『おくのほそ道』 第32回 月山 | 奈良の鹿たち

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『おくのほそ道』

第32回「月山」

(がっさん)

                                                 

(雲の峰 月山)

(月山 元禄二年六月六日)

 

<第32回「月山(がっさん)」>(原文)

八日、月山(がっさん)に登る。

木綿注連(ゆうしめ) 身に引きかけ、宝冠(ほうかん)(かしら)を包み、強力(ごうりき)と云う者に導かれて、雲霧山気(うんむ・さんき)(ちゅう)に、氷雪(ひょうせつ)を踏みて登る事八里、更に日月行道(じつげつ・ぎょうどう)の 雲関(うんかん)に入るかと怪しまれ、息絶え身凍えて 頂上に至れば、日没して (つき)(あらわ)る。

笹を敷き、(しの)を枕として、()して明くるを待つ。

日 ()でて雲消ゆれば、 湯殿(ゆどの)に下る。

谷の(かたわ)らに鍛冶小屋(かじごや)と云う有り。

此の国の鍛冶、霊水を(えら)びて、(ここ)潔斎(けっさい)して(つるぎ)を打ち、(つい)に「月山(がっさん)」と銘を切って世に(しょう)せらる。

()龍泉(りょうせん)に剣を(にら)ぐとかや。

干将(かんしょう)莫耶(ばくや)の昔を(した)う。

道に堪能(たんのう)(しゅう) 浅からぬ事知られたり。

 

(現代語)

八日、月山に登った。木綿しめ(と呼ばれる修験袈裟)を襟にかけ、宝冠(という白布)を頭にかぶり、強力に案内してもらって、雲霧が流れ山気に満ちた山道を、氷雪を踏んで登ること八里(32km)。さらに、日月の運行する天の関門に入るかと思うほどに恐れながら、息も絶え絶え寒さに凍えた体で頂に登れば、日は沈み、月が出てきた。笹を寝床に、篠を枕にして、横になって夜明けを待った。朝日が出て、雲が消えたので、湯殿山へと下った。谷の傍らに、鍛冶小屋というものがある。出羽の国の鍛治は、霊水を探し、身を清めて剣を打ち、とうとう「月山」という銘を入れて、世の高い評価を得たのである。(史記にある)干将と莫耶の夫婦が竜泉の霊水で剣に焼きを入れた故事が偲ばれる。一つの道に勝れるための努力の、なんと浅からぬことかがよく分かる。

 

(語句)

●「八日」:現在の7月24日。「曾良旅日記」では六日に月山、七日に湯殿山に登っている。
●「月山(がっさん)」:出羽三山の主峰で、海抜1980m。山頂に月山神社がある。
●「木綿注連(ゆうしめ)」:月山に登るときの入山装束。楮(こうぞ)の皮で編んだ紐か、紙で作っ

 たコヨリで輪状の注連(しめ)を作り、首にかけるもの。
●「宝冠(ほうかん)」:頭を包む白い木綿布で、山伏頭巾の一種。これも月山へ登る行者の装

 い。
●「強力(ごうりき)」:修験者の弟子で、登山者の道案内や荷物を運ぶ者。

●「雲関(うんかん):「雲関」は天の宮に入る関所。

●「笹を敷き、篠を枕として」:「曾良旅日記」によると、「先ず、御室(月山権現)を拝し

 て、角兵衛小屋(山頂の泊り小屋)に至る」とあり、地べたに直接笹を敷いて寝た訳ではな

 い。

●「鍛冶」:鎌倉時代、銘を月山とした初代は、出羽の刀鍛治鬼王丸の子といわれている。

 「鍛冶」は(かじ)ではなく(たんや)と読むのが正しい。(『管菰抄』)

●「潔斎(けっさい)」:冷水を浴びて身の穢れを清めること。ここでは刀剣を鍛える前に行う神

 事。
●「月山と銘を切って」:鎌倉から室町時代にかけて活躍した刀鍛冶の一派。
●「龍泉(りょうせん)」:中国湖南省にあったとされる、剣を鍛えるのに良いとされる水の湧き出

 る泉。
●「淬(にら)ぐ」:焼き入れのこと。熱した鋼(はがね)を水で冷やして鍛える。
●「干将(かんしょう)・莫耶(ばくや)」:中国の故事に出てくる雌雄の名刀で、それを鍛えた夫婦

 の名でもある。

●「堪能の執」:技能獲得への執念の意。

 

(写真)

       

 

 

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次回は 第33回「湯殿山」

 

 

   (担当H)

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