『おくのほそ道』 第17回 笠島 | 奈良の鹿たち

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『おくのほそ道』

  第17回「笠島

(かさしま)

 

(笠島はいづこ)

(笠島 元禄二年五月四日)

 

<第17回「笠島(かさしま)」> (原文)

鐙摺(あぶみずり)白石(しろいし)の城を過ぎ、笠島(かさしま)(こおり)に入れば、藤中将(とうのちゅうじょう)実方(さねかた)の塚は 何処(いづこ)のほどならんと、人に問えば、「(これ)より遥はるか右に見ゆる山際(やまぎわ)の里を、箕輪(みのわ)笠島(かさしま)と云い、道祖神(どうそじん)(やしろ)形見(かたみ)(ススキ)、今にあり」と教う。

此の頃の五月雨(さみだれ)に 道いと()しく、身 疲れ(はべ)れば、他所(よそ)ながら眺めやりて過ぎるに、箕輪・笠

島も 五月雨(さみだれ)の折りに触れたりと、

  笠島は いづこ 五月(さつき)の ぬかり道

岩沼(いわぬま)に宿る。

 

(現代語)

(義経一行が馬の鐙を擦ったと言い伝えられる)「鐙摺」の細道、白石の城下を過ぎて、笠島に入ってきた。藤中将実方の塚は何処かと人に尋ねると、「こっから遥か右の方さ見える山際の里なら、箕輪・笠島と言って、道祖神も藤中将形見の薄なども残っている」と言う。このところの五月雨で道はぬかるみ、身体も疲れていたので、遠くから眺めるだけで通り過ぎることにしたのだが、箕輪の「蓑」といい、笠島の「笠」といい五月雨に縁があるので、

 「笠島はいづこさ月のぬかり道」

と詠んだ。この日は、岩沼に泊まった。

 

(語句)

●「鐙摺(あぶみずり)」:旧奥州街道にあった馬一頭がやっと通れるほどの白石の山峡の難所で、

 「鐙摺り坂」や「鐙摺り石」といった名が残されており、義経の軍が通った時に馬の鐙(あぶ

  み)が摺れたという伝説が残っている。鐙は、乗馬時に足をのせるための馬具 。
●「白石の城」:白石城は現在の白石市にあった、伊達家の支城で、片倉氏の居城。
●「笠島(かさじま)の郡(こおり)」:実際は「名取郡笠島村」。現名取市愛島(めでじま)
●藤中将(とうのちゅうじょう)実方(さねかた):藤原実方のことで、和歌の名手といわれ、「あさか

 山」の章の「花かつみ」のところで、「菖蒲が無ければ・・・・・・」と歌った人物。左近衛

 の中将にまで昇進したが、天皇の前の歌会で藤原行成と口論になり、行成の冠を笏で打ち落と

 してしまった。また、女性問題がもとで陸奥守に左遷される。

●「道祖神の社」:その藤原実方がこの道祖神社の前を通った時に、「我 下馬に及ばず」とそ

 のまま通り過ぎ、落馬して、あるいは馬の下敷きになって死んだとされる。塚(墓)はその道

 祖神社の傍らにあるとのこと。
●「右に見ゆる」:実際は「左」側。
●「形見(かたみ)の薄(すすき)」:後に西行がここを訪れ、実方の形見とて薄の穂波だけとなって

 いる姿に涙して一首したためている。「朽ちもせぬその名ばかりをとどめおきて枯野の薄かた

 みにぞ見る」

●「箕輪・笠島も五月雨(さみだれ)の折りに触れたりと」:「箕輪(蓑)」も「笠島(笠)」も

 「雨」の折り(季節)に合った言葉ということで使っている。
●「岩沼に宿る」: 岩沼は宮城県岩沼市で東北本線と常磐線の分岐点。この行だけ単独で独立

 しており、本によっては次の章の始めに入れられているものもある。「曾良旅日記」による

 と、実際は岩沼に宿泊していないらしい。「笠島(名取郡之内)、岩沼・増田之間、左の方一

 里計有、三ノ輪・笠島と村並びて有由、行過ぎて見ず」(「曾良旅日記」)とあり、「武隈の

 松」はその前に出てくる。

 

(俳句) 

 「笠島は いづこ五月の ぬかり道」
   無念の死をとげた藤中将実方ゆかりの墓がある笠島は、何処にあるのだろう。五月雨のぬ

   かり道を探しあぐんでいる。

 

(写真)

  

 

 

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次回は 第18回「武隈」

 

 

(担当H)

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