『おくのほそ道』
第16回「飯塚」
(いいづか)
(国見峠 伊達の大木戸)
(飯塚(飯坂) 元禄二年五月二、三日)
<第16回「飯塚(飯坂)」> (原文)
其の夜 飯塚に泊る。
温泉あれば、湯に入りて宿を借るに、土坐に莚を敷きて、あやしき貧家也。
灯も無ければ、囲炉裏いろりの火かげに 寝所を設けて臥す。
夜に入りて雷鳴り、雨しきりに降りて、臥せる上より漏り、蚤蚊にせゝられて眠らず。
持病さえ起こりて 消え入る斗りになん。
短夜の空もようよう明ければ、又 旅立ちぬ。
猶夜の余波なごり、心すゝまず。
馬借りて 桑折の駅に出づる。
遥かなる行く末をかゝえて、斯かる病 覚束なしと言えど、羈旅辺土の行脚、捨身無常
の観念、道路に死なん、是 天の命なりと、気力 聊か とり直し、路縦横に踏んで、伊達の
大木戸を越す。
(「宿を借るに・・・あやしき貧家」 蕪村筆「奥の細道図巻」)
(現代語)
その夜は飯塚(飯坂)に泊まった。温泉があるので入浴してから宿を借りたのだが、土間に筵(むしろ)を敷いただけの薄汚い貧乏家だった。灯火もないので、囲炉裏の火影のそばに寝床を取って寝た。夜になって雷がひどく、雨がしきりに降り続いて寝ているところに漏れてくる。しかも、蚤や蚊に食われて眠られない。持病さえおこって、気を失うばかりだった。
短い夜もようやく明けたので再び旅立った。しかし、前夜の不眠がたたって気分は晴れない。馬を借りて桑折の駅に出た。前途に遥かな旅路をひかえて、このような病気ではおぼつかない。だが、辺境の地の行脚であり、すべては諸行無常、道の途中で死んでもそれは天命なのだと、気力取り直して、縦横に曲がった細道を踏みしめて、伊達の大木戸のあった(国見峠)を越えた。
(語句)
●「飯塚(いいづか)」:現在の飯坂温泉で、飯塚と呼ばれた時期もあった。「曾良旅日記」では
「飯坂」となっている。「昼より曇り、夕方より雨降る、夜に入り、強。 飯坂に宿、湯に入
る」(「曾良旅日記」)
●「宿を借るに・・・あやしき貧家(ひんか)也」:この時代の温泉宿は、温泉風呂は共同風呂で
温泉地に一箇所ないし複数箇所に共同入浴場をもっていて、旅館は宿泊だけ。
●「持病さへおこりて、消入計になん」:芭蕉の持病は胃弱と痔疾であった。
●「消え入るばかりになん」:(あまりの苦痛に)気を失いそうになる。
●「短夜(みじかよ)」:現在で言えば、夏至(げし)の一週間くらい前に当たるので、夜明けは早
い。
●「桑折(こおり)」:飯坂温泉から東へ二里ほどの奥州街道の宿場町。
●「羈旅辺土(きりょ・へんど)の行脚(あんぎゃ)」:「羈旅辺土」は辺鄙(へんぴ)な土地を旅するこ
と、「行脚」は僧が諸国を巡って修行すること。
●「捨身無常(しゃしん・むじょう)の観念」:「捨身」は僧として俗世間を捨てること、「無常」は
移ろいやすい現世を悟っていることで、仏教や儒教的思想から来た言葉。
●「道路に死なん」:芭蕉の場合、野垂れ死にする覚悟も出来ているようで、それを「天命」と
している。
●「伊達の大木戸(おおきど)」:文治五年(1189年)に鎌倉政権と奥州藤原氏との間で行われた
奥州合戦で、源頼朝の鎌倉軍を迎え撃つため、藤原泰衡が厚樫山(あつかしやま)に築いた大き
柵。芭蕉の頃には既に柵は無ったようである。「曾良旅日記」では、「桑折(こおり)と貝田
(かいた)の間に、伊達の大木戸の場所有り(国見峠と云う山有り)」となっている。
(写真)
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次回は 第17回「笠島」
(担当H)
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