『おくのほそ道』 第38回 市振 | 奈良の鹿たち

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『おくのほそ道』

  第38回「市振」

(いちぶり)

 

(親不知子不知海岸)

(市振 元禄二年七月十二日)

 

<第38回「市振(いちぶり)」> (原文)

今日は「親知らず・子知らず」、「犬戻り」、「駒返(こまがえ)し」など云う、北国(ほっこく)一の難所を越えて

疲れ(つかれ)(はべ)れば、枕引き寄せて(いね)たるに、一間(ひとま)隔て (おもて)の方に若き女の声 二人ばかりと聞こゆ。

年老(としおい)たる(おのこ)の声も(まじ)りて物語するを聞けば、越後の国 新潟と云う所の遊女(ゆうじょ)なりし。

伊勢参宮するとて 此の関まで(おのこ)の送りて、明日は古里(ふるさと)に返す(ふみ)したためて、はかなき言伝(ことづて)など しやるなり。

白浪(しらなみ)の寄する(なぎさ)に 身を(ほう)らかし、海女(あま)のこの世を あさましう(くだ)りて、定めなき(ちぎり)日々の業因(ごういん)いかにつたなし と、物云うを聞く聞く 寝入りて、(あした)旅立つに、我々に向かいて、「行方(ゆくえ)知らぬ旅路の()さ、あまり覚束(おぼつか)のう、悲しく(かなしく)(はべ)れば、 見え(がく)れにも御跡(おんあと)(した)(はべ)らん。

(ころも)の上の御情(おんなさけ)に 大慈(だいじ)の恵みを()れて、結縁(けちえん)せさせ(たま)え」と、(なみだ)を落とす。

不憫(ふびん)の事には(はべ)れども、「我々は所々(ところどころ)にて とどまる(かた)多し。

ただ人の行くに(まか)せて行くべし。

神明(しんめい)の加護 必ず(かならず)(つつが)なかるべし」と、云い捨てて()でつつ、(あわれ)さ しばらくやまざりけらし。

  一家(ひとつや)に 遊女も寝たり (はぎ)と月

曾良に語れば、書き(とど)(はべ)る。

 

(市振 蕪村筆「奥の細道図巻」)

 

(現代語)

今日は、親不知・子不知・犬戻・駒返などという北陸街道の難所を越えて、疲れ果てたので枕を寄せて早々床に就いた。

一間隔てた表側の部屋で、若い女二人ほどの声が聞こえる。年老いた男の声も混じって、話しを聞けば、女たちは越後の国の新潟の遊女であった。伊勢神宮に参詣するために、この関所まで男が送ってきて、明日は故郷へ戻るので、持たせてやる手紙をしたためたり、とりとめもない言伝などをしているところだった。「白なみのよする汀に世をすぐすあまの子なれば宿もさだめず」と詠まれたように身をもちくずし、(定住しない)漁師のようにこの世で落ちぶれ、定めのない客と契りを交わしている日々の前世の所業はどんなに罪深いものだったのでしょうと言うのを、聞くともなく聞きながらいつしか眠りについた。

翌朝出立する段になって、「行方の分からぬ旅路の不安。あまりに心もとなく寂しいので、見え隠れにでもよろしいので、お供させていただけないものでしょうか。お情け深いお坊様と見込んで、慈悲の恵みで仏の結縁を結ばせてください。」と涙ながらに哀願する。

不憫とは思ったが、「私たちは諸所方々に滞在することが多いのです。だから、あなた方は誰彼となく先を行く人々の後をついて行きなさい。神仏の加護は必ずありますから」とつれなく言って別れたが、あわれさが何時までも去らなかった。

 「一家に遊女もねたり萩と月」

曾良に話したら、これを書き留めてくれた。

 

(語句)

●「親しらず・子しらず・犬もどり・駒返し」:新潟県 糸魚川市歌にある海岸線が断崖になっ

 た北国街道最大の難所。親子といえども顧みる間も無く、犬も馬も渡りかねる難所 。

●「一間隔て面の方に、若き女の声二人計ときこゆ」:ふすまを隔てた通りに面した部屋で二人

 ほどの若い女の声が聞こえるの意。

●「越後の国新潟と云所の遊女成し」:遊女は、古くは、宴席などで接待をする女。遊女、売春

 婦。

●「白浪のよする汀に身をはふらかし、あまのこの世をあさましう下りて」:『和漢朗詠集』の

 「白波の寄する汀に世を過す海士の子なれば宿も定めず」による。 「はふらかし」は身をも

 ちくずすことをいう。 

●「衣の上の御情に、大慈の恵をたれて結縁せさせたまへ」:芭蕉一行は墨染めの僧侶姿であっ

 た。そこでこの女は、仏の慈悲をもって捨てないでほしいと言ったというのである。

●「神明の加護、かならず恙なかるべし」:神仏の加護は必ずありますよ、の意。

●「曾良にかたれば、書とどめ侍る」:曾良の『旅日記』にはこの記述はない。俳句も「俳諧書

 留」には見当たらないので、この遊女の物語は芭蕉の創作であろうと言われている。

 

(俳句)

 「一家に 遊女も寝たり 萩と月」

   同じ宿に思いがけなく遊女と泊まり合わせたが、悲しい宿命の哀れさを忘れさせてくれる

   ように清楚な萩が咲き、明るい月が照っている

 

(写真)

   

 

 

 

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次回は 第39回「那古の浦」

 

 

(担当H)

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