『おくのほそ道』
第31回「羽黒山」
(はぐろさん)
(羽黒山 五重塔)
(羽黒山 元禄二年六月三~五日)
<第31回 「羽黒山」>(原文)
六月三日、羽黒山に登る。
図司左吉と云ふ者を尋ねて、別当代 会覚 阿闍梨に謁す。
南谷の別院に宿りして、憐愍の情こまやかに あるじ せらる。
四日、本坊に於いて 俳諧興行。
有難や 雪をかをらす 南谷
五日、権現に詣づ。
当山開闢 能除大師は いずれの代の人と云う事を知らず。
延喜式に「羽州里山の神社」と有り。
書写、「黒」の字を「里山」となせるにや、羽州黒山を中略して 羽黒山と云ふにや。
出羽といえるは、「鳥の毛羽を此の国の貢に献る」と、風土記に侍るとやらん。
月山 湯殿を合せて三山とす。
当寺、武江東叡に属して、天台止観の月明らかに、円頓融通の法の灯かゝげそいて僧坊棟を並べ、修験行法を励まし、霊山霊地の験効、人貴び 且つ恐る。
繁栄 長にして、めで度 御山と謂つべし。
(現代語)
陰暦六月三日、羽黒山に登った。図司左吉を訪ね、(彼を通じて)羽黒山別当代会覚阿闍梨にお目に掛った。南谷別院を宿としてもらったりして、別当代の好意、その情こまやかに温かくもてなして下さった。
四日、(別当代の)本坊において俳諧興行した。
「有難や雪をかほらす南谷」
五日、羽黒権現に参詣した。この神社を開いた能除大師については、何時の時代の人かさえ分からない。延喜式には「羽州里山の神社」という記述がある。(書き写すときに、)「黒」という字を「里」と書き誤ったのではないか。羽州黒山の「州」の字を略して羽黒山と言うのではないだろうか。出羽というのは、「鳥の毛羽を此国の貢物に献る」と風土記に書いてあるからだという。
羽黒山に月山と湯殿山を合わせて出羽三山と言う。この寺は、江戸の東叡山寛永寺に属し、天台宗の摩訶止観の月明かりが暗闇を照らし、円満にして偏らず、速やかに成仏するという「円頓融通」の法灯を掲げて、僧坊は軒を並べて、修行が盛んで、霊場としての霊験はあらたかによって、人々の畏れと尊崇を集めている。その繁栄は永遠で、実にめでたいお山というべきであろう。
(語句)
●「六月三日」:現在の7月19日。 陰暦では三日月の頃。
●「羽黒山」:山形県庄内平野南東にある山。月山・湯殿山と共に出羽三山の一つ。山頂に出羽
神社があり、古来修験者の登山が多い。
●「図司左吉」:近藤氏。染め物屋の主人。俳号は呂丸。
●「別当代」:一山の寺務を統括するのが「別当」で、その「代理」の職。別当には江戸・東叡
山の僧が就任、羽黒山にはその代理が置かれたということ。
●「会覚(えがく)」:天台宗の高僧。京都の人で、貞享四年から元禄四年まで別当代。
●「阿闍梨(あじゃり)」:天台宗の高僧に与えられる称号。
●「南谷の別院」:本坊である別当寺の別院としての高陽院紫苑寺。現存しない。
●「憐愍の情こまやかにあるじせらる」:慈愛深いこと。あるじせらるは、もてなすの意。
●「本坊」:住職の坊舎。 若王寺宝前院。
●「羽黒権現」:羽黒山の山頂にある出羽(いでは)神社のこと。
●「能除大師」:能除太子とも。崇峻天皇の第三子・蜂子皇子といわれる。父の崇峻天皇が蘇我
馬子に暗殺されたため、船で北へ向かい、足が三本ある大烏(ヤタ烏)に導かれてこの地にた
どり着いたとされる。
●「延喜式に」:弘仁式・貞観式の後を承けて編修された律令の施行細則。平安初期の禁中の年
中儀式や制度などの事を漢文で記す。しかしここでは「延喜式」ではなく、「東鑑(あづまかが
み)」の誤り。
●「書写、「黒」の字を「里山」となせるにや」:延喜式に書き写したときに「黒」と書くのを
間違えて「里山」と書いてしまったのではないか。
●「「羽州黒山」を中略して「羽黒山」と云にや」:「羽州黒山」の「州」の字を略して「羽黒
山」と言うのではないか?
●「風土記に侍る」:出羽の国の風土記は無いので、ここは芭蕉の創作か杜撰。
●「武江東叡に属して」:武江は江戸のこと。江戸にある東叡山寛永寺は、叡山 (天台宗)の
関東における本山。羽黒山はその寛永寺配下ということになる。
●「天台止観」:天台宗の最も重要な修行法で、雑念を止め、正智でもって対象を観ること。
●「円頓融通」:これも天台宗の教理。一定の考え方にとらわれることなく、どんな事態にもと
どこおりなく対応できること。
●「霊山霊地の験効、人貴且恐る」:出羽三山の霊験に、人々はこれを尊びながらしかも恐れて
いる、の意。
●「繁栄長にして、めで度御山と謂つべし」:永遠に人々から尊敬され、繁栄して、めでたい山
である。
(俳句)
「有難や 雪をかをらす 南谷」
暑い盛りの時に、この南谷にはまだ雪が残っていて、その薫風が身を引き締め有難く感じ
ることよ。
(写真)
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次回は 第32回「月山」
(担当H)
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