『おくのほそ道』
第13回「須賀川」
(すががわ)
(風流の初や奥の田植唄)
(須賀川 元禄二年四月二十二~二十九日)
<第13回「須賀川」> (原文)
とかくして越え行くままに、阿武隈川を渡る。
左に会津根高く、右に岩城・相馬・三春の庄、常陸・下野の地を境いて 山連なる。
影沼と云う所を行くに、今日は空曇りて物影 映らず。
須賀川の駅に 等窮という者を尋ねて、四・五日とどめらる。
先ず「白川の関いかに越えつるや」と問う。
「長途の苦しみ、心身疲れ、且つは風景に魂 奪われ、懐旧に腸を断ちて、はかばかしゅう
思いめぐらさず。
風流の 初めや奥の 田植え歌
無下に越えんもさすがに」と語れば、脇・第三と続けて、三巻となしぬ。
此の宿の傍らに、大きなる栗の木陰を頼みて、世を厭う僧有り。
橡拾う太山もかくやと 閒かに覚えられて、ものに書き付けはべる。
その詞、
栗という文字は、西の木と書きて、西方浄土に便りありと、行基菩薩の一生杖にも柱にも
世の人の 見付けぬ花や 軒の栗
(栗の木の下の隠遁者 蕪村筆「奥の細道図巻」)
(現代語)
このようにして白河の関を越え、やがて阿武隈川を渡った。左の方角には会津磐梯山が高くそびえ、右手には磐城・相馬・三春などの地方が続き、常陸・下野などと境をつくって山々が連なっている。影沼というところを通ったのだが、今日は空が曇っていて水面に物影は映らなかった。
須賀川の地に等躬という者を訪ねて、四、五日逗留した。等躬はまず、「白河の関を越える時は、どんなでしたか?」と尋ねた。私は「長旅に心身ともに疲れ、しかも景色にすっかり心を奪われ、数々の歌人たちの想いに腸も千切れるほどで、はかばかしい句もできずに終わってしまいました。
「風流の初やおくの田植うた」
それでも、何も残さずに関を越えるのはどうかとも思ったので、と詠みました」と言うと、これを発句として脇・第三と続けてついに三巻の連句をが出来た。
この須賀川の宿場のすぐ傍に、多きな栗の木の下に庵を置いて、隠遁生活をしている僧がいるという。西行法師の歌「山深み岩にせかるゝ水ためんかつかつ落るとちひろふほど」の深山の閑寂さとは、さぞやこんな静かな具合なのだろうと思えたので、紙につぎのような言葉を書きとめた。
栗という文字は西の木と書いて、西方浄土に縁があるというので、行基法師(は一生涯、杖にも家の柱にも栗の木を用いられたという。
「世の人の 見付けぬ花や 軒の栗」
(語句)
●「とかくして、越行まゝに」:このようにして白河の関を越えて、の意。
●「右に岩城(いわき)・相馬(そうま)・三春(みはる)の庄、常陸(ひたち)・下野(しもつけ)の地をさ
かひて山つらなる」:須賀川から見ると磐城、相馬、三春方面は北に向かって右側に位置し、
茨城や栃木県方面は山によって隔てられている。
●「会津根」:会津磐梯山。
●「須賀川(すかがわ)」:阿武隈川(あぶくまがわ)の支流。須賀川の町はは、鎌倉時代以降は二階堂
氏の城下町として400年間、幾多の変遷を経て奥州街道屈指の宿場町として盛えた。
●「影沼(かげぬま)」:福島県岩瀬郡鏡石町付近にあった沼で当時蜃気楼の立つことで有名であ
った。
●「等窮(とうきゅう)」: 等窮は等躬(とうきゅう)の間違いまたは文学的粉飾
●「四、五日とヾめらる」:4,5日どころか、須賀川には7泊8日の長逗留をした。
●「長途のくるしみ、身心つかれ、且は風景に魂うばゝれ、懐旧(かいきゅう)に腸(はらわた)を断
て、はかばかしう思ひめぐらさず」とは、長旅に心身もつかれ、美しい風景に夢中になって、
古来の詩人たちのことなど思い出されて、何だかボーとしておりました、の意。
●「無下にこえんもさすがに」:なにも句を作らずに白河の関を越えるのもどうかというので
、の意。
●「脇・第三とつヾけて三巻(みまき)となしぬ」:脇は連句の第二句目、第三は同じく第三句目
をいう。こうして等躬らと三巻の連句を巻いたというのである。
●「世をいとふ僧有」:可伸(かしん)。世捨て人。俳号は栗斎という俳人でもあった。
●「橡(とち)ひろふ太山(みやま)もかくやと閒に覚られて」:西行の歌『山家集』に「山深み岩
にしただる水とめんかつがつ落る橡ひろふほど」を引用。「閒に」は「静かに」と同義 。
●「行基菩薩(ぎょうきぼさつ)」:(668~749年)奈良時代の僧。諸国をめぐり、架橋・築堤など
社会事業を行い、民衆を教化し行基菩薩と敬われた。やがて聖武天皇の帰依を受け、東大寺・
国分寺の造営に尽力し、大僧正に任ぜられ、また大菩薩の号を賜った。
●「栗といふ文字は西の木と書て、西方浄土に便ありと」:栗という字は、西の下に木と書いて
西方浄土(さいほうじょうど)に縁があるというので縁起のいい木だ、といったのは法然上人。行基
は、芭蕉の勘違い。
(俳句)
「風流の 初めや奥の 田植え歌」
これから風流な名所・旧跡を巡ろうとしているが、それはひなびた田植え唄から始まっ
た。
「世の人の 見付けぬ花や 軒の栗」
世間に目立たない栗の花が庵の軒端に咲いている。庵の主も世俗を避けゆかしい人なのだ
ろうな。
(写真)
====================
次回は 第14回「あさか山・忍ぶの里」
(担当H)
====================





