『おくのほそ道』
第34回「鶴が岡・酒田」
(つるがおか・さかた)
(酒田湊)
(鶴岡 元禄二年六月十~十二日、酒田 十三~十四日)
<第34回「鶴が岡・酒田」>(原文)
羽黒を立ちて、鶴が岡の城下、長山氏 重行と云う 武士の家に迎えられて、俳諧一巻有り。
左吉も共に送りぬ。川舟に乗りて 酒田の港に下る。
渕庵不玉と云う 医師の許を宿とす。
あつみ山や 吹浦かけて 夕涼み
暑き日を 海に入れたり 最上川
(鶴が岡 蕪村筆「奥の細道図巻」)
(現代語)
羽黒を発って鶴岡の城下、長山重行という武士の家に迎えられて、俳諧一巻を興行する。図司左吉がここまで送ってくれた。
川舟に乗って、酒田の港に下った。酒田では、淵庵不玉という医者の家に泊めてもらった。
「あつみ山や吹浦かけて夕すゞみ」
「暑き日を海にいれたり最上川」
(語句)
●「羽黒を立ちて」:「曾良旅日記」によると、八日から十二日の昼頃まで羽黒で俳諧や歌仙を
やっていて、十二日の午後に鶴ヶ岡に出向き、そこでも俳諧を行っている。
●「鶴が岡の城下」:現在の山形県鶴岡市。当時、14万石の酒井氏の城下町。
●「長山氏重行」:庄内藩士、通称:五郎右衛門。芭蕉門下の俳人。酒井家家臣で前出の図司左
吉の縁者。それゆえ左吉はここまで芭蕉を見送ってきた。
●「俳諧一巻あり」:曾良「俳諧書留」十日に四人の四吟歌仙がある。
●「左吉」:近藤左吉(前出・俳号:露丸)。
●「川舟に乗りて酒田の港に下る」:船で酒田へ出たのは十三日で、翌日も酒田に滞在して俳諧
を行っている。
●「酒田の港」:河村瑞賢によって港が整備されてから、西廻り運航の港町として発展した。最
上川の河口に当たる。廻船問屋、倉庫業が盛ん。
この地方はフェーン現象で、夏場の気温が40度を越えたこともあり、芭蕉が訪れた時期も真
夏で、二つの句も暑さが歌われており、曾良旅日記でも「暑さ甚(はなはだ)し」とある。
●「渕庵不玉(えんあん・ふぎょく)」:本名・伊東玄順。酒田の町医者。蕉門の俳人。
●「温海山(あつみやま)」:現在の温海岳(736m)で、酒田よりも40kmほど南にある。
●「吹浦(ふくうら)」:温海山とは反対に、酒田よりも北に20km.ほどのところに現在の吹浦漁
(俳句)
「あつみ山や 吹浦かけて 夕涼み」
温海山から吹浦にかけた眺望を楽しみながら、夕涼みをしています。
「暑き日を 海に入れたり 最上川」
最上川のとうとうとした流れが、暑苦しい太陽を海の彼方に押し入れてくれた。
(写真)
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次回は 第35回「象潟」
(担当H)
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