『おくのほそ道』
第5回「仏の五左衛門」
(ほとけのござえもん)
(日光街道)
(日光梺 元禄二年三月三十一日)
<第5回「仏の五左衛門」>(原文)
卅日、日光山の梺に泊る。
主人の云いけるよう、「我が名を仏五左衛門と云う。
萬 正直を旨とする故に 人かくは申し侍るまま、一夜の草の枕も打解けて休み給え」と云う。
いかなる仏の濁世塵土に示現して、かかる桑門の乞食順礼ごときの人を助け給うのかと、主人のなす事に心をとどめてみるに、唯 無智無分別にして正直偏固の者也。
剛毅木訥の仁に近き類、気稟の清質、 尤も尊ぶべし。
(仏の五左衛門)
(現代語)
三十日、日光山の麓に泊まった。この旅籠の主人の申すには、「私に名を仏の五左衛門と言います。万事正直を旨としておりますゆえ、人はこう申しております。だから安心して今夜一晩、ゆっくりと旅の疲れを取ってください」と言う。どんな仏がこの俗悪世間に姿を現して、私たちのような乞食坊主などを助けてくれることやらと、主の振る舞いを注視して見ていると、ただひたすら愚直なまでの正直一点張りの者である。論語に言う「剛毅木訥」の仁に近い性格でで、生来の清らかな性質は最も尊ぶべきである。
(語句)
●「丗日」:元禄二年三月三十日のことだが、芭蕉はここで 故意か勘違いか1日計算を間違え
た。実際この日は四月一日である。この年、3月は閏月にあたっていて30日はなかった。
●「濁世塵土(じょくせ・じんど)に示現(じげん)して」:どのような仏様が、汚れたこの世に出現し
たというのであろうか、の意。
●「桑門(そうもん)の乞食順(巡)礼(こつじき・じゅんれい)」:「桑門」は僧侶。
●「唯(ただ)無智無分別にして、正直偏固(しょうじき・へんこ)の者」:ただただ理屈はなく、正直
一点張りの意。
●「剛木(毅)朴訥(ごうき・ぼくとつ)の仁」:ただ真面目で質朴というのだけが取り柄の人、の
意。
●「気稟(きひん)の清質」:生まれつきの清らかな性質のこと。
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次回は 第6回「日光」
(担当H)
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