『おくのほそ道』 第25回 平泉 | 奈良の鹿たち

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『おくのほそ道』

第25回「平泉」

(ひらいづみ)

 

(高館より北上川(衣川を)望む)

(平泉 元禄二年五月十二日~十三日)

 

<第25回「平泉(ひらいづみ)」> (原文)

三代の栄耀(えよう) 一睡の(うち)にして、大門(だいもん)の跡は 一里こなたに有り。

秀衡(ひでひら)が跡は田野(でんや)に成りて、金鶏山(きんけいざん)のみ形を残す。

()高館(たかだち)にのぼれば、北上川南部より流るる大河也。

衣川(ころもがわ)和泉が城(いずみがじょう)を巡りて、高館の下にて 大河に落ち()る。

泰衡(やすひら)らが旧跡は、衣が関(ころもがせき)(へだ)てて、南部口(なんぶぐち)をさし(かた)め、(えぞ)を防ぐと見えたり。


(さて)義臣(ぎしん)すぐって この城に(こも)り、功名一時(いちじ)(くさむら)となる。

「国破れて山河あり、城春にして草 青みたり」と、笠打ち敷きて、時の移るまで(なみだ)を落

(はべ)りぬ。     

  夏草や (つわもの)どもが 夢の跡

  卯の花に 兼房(かねふさ)見ゆる 白毛(しらが)かな  (曾良)


ねて 耳驚みみおどろかしたる 二堂開帳にどう・かいちょうす。

経堂(きょうどう)は 三将の像を残し、光堂(ひかりどう)は 三代の棺を納め、三尊の仏を安置す。

七宝(しっぽう)散り失せて、(たま)の扉 風に破れ、(こがね)の柱 霜雪(そうせつ)に朽ちて、既に頽廃空虚(たいはい・くうきょ)(くさむら)となるべきを、四面新たに囲みて、(いらか)(おお)いて風雨を(しの)ぎ、暫時(しばらく) 千歳(せんざい)記念(かたみ)とはなれり。

  五月雨(さみだれ)の 降り残してや 光堂(ひかりどう)

 

(現代語)

奥州藤原三代の繁栄も邯鄲の夢と同じ、一炊の間に消え去った。南大門の跡は(伽羅の御所などからは)四キロほど手前にあった。秀衡の館跡は今は田畑になって、金鶏山だけが昔の形をとどめている。

まず、義経の居館であった高館に上って、見れば北上川は南部から流れてくる大河である。衣川は和泉三郎の城を取り巻いて、高館の下で北上川と合流する。泰衡等の居城は、衣が関を楯として、南部からの侵入を防ぐ目的であったことが分かる。

弁慶や兼房など選りすぐりの義臣、この城に立てこもって戦ったものの、その功名も一時の夢と消え、すべては夏草の中に埋もれて果てた。まさに、「国破れて山河あり、城春にして草木深し」。旅笠を脇に置いて、草むらに腰を下ろし、長いこと涙を落としていたことだった。 

 「夏草や兵どもが夢の跡」

 「卯の花に兼房みゆる白毛かな」 (曾良)

かねてその美しさについて聞き、驚いてもいた中尊寺の光堂と経堂を拝観することができた。経堂には清衡・基衡・秀衡の三人の像を納め、光堂にはこの三人の棺と共に阿弥陀三尊像が安置されている。金・瑠璃・珊瑚等々の七宝は消え失せ、珠玉を散りばめた扉は風に破れ、金の柱は朽ち果てて、すべてが退廃し空虚となるはずだったが、四方を新しく囲み、屋根を覆って雨風を凌いだので、これによって、ようやく千年は残る記念物とはなったのである。

 「五月雨の降のこしてや光堂」

 

(語句)

●「三代の栄耀」:奥州藤原氏の藤原清衡・基衡・秀衡の親子三代を指す。源義経をかくまった

 ことを理由に鎌倉勢の大軍に攻められ、四代目・藤原泰衡の代で源頼朝によって滅ぼされた。
●「一睡の中にして」:「邯鄲夢の枕」の「一炊の夢」の故事からとった表現。『蒸していた黄

