『おくのほそ道』
第1回「序章」
(深川 芭蕉像)
(深川 元禄二年三月二十六日)
<第1回 「序章」>(原文)
月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。
舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老をむかふるものは、日々旅にして旅を栖とす。
古人も多く旅に死せるあり。
よもいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂白の思ひやまず、海浜にさすらへ、去年の秋江上の破屋にくもの古巣をはらひて、やや年も暮、春立てる霞の空に白河の関こえんと、そぞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて、取るもの手につかず。
ももひきの破れをつづり、笠の緒を付けかえて、三里に灸すゆるより、松島の月まず心にかかり
て、住める方は人に譲り、杉風が別墅に移るに、
草の戸も 住替る代ぞ ひなの家
面八句を庵の柱に懸け置く。
(現代語)
月日は百代にわたって続く旅人であり、行きかう年もまた旅人である。船子として舟の上で生涯を過ごす人たちも、馬子として馬のくつわを取って老いを迎える人たちも、毎日が旅であり、旅が住み家なのだ。(かの西行法師や宗祇、能因法師、杜甫や李白など)昔の風雅の人たちも、旅において死んだ人たちも多くいる。私もいつの頃からか、ちぎれ雲に吹く風にさそわれて、きままな旅への想いが止まなくなってきて(『笈の小文』の旅では)海辺をさまよい歩いた。昨年の秋には(隅田)川のほとりのあばら家に戻り、蜘蛛の古巣を払ってしばらく落ち着いた。やがて年も暮れ、春霞の空の下、白河の関を越えようと、そそる神に誘われて心は乱れ、道祖神に招かれているようで、落ち付かず何も手に着かない。股引の破れをつくろい、旅笠の紐を付け替えて、三里に灸をすえてみれば、松島の月がまず気にかかって、草庵は人に譲り、杉風の別宅に移る際に、
「草の戸も住替る代ぞひなの家」
これを発句として、表八句をつくり庵の柱に掛けておいた。
(語句)
●「月日は百代の過客」:月日は旅をずっと続ける旅人である。李白の詩に「夫れ天地は万物の
逆旅、光陰は百代(はくたい)の過客(かかく)なり。」とあるに依る 。
●「舟の上に生涯を浮べ」:船頭として舟の上で生涯を過ごす人たち。
●「馬の口とらへて老を迎ふる物」:馬子として馬のくつわを取って老いを迎える人たち。
●「古人も多く」:芭蕉が敬愛し、旅で死んだ詩人、西行、宗祇、能因法師、唐の杜甫、李白ら
のこと。
●「海浜にさすらへ」:伊賀方面への旅。『笈の小文』の旅のこと。
●「去年(こぞ)の秋」:前年8月末(現在の10月)に「更級紀行」の旅から江戸の芭蕉庵に
戻っている。
●「江上破屋」:江上は水辺や湾を指す言葉だが、ここでは江戸隅田川のほとりのこと。破屋は
深川の芭蕉庵のこと。
●「白川(白河)の関」:陸奥(みちのく)の入り口に当たる関所だが、芭蕉の時代には既に関
所は無かったらしい。 歌枕としても知られ、能因(のういん)法師の有名な句「都をば 霞と
ともに立ちしかど 秋風ぞ吹く 白河の関」を念頭に置いているようで、同様に「霞」と
「関」を配している。
●「そゞろ神」:物事をさせるようにそそる神。
●「道祖神(どうそじん)」:村落の境界にあって、悪霊などから人々を守ったり、旅人の安全を守
るための神。
●「三里」:灸のツボ。膝の関節の10cm程下 外側のくぼんだ何処にあり、ここに灸をすえ
ると健脚になるという。
●「松島の月先心にかかりて」:芭蕉は昔から松島の月にあこがれていた。江戸の月は、松島の
月の種を蒔いて育った生えてきたようなものに過ぎないと詠んだ句「武蔵野の月の若生えや松
島種」がある。芭蕉は仙台の俳人・大淀三千風(おおよど・みちかぜ)の著書「松嶋眺望集」で、松
嶋への憧憬を深めていたと言われる。
●「住める方は人に譲り」:「むすめ持ちたる人に草庵を譲りて」や、「日ごろ住ける庵を相知
れる人に譲りて出(い)でぬ」―という文章が残されている。
●「杉風(さんぷう)が別墅(べっしょ)」:杉風は問屋業の杉山市兵衛、芭蕉の最古参の門人であり
経済的後援者。別墅は、深川六間堀にあった杉風の別宅 採荼庵(さいとあん)のこと。
●「草の戸」:草庵のことで、これまで住んでいた芭蕉庵を指す。
●「雛の家」:庵を譲った人に女の子のいたことから、わびしかった草庵もこれからは雛人形を
飾る(華やいだ)家に変わることだろう、ということ。
●「面八句」:百韻形式の連句の最初の八句のこと。これらを第1ページ目に書くところから表
八句という。ただし、この表八句は現存していない。
●「庵の柱に掛け置く」:連句の書かれた懐紙は、一端を綴じて柱に掛けておくのが当時の慣例
だったという。
(俳句)
「草の戸も 住替る代ぞ ひなの家」
わびしい私の草庵も、次に住む人は(女の子がいるようで)桃の節句の時期、雛人形を飾っ
てはなやいでいるだろう。
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次回は 第2回「旅立ち」
(担当H)
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