれました。

古墳時代初頭ないし前期に築かれたものは、弥生時代の大和地方の形周溝墓や出雲地方の四隅突出型墳丘墓の延長と考える説もあります。古墳前期のものは方位を考慮に入れていないですが、後期のものは各辺を方位に合せたものが一般的です。

方墳は4世紀末頃に現われ、古墳時代後期から末期に盛行しましたが、大規模なものが造られるのは6世紀後半以降です。前期の方墳の代表例は出雲に集中しており、島根県安来市の大成古墳、造山古墳(1辺60m)が当時のものとしては全国最大の規模を誇ります。5世紀代には大型前方後円墳の陪塚として存在する場合が多いですが、単独に中型墳としてつくられることも少なくありませんでした。前方後円墳の築造が停止する7世紀代には大王墳および近畿の有力墳、前方後円墳消滅後の地方最有力墳に方墳が用いられました。例としては現在、用明天皇陵に指定されている春日向山古墳や、推古天皇陵に指定されている山田高塚古墳、蘇我馬子の墓と考えられている石舞台古墳(上円下方墳との説あり)、千葉県の龍角寺岩屋古墳などがあります。

 

 

 

桝山古墳(ますやまこふん)(奈良県橿原市)

日本最大の方墳、三段築成。

墳長は一辺85~90m、高さ約15m。

築造は5世紀前半(5世紀末から6世紀の説も)

元々は方形であるが、後世に北東部に前方部が付加されて前方後円形に生垣が巡らされている。

 

小山田古墳(おやまだこふん)(奈良県明日香村)

史跡指定は未だ受けていない。

築造年代は7世紀中頃。

一辺は東西で72m(北辺)・80m超(南辺)、南北で推定70m。

墳丘規模は現在の地形から、89m四方と想定されるという前園教授の見解がある。

龍角寺岩屋古墳(りゅうかくじいわやこふん)(千葉県印旛郡)

墳丘は三段築成で一辺78m、高さは13.2m、幅3mの周溝と周堤が巡っている。

GPS観測では、二重周溝を含めた規模は東西108m、南北96m。この結果、周溝を含めた規模では、日本で最も大きな方墳であることが分かった。

築造年代は古墳時代終末期の7世紀前半頃との説と、7世紀中頃という説がある。

造山(つくりやま)古墳群(古代出雲王陵の丘)(島根県安来市)

出雲地方は四隅突出墳、方墳、前方後方墳など方形の墳墓が多い。

1号墳は4世紀の方墳で、古墳時代前期の100年間において全国で一番大きい方墳。

丘陵最高所に位置し、一辺60m高さ5mで二段構築。国指定史跡。

2号墳は全長50mの前方後方墳で、後方部は一辺30mの二段築成、前方部は一段。

6世紀初め頃の築造。

3号墳は1号墳の次に築かれた38×30mの4世紀頃の方墳で、葺石がある。

銅鏡、玉類、刀子、ヤリガンナが竪穴式石室から出土。

4号墳は一辺13mの方墳。円筒埴輪が裾に並べられていて、2号墳とほぼ同時期の築造。

 

 

 

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次回は 第5回「帆立貝式古墳」

 

 (担当 H) 

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