『おくのほそ道』 第41回 多太神社 | 奈良の鹿たち

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『おくのほそ道』 

  第41回「多太神社

(ただじんじゃ)

 

(斎藤実盛の兜のある多太神社)

 

(小松 多太神社 元禄二年七月二十五日)

 

<第41回「多太神社(ただじんじゃ)」>(原文)

此の所 多太(ただ)の神社に(もう)ず。実盛(さねもり)(かぶと) (にしき)の切れあり。

往昔(そのかみ) 源氏に属せし時、義朝(よしとも)公より(たま)わらせ(たま)うとかや。げにも平士(ひらさむらい)のものにあらず。

目庇(まびさし)より吹返(ふきがえ)しまで、菊唐草(きくからくさ)の彫りもの (こがね)を散りばめ、龍頭(たつがしら)鍬形(くわがた)打ったり。

実盛(さねもり) 討死(うちじに)(のち)木曽義仲(きそ・よしなか) 願状(がんじょう)に添えて、この(やしろ)に こめられ(はべ)るよし、樋口(ひぐち)の次郎が使いせし事共(ことども)、目のあたり 縁起(えんぎ)に見えたり。

 むざんやな(かぶと)の下の きりぎりす

 

(現代語)

当地、多太八幡神社に参詣した。神社には、斎藤実盛の兜と錦のひたたれの切れ端があった。これらは、その昔、実盛が源氏に仕えていた時、源義朝公から拝領したものだという。兜は、どう見ても下級武士の使うものではない。目庇から吹返しまで菊唐草模様に金をちりばめ、竜頭には鍬形が打ってある。実盛が討ち死にした後、木曾義仲はこの神社へ願状を添えてこれらを奉納したという。その折、樋口次郎兼光が使者となったことなども神社の縁起には書いてある。

  「むざんやな甲の下のきりぎりす」

 

 (語句)

●「多太(ただ)神社」:石川県小松市にある神社。「太田」、「多田」など表記が異なる。
●「実盛(さねもり)」:斎藤実盛は平安末期の武将。木曽義仲討伐のため、白髪を黒く染めて出陣し、孤軍奮闘して討ち取られる。その木曽義仲こそ、幼少の頃に実盛から命を助けられた駒王丸の成長した姿であった。
●「義朝(よしとも)公」:この実盛が死に花を咲かせるために着用した「錦の切」は、源義朝からの下賜品ではなく平宗盛から与えられた赤地錦の鎧直垂。芭蕉の間違い。

●「平士」:下級武士のこと。

●「目庇」:兜の前の庇(ひさし)の部分。
●「吹返し」:耳の辺りで後方に反り返っている部分。

●「菊から草」:菊唐草(きくからくさ)。唐草模様に菊をあしらった様式的文様。

●「龍頭」:兜前面の飾り。
●「鍬形」:兜の前立物。 二本で対になっている。
●「実盛討死の後」:実盛の首は白髪を染めていたので最初は誰だか分からなかったが、斉藤実盛の旧友 樋口兼光の首実検で首を洗わせたところ、白髪に変わったので実盛であることが分かった。謡曲『実盛』に、「樋口参りただ一目見て、涙をはらはら流いて、あなむざんやな、斎藤別当にて候ひけるぞや」とある。そして、それがかつての恩人の首であることを知った義仲は、人目もはばからずに泣いたという。
●「樋口の次郎」:樋口兼光(ひぐち・かねみつ)のこと。木曽義仲の乳母子として義仲と共に育てられた。義仲四天王の一人。

●「まのあたり縁起に見えたり」:神社の縁起状に書いてあるのをまのあたりに見たの意 。ただし、「縁起」には無く、「木曾義仲副書」に書いてある。

●「きりぎりす」:五文字で語呂が良いから「きりぎりす」となっているが、現代ではコオロギの鳴き声という解釈が一般的。

 

(俳句)

 「むざんやな 甲の下の きりぎりす」

  昔、実盛の首級を見たとき、樋口次郎が「あなむざんやな」と言ったが、まことにいたましい。そのような

   ことも知らずに、兜の下できりぎりす(こおろぎ)が鳴いている。

 

(写真)

   

 

 

 

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次回は 第42回「那谷寺」

 

 

(担当H)

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