『おくのほそ道』 第40回 金沢 | 奈良の鹿たち

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『おくのほそ道』

  第40回「金沢」

(かなざわ)

 

(金沢 茶屋町)

(金沢 元禄二年七月十五日)

 

<第40回「金沢(かなざわ)」>(原文)

卯の花山(うのはなやま)倶利伽羅(くりから)が谷を越えて、金沢は 七月(なながつ)中の五日(なかのいつか)也。

(ここ)に大阪より通う商人 何処(かしょ)と云う者有り。それが旅宿(りょしゅく)を共にす。

一笑(いっしょう)と云う者は、此の道に()ける名の ほのぼの聞こえて、世に知る人も(はべ)りしに、去年(こぞ)の冬

早世(そうせい)したりとて、その兄 追善(ついぜん)(もよお)すに、

 塚も動け 我が泣く声は 秋の風

  ある草庵に (いざ)なわれて

 秋涼し 手毎(てごと)にむけや 瓜茄子(うり・なすび)
  途中 ぎん

 あかあかと 日は難面(つれなく)も 秋の風
  小松と云ふ所にて

 しをらしき 名や小松吹く (はぎ)すすき

 

(現代語)

卯の花山、倶利伽羅峠を越えて、金沢に着いたのは陰暦七月十五日。ここに大坂から商いに来ていた何処という(薬売り)がいて、旅宿を共にした。一笑は俳諧に執心しているという名が、うすうす聞こえていて、世間でも知られている人だったのだが、昨年の冬に早逝したという。その兄が追善供養をするというので、

 「塚も動け我泣声は秋の風」

ある草庵に招かれて

 「秋涼し手毎にむけや瓜茄子」

(小松へ向かう)途中での吟

 「あかあかと日は難面もあきの風」

小松というところで、

 「しほらしき名や小松吹萩すゝき」

 

(語句)

●「卯の花山」:歌枕として知られ、砺波山(となみやま)辺りと考えられる。
 『かくばかり 雨の降らくにほととぎす 卯の花山に なほか鳴くらむ』(万葉集」・柿本人

 麻呂)
●「倶利伽羅峠(くりからとうげ)」:富山と石川の境にある砺波山(となみやま)にある峠。

 木曽義仲が平家の大軍を破った倶利伽羅峠の戦いの古戦場として有名。
●「七月中の五日」:七月十五日のことで、現在の8月29日。残暑はあるが北国はもう秋。
●「何処(かしょ)」:何処は大坂の薬種商人。この時以来蕉門に入る。「猿蓑(蕉門句集)」

 に二首入選している。
●「一笑(いっしょう)」:加賀俳壇の有力者小杉味頼。蕉門の金沢における第一人者。芭蕉も

 信頼していた弟子の一人だったが、芭蕉の到着を待たず元禄元年12月6日、36歳で早世した。

  この事実を知ったのはこの日、7月15日だった。芭蕉は大いに落胆し、「塚も動け我が泣く声

  は・・・・・・」の句になった。 

●「その兄 追善を催す」:七月二十二日に金沢・願念寺で一笑の冥福を祈って句会が行われ

 た。

●「塚も動け」:「塚」は「墓石」のこと。

●「ある草庵」:金沢の斎藤一泉の松玄庵。

 

(俳句)

  「塚も動け 我が泣く声は 秋の風」    

    (一笑の死を知って)塚も鳴動しておくれ。我が泣く慟哭の声は、秋風の中で深く心寂

    しい。

  「秋涼し 手毎にむけや 瓜茄子

    もてなしに秋の涼しさを満喫しながら、出された瓜や茄子を皆で手ごとにむいて食べま

    しょう。

  「あかあかと 日は難面も 秋の風」

    あかあかと入日は無情にも照りつけるが、さわやかな秋の風が吹き渡ってくる感じがす

    る。

  「しをらしき 名や小松吹く 萩すすき」

   小松とは可憐な名であることよ。その小松に吹く秋風が、萩やすすきをなびかせている。

 

(写真)

   

 

 

 

 

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次回は 第41回「多太神社」

 

 

(担当H)

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