『おくのほそ道』
第4回「室の八島」
(むろのやしま)
(室の八島のある大神神社)
(惣社町 大神神社・室の八島 元禄二年三月二十九日)
<第4回「室の八島」>(原文)
室の八島に詣す。同行曾良が日く、『此の神は「木の花さくや姫の神」と申して、富士一体
なり。
無戸室に入て焼き給う、誓いの御中に、火々出見の尊生まれ給いしより、室の八嶋と申す。』
又 煙を読み習わし侍るも この謂われなり。将、「このしろ」という魚を禁ず。
縁起の旨、世に伝うことも侍りし。
(現代語)
室の八島に参詣した。同行の曾良が、「ここの神は、木之花開耶媛 (このはなさくやひめ)といって、富士山の神と同じです。瓊瓊杵命(ににぎのみこと)との一夜の交わりで懐妊したため、その貞操を疑われ、これに屈辱を感じた姫は無戸室という出口の無い産室に入って、(不義でないことの)誓いをしながら、猛火の中で火々出見尊 (ほほでみのみこと)を出産されました。だから、ここを室の八島というのです。また、このような謂れがあったからこそ、ここ(室の八嶋)が煙を主題とする歌枕となったのです」と言う。さらにまた、子の代(このしろ)という魚を食べることが禁じられている縁起を世に伝えています。
(語句)
●「室の八島に詣す」:栃木市惣社町にある大神神社(おおみわじんじゃ)で、当時、煙に関係する歌
を詠むならわしの歌枕になっていた。富士浅間神社の祭神の「このはなさくやひめ」がまつら
れている。 なお、芭蕉は、ここで「糸遊に結びつきたる煙哉」や、「入りかかる日も糸遊の
名残かな」なる句を作っている。
●「同行曾良が曰」:同行とは、単なる道づれのことではなく、共に同じ道を修業する者を意味
する。曾良は、故事来歴に通暁した教養人であった。
●「富士一躰也」:富士は、富士山本宮富士宮浅間神社のこと。この神社の祭神は、 木花之開
耶姫(このはなさくやひめ)であり、富士浅間神社の祭神と同一です、の意。
●「無戸室」:瓊々杵尊(ににぎのみこと)と一夜の交わりで木の花さくや姫は懐妊したため、その
貞操が疑われた。それに屈辱を感じた姫は出口を塞いだ産室に入り、もし不貞のことがあれば
胎児もろとも焼け死ぬが、真実であるならば母子ともに生きているであろうと言って、火を放
ち猛火の中で火々出見の尊(ほほでみのみこと)を出産し、生きてその不貞の疑いをはらしたとする
神話(『日本書紀』)がある。
●「又煙を読習し侍もこの謂也」:ここでの古歌が煙を題材にしているのも、この無戸室の神話
による。
●「将、このしろと云魚を禁ず」:コハダによく似たヒカリモノの魚の名前。「このしろ」を焼
くと死体を火葬したような匂いがするところから忌み嫌われた。ここにいう縁起とは、ある国
に美しい娘に、そこの領主がその娘を所望したが、親も本人も渋って出さなかった。しかし国
主からのしつこい誘いに一計を案じ、このしろを沢山棺に詰めて焼いたところ、そのにおいが
人の死体を焼くのと似ていて、領主も娘が死んだものと思ったというのである。以来、「この
しろ」という魚は、「子の代」として縁起のあるものになったという。
(写真)
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次回は 第5回「仏の五左衛門」
(担当H)
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