『おくのほそ道』
第21回「末の松山・塩竃の浦」
(すえのまつやま・しおがまのうら)
(塩竈の浦)
(塩竈 元禄二年五月八日)
<第21回「末の松山・塩竃の浦」>(原文)
それより野田の玉川 沖の石を尋ぬ。
末の松山は、寺を造りて 末松山という。
松の間々 皆 墓原にて、翼を交わし 枝を連ぬる契の末も、終にはかくのごときと、悲しさ
も増りて、塩竃の浦に 入相の鐘を聞く。
五月雨の空 聊か晴れて、夕月夜 幽かに、籬が島も ほど近し。
蜑の小舟 漕ぎ連れて、肴分かつ声々に、「つなでかなしも」と詠みけん心も知られて、いと
ど哀(あわ)れ也。
その夜、目盲 法師の琵琶 を鳴らして、奥浄瑠璃と 云うものを語る。
平家にもあらず、舞にもあらず、鄙びたる調子 うち上げて、枕 近う かしましけれど、さすがに辺土の遺風 忘れざるものから、殊勝に覚えらる。
(「目盲法師の琵琶をならして」 蕪村筆「奥の細道図巻」)
(現代語)
それより、野田の玉川、沖の石を訪ねた。
末の松山だが、今では寺を建ててこれを末松山(まっしょうざん)という。松林の中はいたるところ墓場で、愛の契りの歌のように比翼連理(ひよくれんり)の契りを結んだとはいえ、ついにはこうなるものかと、悲しい想いをしながら塩がまの浦の夕暮れの鐘を聞いた。
五月雨の空もうっすらと晴れて、夕月夜のうすくらがりの中に、籬が島(まがきがしま)もほど近くに見える。蜑たちが小舟を連ねて港に戻ってきて、魚を分ける声に「綱手(つなで)かなしも」と読んだ(源実朝)の心も偲ばれてもののあわれを感じることひとしお。
その夜、盲目の琵琶法師たちが奥浄瑠璃というものを語っていた。平家琵琶でもなく、幸若舞でもない。ひなびた調子を寝ている枕近くで語るのでうるさくもあるのだが、こんな辺境なところでも、古来の伝統を忘れずにいることは、殊勝なことだと感じ入った。
(語句)
●「玉川」:歌枕。玉川は、多賀城と塩釜の境付近にある小さな川。本邦六玉川の一つといわれ
ている。能因法師の歌「夕されば汐風こえてみちのくの野田の玉川鵆なく也」
●「沖の石」:歌枕.。多賀城末の松山にあった。ただし、「沖の石」の名前は逆にこの歌から
付けられた模様だそうである。二条院讃岐の「わが袖は 汐干に見えぬ 沖の石の 人こそ知
らぬ 乾く間もなし」
●「寺を造りて末松山(まっしょうざん)という」:これも歌枕の一つ。末松山・宝国寺のこと。
『君をおきて あだし心をわがもたば 末のまつ山 浪もこえなん』(「古今和歌集」)や藤
原元輔の歌「ちぎりきなかたみに袖をしぼりつゝすゑの松山波こさじとは」。この地には、本
の松山・中の松山・末の松山と三つの松山があったという。
●「翼(はね)をかはし枝をつらぬる契の末も」:比翼連理の契り。「契りきなかたみに袖をしぼ
りつつ末の松山波越さじとは」(藤原元輔)『後遺集』からの引用。男女の愛のちぎりの末の
姿、の意。白楽天の「長恨歌」にある、玄宗皇帝と楊貴妃が七夕の夜に二人だけで交わした誓
いの言葉、
『在天願作比翼鳥、在地願爲連理枝 』(願わくば天に在っては比翼の鳥となり、地に在って
●「塩がまの浦」:今の塩竃湾で、千賀の浦ともいった。これも歌枕の一つ。ここに塩釜が有っ
たので千賀の塩竃と言った。「みちのくはいづくはあれど塩蒲の浦こぐ舟の綱手かなしも」
『古今集』などの古歌がある歌枕。
●「籬が島(まがきがしま)」:塩釜沖の小島で歌枕。「我せこをみやこにやりて塩がまの 笆の島に
まつぞわびしき」などがある。
●「蜑の小舟(あまのこぶね)」「つなでかなしも」:『世の中は 常にもがもな なぎさ漕ぐ あ
まの小舟の 綱手(つなで)かなしも』(源実朝)
●「目盲法師(めくらほうし):僧形で盲目の旅芸人で、「平家物語」などを琵琶を弾きながら語っ
た。
●「奥上るり(おくじょうるり・浄瑠璃)・・というふものを語る」:江戸時代に仙台地方に残る浄
瑠璃風の芸能で、「仙台浄瑠璃」や「御国(おくに)浄瑠璃」とも言われた。この時代、義経奥
州くだりの段などが演じられたという
●「平家にもあらず、舞にもあらず」:平家琵琶というのでも、幸若舞(こうわかまい)でもない。
●「辺土の遺風忘れざるものから」:片田舎の伝統文化を継承していること。
(写真)
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次回は 第22回「塩竈神社」
(担当H)
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