『おくのほそ道』 第09回 雲巌寺 | 奈良の鹿たち

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『おくのほそ道』 

  第9回「雲巌寺

(うんがんじ)

 

(奥ある景色 雲巌寺)

(那須黒羽 元禄二年四月五日)

 

<第9回「雲巌寺うんがんじ」> (原文)

当国(とうごく) 雲巌寺(うんがんじ)の奥に、仏頂和尚(ぶっちょう・おしょう) 山居跡(さんきょあと)あり

竪横(たてよこ) 五尺に足らぬ 草の(いお) 結ぶもくやし 雨なかりせば」と、松の炭して岩に書き付け侍

りと、いつぞや聞こえ給う。其の跡見んと、雲巌寺に杖を()けば、人々進んで 共に(いざ)ない、若

き人多く 道のほど打ち騒ぎて、おぼえず()(ふもと)に至る。
山は奥ある景色にて、谷道遥かに、松・杉黒く、苔したたりて、卯月の天 今猶(いまなお)寒し。 

十景尽きる所、 橋を渡って山門に()る。
さて、かの跡はいづくのほどに、と後ろの山に よじ登れば、石上(せきしょう)小庵(しょうあん) 岩窟に結び掛けたり。

妙禅師の死関(しかん)、法雲法師の石室を見るがごとし。

 木啄(きつつき)も (いお)はやぶらず 夏木立(なつこだち)

と、とりあえぬ一句を 柱に残し(はべ)りし。

 

(現代語)

下野国雲巌寺の奥に、わが参禅の師である仏頂和尚の座禅修行の跡があるという。 

「竪横の五尺に満たぬ草の庵むすぶもくやし雨なかりせば」と、松の炭で岩に書いておいた、といつか師から聞いたことがあった。そこで、その山居の跡を見ようと雲巌寺に向けて出発した。人々も誘い合ってやってきた。若い人たちが多く、道々にぎやかに騒ぎながら行ったので、麓までは思いがけず早く到着した。雲巌寺の山内は森々として、谷道はどこまでも続き、松や杉は苔むして濡れ、四月だというのに冷え冷えとする。雲巌寺十景の終わるところに橋があり、それを渡って山門に入った。

さて、山居の跡は何処かと探しながら、後ろの山を登っていくと、小庵が巌にもたれるようにして造ってあった。南宋の高僧妙禅師の死関、法雲法師の石室を見ているような気がしてきた。

 「木啄も庵はやぶらず夏木立」

と即興の句を庵の柱に残してきた。

 

(語句)

●「雲岸寺(うんがんじ)」:雲巌寺とも。栃木県黒羽町から東に12kmほど離れた場所にある臨

 済宗妙心寺派の名刹。

●「佛頂和尚(ぶっちょう・おしょう)」:(1614~1715年)常陸国鹿島の臨済宗根本寺住職で芭蕉

 は、1682年頃彼について禅修業をしたらしい。その佛頂は、しばしば雲厳寺に山居して修

 業していた。芭蕉の尊敬する人物の一人。

●「竪横の五尺にたらぬ草の庵むすぶもくやし雨なかりせば」:五尺にも足りないちっぽけな庵

 とはいえ、雲水の身には不必要なものだが雨を凌ぐためには致し方なく作ったものだ、の意。

●「おぼえず彼麓に到る」:わいわい言っているうちにあっという間に目的地に着いた。

●「十景尽る所」:雲巌寺には寺内に名勝十景(海岩閣・竹林・十梅林・雲龍洞・鉢盂峰(ぼうほ

 う)・水分石・千丈岩・飛雪亭・玲瓏岩)があった。

●「かの跡はいづくのほどにやと」:佛頂和尚の修業した山居跡はどこにあるのか、の意 。

●「妙禅師の死関、法雲法師の石室をみるがごとし」:かの高僧たちの修業跡を見るような気分

 であったという意味。妙禅師も法雲法師も中国の高僧。前者は「死関(しかん)」という扁額を

 飾って洞窟の中で修業したと伝えられている。後者は不祥。

●「とりあへぬ一句を柱に残侍し」:即興の一句を柱に書き付けた。

 

(俳句)

 「木啄も 庵はやぶらず 夏木立

   夏木立の中、豚木鳥もさすがに(尊い)庵をつついて破ることはしないらしい。

 

(写真)

 

 

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次回は 第10回「殺生石」

 

 

(担当H)

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