『おくのほそ道』
第47回「福井の等裁」
(ふくいのとうさい)
(福井の等裁 蕪村筆「奥の細道図巻」)
(福井 元禄二年八月十二、三日)
第47回「福井の等裁」 (原文)
福井は三里計りなれば、夕飯したためて出るに、黄昏の道 たどたどし。
爰に等栽と云う 古き隠士有り。
いづれの年にか 江戸に来たりて予を尋ぬ。
遥か十年余りなり。
いかに老いさらぼうて有にや、将 死にけるにや と 人に尋ね侍れば、いまだ存命して
「そこそこ」と教ゆ。
市中ひそかに引き入りて、あやしの小家に、夕貌へちまの 延え掛かりて、鶏頭 帚木に戸ぼそを隠す。
さては此の内にこそ と門を叩けば、侘しげなる女の出でて、
「何処よりわたり給う道心の御坊にや。 主人は此のあたり 何某と云う者の方に行きぬ。
もし用あらば尋ね給え」
と云う。 彼が妻なるべしと知らる。
昔物語にこそ かかる風情は侍れと、やがて尋ね会いて、 その家に 二夜泊まりて、
名月は敦賀の港に と旅立つ。
等栽も共に送らんと、 裾おかしゅう からげて、道の枝折りと 浮かれ立つ。
(福井の等裁 蕪村筆「奥の細道図巻」)
(現代語)
福井の町はここから3里(12km)ばかりなので、夕食をとってから出かけたのだが、黄昏時のこととて道がよく分からない。
この町に等栽という古い隠者がいるはずだ。いつだったか、彼は江戸に来て私を訪ねて来たことがあった。もう十年も前のことだ。さぞや老いさらばえていることであろう。あるいは死んでいるかもしれない、などと思いながら人に尋ねると、今も存命で、何処其処に住んでいると教えてくれた。市中に、ひっそりと隠れ忍んだようなみすぼらしい小家に、夕顔・へちまが生い繁り、鶏頭・箒木が戸口を隠している。さては、ここが等栽の家に違いないと門をたたくと、みすぼらしい女が出てきて、「何処から来た仏道修行のお坊さまやら。主人は近くの何がしの処に行っていて今は留守です。もし用あるならそちらへ行ってください」と言う。昔の何かの物語にもこんな情景があったなどと思いながら、やがて彼を尋ね当てる。
等栽の家に二日泊まって、名月は敦賀の港で見ようと旅立った。等栽も一緒に見送ろうと、着物の裾をひょうきんにからげて、道案内に浮かれながら出発した。
(語句)
●「等栽(とうさい)」:福井俳壇の古老。神戸氏。等哉、洞哉、とも。
●「そこそこと教ゆ」:こういうところに住んでいますよと教えられた.。
●「引入れて」:引き下がる、隠れ忍ぶこと。
●「鶏頭・はゝきぎに戸ぼそをかくす」:ケイトウは、鶏冠状の赤や黄色の花穂をつける植物。
ハハキギは帚木と書き、ホウキ草の文学的別名。伸び放題のケイトウやホウキ草が門扉を隠し
ていること。
●「戸ぼそ」:扉のこと。
●「いづくよりわたり給ふ道心の御坊にや」:何処から来た坊さんでしょう?の意。
●「道心の御坊」:「道心」は「仏道を信ずる心」で、「仏教徒のお坊さん」くらいの感じ。
(芭蕉は墨染めの衣で僧形をしていた)
●「昔物語にこそ、かかる風情は侍れと」:「源氏物語:夕顔」にある、『昔物語にこそ、かか
ることは聞け』―を踏まえたもので、まるで源氏物語の一場面のような貧相な家を見て思っ
た。
●「名月は敦賀の港に」:この日が八月十一・十二日頃だとすると、旧暦八月十五日は「中秋の
名月」だから、月見は敦賀でしよう、ということ。
●「路の枝折(しおり)とうかれ立」:「枝折」は、後から来る人に道を間違えないように枝を折
って道標とした。北枝が道標となって案内する、というのである。
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次回は 第48回「敦賀」
(担当H)
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