『おくのほそ道』
第8回「黒羽」
(くろばね)
(浄坊寺邸)
(那須黒羽 元禄二年四月三~十六日)
<第8回「黒羽」>(原文)
黒羽の館代 浄坊寺 何某かの方に音信る。
思いがけぬ主の悦び、日夜語り続けて、其の弟 桃翠など云うが、朝夕 勤め訪い、自らの
家にも伴いて、親属の方にも招かれ、日を経るままに、一日郊外に逍遥して、「犬追う物」
の跡を一見し、那須の篠原を分けて、「玉藻の前」の古墳を訪う。
それより八幡宮に詣づ。
与一 扇の的を射し時、「別しては我国の氏神正八幡」と誓いしも、此の神社にて侍ると聞けば、感応 殊に しきりに覚えらる。
暮れば 桃翠宅に帰る。
修験 光明寺と云う有り。そこに招かれて、 行者堂を拝す。
夏山に 足駄を拝む 首途哉
(現代語)
黒羽藩の城代家老浄坊寺(じょうぼうじ)某の館を訪ねた。この突然の再会を予期していなかった館の主は大喜び。うれしくて毎日毎夜語り続けた。彼の弟の桃翠(とうすい)などは朝夕ここへ通いつめ、また自分の家にも招いてくれたりした。一族の方々にも招待されるなど日数を重ねていたある日、郊外を散策し、犬追物の跡を見た足で、実朝の歌「ものゝふの矢なみつくろふ小手の上にあられたばしるなすのしのはら」で有名な那須の篠原(しのはら)を通って、玉藻(たまも)の前の墓にお参りした。そこから那須八幡宮に参詣した。屋島の合戦で、あの扇の的を打ち落としたとき、那須与一(なすのよいち)は「南無八幡大菩薩、別して我が氏神正八幡」と祈ったと語り継がれているが、その正八幡こそこの神社だと聞けば、感激はひとしおである。一日が終わって桃翠宅に帰った。
修験光明寺(こうみょうじ)という寺がある。そこに招待されたので、行者堂(ぎょうじゃどう)を拝観してきた。
「夏山に足駄を拝む首途哉」
(語句)
●「黒羽の館代浄 坊寺何がしの方に音信る」:芭蕉一行は、黒羽藩城代家老浄法寺図書高勝、
俳号桃雪(とうせつ)を訪ねた。なお、桃雪宅を訪れた際の挨拶吟「山も庭も動き入るるや夏座
敷」が残る。
●「桃翠」:桃雪の弟。鹿子畑(当時岡氏)豊明。448石。桃雪とは年子で28歳であった。
実は、「桃翠(とうすい)」ではなく「翠桃(すいとう)」が正しい。
●「玉藻の前の古墳」:「玉藻の前」は美貌の鳥羽院の寵妃。玉藻は実は金毛九尾の狐の化身で
あることが分かり、調伏されて那須野に逃げた。しかし、狐退治に派遣された者たちに射殺さ
れあえなく死んだ。この狐退治劇こそ「犬追物」である。その怨霊が殺生石となって、以後空
を飛ぶ鳥や虫を殺しつづけていたのだが、旅の僧が成仏させて悪事を働かなくなったという。
殺生石は火山性の硫化ガスの噴出によるもので、芭蕉が訪ねたこの時代にもガスは毒を放って
いたのである。
●「犬追物の跡」:狐の化身である「玉藻の前」を捕らえた狩の跡といわれる場所。狐は犬に似
ているところから、この玉藻逮捕劇のことを犬追物 (いぬおうもの)という。
●「八幡宮」:那須八幡神社。応神天皇をまつる。 ただし、与一が祈願した神社は実はこれで
はなく、那須湯本にある「温泉大明神(ゆぜんだいみょうじん)」である。
●「与市、扇の的を射し時」:与市(よいち)は那須与一。 源氏方の武将。彼はこの地の出身と言
われている。1185年(元暦2)源平争乱の「屋島の合戦」で、平家方の小舟の扇の的に狙いを
定めて、「南無八幡大菩薩。…願わくはあの扇の真中に射させてたばせたまへ」と祈って的を
射抜いたという。
●「別しては我国氏神正八幡」:我国は、那須の国のこと。分けても、我が故郷の那須八幡大菩
薩に願をかけるの意。
●「此神社にて侍と聞ば、感応殊しきりに覚えらる」:与市が唱えた祈りの言葉の「八幡神社」
がここのことと聞けば、一層感動することだ、の意。
●「修験光明寺と云有」:役行者(えんのぎょうじゃ)をまつる。役行者の一本足の下駄が安置されて
いたという。
(俳句)
「夏山に 足駄を拝む 首途 哉」
これからの夏山を超える首途にあやかりたいと、役行者が履いている高足駄を拝んだ。
(写真)
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次回は 第9回「雲巌寺」
(担当H)
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