『おくのほそ道』 第03回 草加 | 奈良の鹿たち

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『おくのほそ道』

 第3回「草加

(そうか)

 

(旧日光街道の草加松原)

 

(草加 元禄二年三月二十八日)

 

<第3回「草加(そうか)」>(原文)

今年元禄(ふた)とせにや、奥羽長途(ちょうど)の行脚 ただかりそめに思い立ちて、呉天に白髪の恨みを重ぬ

といえども、耳に触れて いまだ目に見ぬ境、若し生きて帰らばと 定めなき頼みの末をかけ、

その日 (ようよう) 草加と云う宿にたどり着きにけり。
痩骨の肩にかかれる物 先ず苦しむ。

只身すがらにと 出立ち侍るを、帋子(かみこ)一衣(いちえ)は 夜の防ぎ、浴衣(ゆかた)・雨具・墨・筆のたぐい、ある

は さりがたき(はなむけ)などしたるは、さすがに打ち捨て難くて、路次(ろし)の煩いとなれるこそ わりな

けれ。

 

(現代語)

今年はたしか元禄二年。奥羽への長旅も、ただなんとなく思いついたまでのことだった。だが、たとえ遠い異郷の旅の苦しみにこの髪が白髪に化してしまおうとも、話に聞くだけで未だこの目で見たことのない土地をぜひ訪ねてみたい。もし、生きて帰れることが出来ればと、はかない望みをかけて、その日、ようやく草加という宿に到着した。痩せた肩に乗せた荷物がまず私を苦しめた。ただ体ひとつで旅立ったはずなのに、紙子は防寒のための夜着であり、浴衣・雨具・墨や筆等々、あるいはまた断りきれない餞別されたものなどは、さすがに捨てるというわけにもいかず、道中の足手まといとなるのはしかたないことだ。

 

(語句)

●「ことし元禄二とせにや」:元禄二年、1689年。この年は芭蕉が尊敬してやまない西行の

 500年忌にも当たっていた。

●「呉天に白髪の恨を重ぬ」:「五(呉)天に至らん日まさに頭白かるべし」(三体唐詩)など

 から引用。白髪の老人となろうとも、の意。この年、芭蕉46歳。呉天は呉の国の空の意で、

 転じて 遠い異郷の地を意味する。

●「若生て帰らばと定なき頼の末をかけ」:この旅で死んでしまうのではないかと思っていると

 いうのだが,これはもちろん文学的装飾である。

●「其日漸草加と云宿に」:草加は埼玉県草加市。日光街道で江戸から2番目の宿駅。ただし、

 この夜芭蕉一行は草加に宿泊したのではなく春日部に一泊している。

●「帋子一衣は夜の防ぎ」:渋紙で作った防寒具。身一つの軽装でと思っても、こればかりは当

 時の旅の必携夜具であった。庶民が利用する旅宿では、明治中期まで夜具の用意はなかったの

 で、旅人自身が携行しなければならなかった。

●「さりがたき餞」:辞退しにくい選別の品々の意。

●「路次(ろし)の煩となれるこそわりなけれ」:路次は道中。荷物の多いのは、旅の障害とな

 るのだが、これは仕方の無いことだ。

 

(写真)

 

 

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次回は 第4回「室の八景」

 

 

 (担当H) 

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