 粱(きび)が炊けるまでのわずかな眠りの間に、人生の栄枯盛衰をたっぷりと味わう一生の夢を

 見た』―というエピソードに基づいていて、「一炊」と「一睡」を掛けた表現。
●「大門の跡」:政庁となった平泉館(ひらいづみのたち)の南大門跡。
●「秀衡が跡」:三代・藤原秀衡の居館「伽羅御所」の跡。 
●「金鶏山」:秀衡がその栄華を示そうと富士山に模して築かせた山で、山頂に雌雄一対の金鶏

 を埋めたと伝えられる。 
●「高館(たかだち)」:衣川館(ころもがわのたち)とも呼ばれ、源義経の居館となっていた。鎌倉側

 の圧力に屈した四代目・泰衡によって攻められ、義経が自害に追い込まれた最期の場所。

●「和泉が城」:藤原忠衡(塩竃明神に宝鐙を寄進した和泉三郎のこと)の居城。「彼は勇義忠

 孝の士なり」と芭蕉は「塩竃明神」の段で綴っている。
●「泰衡」:秀衡の次男。 父秀衡の遺言に逆らって義経主従を殺害してまで頼朝に忠誠を誓っ

 たが、結局頼朝によって滅亡させられた。

●「南部口をさし 堅め、夷を防ぐと見えたり」:南部方面から平泉に侵入してくる蝦夷から防

 衛しているという意味。

●「義臣(ぎしん)すぐって」:忠義をつくす家臣を選(すぐ)って。最期まで義経に忠義をつくし

 た武蔵坊弁慶や兼房の壮絶な死に様。この城に籠って泰衡らの攻撃に耐えたが、その戦いも今

 こうして草むらとなってしまってはかないことだ、の意。

●「国破れて山河あり」:杜甫の有名な詩「春望」の一節を引用したもの。「国破れて山河あ

 り、城春にして草木深し、・・・・・」

●「兼房」:十郎権頭兼房(じゅうろう・ごんのかみ・かねふさ)。伝奇物語『義経記』にのみ登場するよ

 うだが、実在しない架空の人物である。弁慶同様、白髪を振り乱して雄々しく戦った最期が語

 り草となっていて、白く揺れる卯の花に、兼房の姿を重ね合わせている。

●「中尊寺」:奥州藤原氏ゆかりの寺として有名で、金色堂など多くの文化財を有する。
●「二堂開帳す」:光堂(金色堂)と、経堂のこと。「開帳」は本来、厨子の扉を開いて中の仏

 を大衆に拝ませること。
●「経堂は三将の像を残し」:実際に経堂に安置されているのは、「木造・騎獅文殊菩薩 及脇

 侍像の5体」

●「三尊の佛」:阿弥陀三尊像のこと。

●「七宝」: 金輪宝・白象宝・紺馬宝・神珠宝・玉女宝・居士宝・主兵宝をさす。

●「珠の扉風にやぶれ、金の柱霜雪に朽て、既頽廃空虚の叢と成べきを」:扉も柱も腐ってしま

 って、とっくに荒れ果ててしまうところを、の意。

●「四面新たに囲みて甍を覆い」:金色堂を保護するために設けられた覆堂(おおいどう)、または

 鞘堂(さやどう)のこと。 

 

(俳句

 「夏草や 兵どもが 夢の跡」

   今は夏草ばかりが生い茂ったこの高台は、かつては兵どもが華々しく戦い、功名を夢見た

   跡なのだ。

 「卯の花に 兼房見ゆる 白毛かな」  (曾良)

   白い卯の花を見ていると、白髪の兼房が華々しく戦っている姿が偲ばれる。

 「五月雨の 降り残してや 光堂」

   五月雨が遠慮して降り残して、このように輝かしく残されているのであろうか、この光堂

   は。

 

(写真)

 

 

 

 

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次回は 第26回「尿前の関」

 

 

  (担当H)

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