『おくのほそ道』
第12回「白河の関」
(しらかわのせき)
(三関の一つ 白河の関)
(白河の関 元禄二年四月二十一日)
<第12回「白河の関」>(原文)
心許なき日数 重なるままに、白河の関にかかりて 旅心定まりぬ。
「いかで都へ」と便り求めしも断りなり。
中にも此の関は三関の一にして、風騒の人、心をとどむ。
秋風を耳に残し、紅葉を俤にして、青葉の梢 猶あわれなり。
卯の花の白妙に 茨の花の咲き添いて、雪にも越ゆる 心地ぞする。
古人 冠を正し 衣装を改めし事など、清輔の筆にも とどめ置かれしとぞ。
卯の花を かざしに関の 晴れ着かな (曾良)
(白河関)(「芭蕉翁絵詞伝」(義仲寺蔵)より)
(現代語)
ここまでは、なんとなく不安な日々を重ねていたのだが、白河の関にかかった頃からようやく旅の心も定まってきた。「便あらばいかで都へ告やらんけふ白川のせきはこゆると」の(平兼盛が)親しい人に伝えたくなる気持ちがよく分かる。
多くの関所の中でも、この関所は、勿来・鼠の関と共に三関の一つで、古来、多くの風雅の心を持つ人は、心をとどめてきた。秋風を覚えながら紅葉を目に浮かべ、青葉の梢も風情を覚える。卯の花の白に茨の花も咲き加わって、雪道を超える気分になる。この関を越えるにあたって冠を正し衣服を改めたことなどが、藤原清輔の(『袋草紙』)に書きとどめていたという。
「卯の花をかざしに関の晴着かな」 (曾良)
(語句)
●「いかで都へ」:平兼盛の歌「たよりあらばいかで都へ告げやらむけふ白河の関は越えぬと」
を引用。
●「此関は三関(さんかん)の一にして」:勿来(なこそ)の関(常陸)・鼠の関(ねずのせき)(羽前)
と並んで白河の関は奥羽三関の一つと言ったという。いわゆる三関は、不破の関・逢坂の関・
鈴鹿の関である。
●「秋風を耳に残し」:能因法師の歌「都をば霞と共に立ちしかど秋風ぞ吹く白河の関」を引
用。 『古今著聞集』には、実は能因法師はこの歌を作ったときに奥羽には行かず、都でこれ
を作った。
●「紅葉を俤にして」:源頼政の歌「都にはまだ青葉にてみしかども紅葉散りしく白河の関」、
左大弁親宗の歌(『千載集』)「もみぢ葉の皆くれなゐに散しけば名のみ成けり白川の関」な
どを引用。
●「卯の花のしろたへ」:「卯の花」は「うつぎ」のこと。ユキノシタ科の落葉低木。山野に自
生。高さ1~2m。葉は狭長楕円形で対生する。梅雨の頃、白色の五弁花を円錐花序につけ
る。垣根などに植え、材は木釘・楊枝などにする。樹幹が中空になっていることからこの名が
付いた。藤原季通の歌「見て過る人しなければうの花の咲る垣根やしら河の関」
●「雪にも こゆる心地ぞする」:久我通光の歌「しらかはのせきの秋とは聞きしかど初雪わく
るやまのべの道」や僧都印性「東路も年も末にやなりぬらん雪ふりにけり白川の関」などから
取った。
●「古人、冠を正し、衣装を改めしことなど」:清輔の『袋草紙』に、「竹田大夫国行と云者、
陸奥に下向の時、白川関すぐる日は、殊に装束ひきくろいむかうと云々。人問いて云う、何等
の故や。答えて云う、古曾部入道(能因法師のこと)の秋風ぞふく白川の関と読まれたる所を
ば、いかでかなりにては過ぎんと云々。殊勝の事歟」とある。
●「清輔の筆」:藤原清輔(きよすけ)著『袋草紙』。清輔は平安時代後期の歌学者。
(俳句)
「卯の花を かざしに関の 晴れ着かな」 (曾良)
古人は衣装を整えこの関を超えたそうだが、私はそのような衣服はないので、卯の花を髪に
挿して晴れ着としよう
(写真)
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次回は 第13回「那賀川」
(担当H)
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