『おくのほそ道』
第36回「象潟・蚶満寺・祭礼」
(きさかた・かんまんじ・さいれい)
(「雨に西施が」 合歓の花)
(象潟(蚶満寺) 元禄二年六月十六~十七日)
<第36回「象潟・蚶満寺・祭礼」>(原文)
江上に御陵あり。神功后宮の御墓と云う。寺を 干満珠寺と云う。
此の所に行幸ありし事 いまだ聞かず。いかなる事にや。
此の寺の方丈に座して 簾を捲けば、風景一眼の中に尽きて、南に鳥海 天を支え、その影 映りて江にあり。
西は有耶無耶の関 路を限り、東に堤を築きて 秋田に通う道 遥かに、海北に構えて 波打ち
入る所を 汐越と云う。
江の縦横一里ばかり、俤松嶋に通いて又異なり、松嶋は笑うが如く、象潟は憾むが如し。
寂しさに悲しみを加えて、地勢 魂を悩ますに似たり。
象潟や 雨に西施が ねぶの花
汐越や 鶴 脛ぬれて 海涼し
祭礼
象潟や 料理何食う 神祭 (曾良)
蜑の家や 戸板を敷きて 夕涼み (美濃の国の商人 低耳)
岩上に雌鳩の巣を見る
波越えぬ 契ありてや みさごの巣 (曾良)
(現代語)
岸辺に御陵があり、神功皇后の墓だという。寺の名を干満珠寺という、ここに神功皇后が行幸したという話は聞いたことがない。どういうことなのか。
この寺の方丈に座って簾を上げると、風景は一望の中に見える。南に鳥海山が天を支えるようにそびえ、その影は象潟の入江に映っている。西はむやむやの関が道を塞き止め、東には堤を築いて秋田へ向かう道が遥かに続き、海は北に構え、その波の入ってくる辺りを汐越と言う。入り江の縦横は1里(4km)ほど。その俤は松島に似てまた違う。松島は笑うっているような風情だが、象潟は悲しみを抱いた風情である。寂しさに悲しみを加えて、その地形は人の心を悩ますようだ。
「象潟や雨に西施がねぶの花」
「汐越や鶴はぎぬれて海涼し」
祭礼
「象潟や料理何くふ神祭」 (曾良)
「蜑の家や戸板を敷て夕涼」 (低耳(みのゝ国の商人))
岩上に雎鳩(みさご)の巣をみる
「波こえぬ契ありてやみさごの巣」 (曾良)
(語句)
●「干満珠寺」:現在の蚶満寺(かんまんじ)。禅宗の寺。慈覚大師の創建と伝えられる。
●「行幸(みゆき)」:「ぎょうこう」とも読む。天皇が外出すること。
●「此の寺」:干満珠寺のこと。
●「方丈(ほうじょう)」:寺の表座敷。
●「簾(すだれ)を捲けば」:垂れ下げてある簾を捲き上げて、外が見えるようにすること。
●「南に鳥海 天を支え その影映りて 江にあり」:雄大な鳥海山の姿が、象潟の入江に逆さ
に映っているという風景。
●「有耶無耶(うやむや)の関」:原文では「むやむや」、曾良旅日記では「うやむや」となって
いる。当時既に関所は無く、「曾良旅日記」(前述)でも単なる「関」という村の名として残
っていただけである。
●「汐越(しおこし)」:海の水が象潟の入江に流れ込む辺りの地名で、「曾良旅日記」では「塩
越」となっている。
●「俤(おもかげ)松嶋に通いて又異なり」:芭蕉は松嶋を美人に例えているが、明るい太平洋側
の松嶋を「陽」とすれば、雨が降り続いた象潟を「陰」として対比させている。やっと晴れた
のは、実際は象潟を旅立つ四日目の朝である。
●「うらむがごとし」:「憾む(うらむ)」は悲しむこと。
●「地勢」:土地の状態、地形。
●「西施(せいし)」:中国の伝説の美女で、「西子」とも。病んだ胸を押えて憂いに沈む姿さえ
美しく見えたので、その様子を他の女が真似をしたという逸話がある。
●「ねぶの花」:合歓木(ねむのき)の花。 夏に咲く花で、夜になると葉を閉じることから、
「ネム」や「ネブ」と呼ばれている。
●「象潟や料理何食う神祭」:象潟汐越の熊野権現の社の祭では、魚を食うことを禁じていると
いう。「魚が食えないというと何を食えばよいのだろうか。」「せっかくの祭りに、一体どん
な料理が出るのか。」
●「低耳(ていじ)」:宮部弥三郎という岐阜の商人。奥の細道のうち北陸道の旅のアドバイスを
したといわれている。
●「みさご」: 主に海岸に生息する鳥で、魚を捕食することから「海鷹」の異名がある。雎鳩
(みさご)は夫婦仲が良いことでも知られ、「雎鳩巌(みさごいわ)」は象潟の名所だったらしい。
(俳句)
「象潟や 雨に西施が ねぶの花」
象潟の風情は、雨に濡れた合歓の花が咲いて、あたかも中国の美女西施の憂い顔でなま
めかしい容姿のようだ。
「汐越や 鶴 脛ぬれて 海涼し」
汐越しの浅瀬に降り立った鶴のひざのところが、寄せる波にうち濡れて、涼しい風景だ。
「象潟や 料理何食う 神祭」 (曾良)
象潟の熊野権現の祭りだが、ここでは生ものを食べてはいけないらしいが、何を食べるの
だろう。
「蜑の家や 戸板を敷きて 夕涼み」 (美濃の国の商人 低耳)
日本海の凪は暑い。人々は夕涼みに戸板を浜辺に出してきて、それに腰かけて夕涼みをし
ている。
「波越えぬ 契ありてや みさごの巣」 (曾良)
仲むつましいみさごの夫婦は、こんな波がかかりそうな岩場に巣をこしらえて子育てをし
ているが、高波も雌雄の契りの強さから、ここまでは来のだろうか?
(写真)
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次回は 第37回「越後路」
(担当H)
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