『北海道の地質的景観』 第28回 (最終回)石狩低地帯 | 奈良の鹿たち

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『北海道の地質的景観』

第28回(最終回)

<石狩低地帯>

 

 

 

●石狩低地帯

 

北海道は東西二つの陸塊が衝突してできた陸地です。

北は深川市、西は日本海側の石狩市から、太平洋側の勇払平野まで続く石狩低地帯は、その狭間で広がった地域です。

第四紀(170万年前)に入り、この初期に石狩低地帯に南から海進があり、低地帯は海峡になりました。この海は、東が夕張山地、西には火山地帯であったので、狭い海で「石狩海峡」と呼ばれています。石狩低地帯の地下をボーリングして調べて見ると、そこには海に住む貝化石を含むような地層が見つかります。そのような海で溜まった地層の厚さは、200m以上になることがあります。
石狩低地帯は著しい沈降域で,第四紀以降の沈降量は1,500mにも達しています。70km以上に渡って20~30kmほどの幅で低地帯は続いています。

石狩海峡は、約10万年前頃から急激に浅くなり、約7万年前にはなくなり陸化しました。そのため、石狩川は、海峡の跡を通って、今の苫小牧あたりから太平洋に注いでいました。平坦な平野を流れていた石狩川は、蛇行や氾濫を繰り返していました。そのため石狩低地帯は湿地帯となり、泥炭がたまるような場所や河川の氾濫によって土砂が溜まるような環境となりました。最後の氷河期であるウルム氷期が訪れると海が後退して、広い湿地帯が広がりました。


4万1000年前、支笏カルデラ噴火時には大規模なプリニー式噴火(噴煙柱を形成する激しい噴火で,噴煙は成層圏まで達し,大量の火山灰やスコリアなどを放出する)に引き続き、大規模な火砕流がカルデラの東側の低地に流れ下りました(西側は山地)。支笏火砕流が札幌市から千歳市・苫小牧を含む広範囲を埋め尽くしました。当時、石狩川は石狩低地帯の北から勇払平野に流れ太平洋(噴火湾)に注ぎこんでいました。それが、支笏カルデラ噴火の火砕流で妨げられ、西に流れを変え、日本海に注ぐようになりました。火砕流で出来た勇払平野の下には、石狩川が刻んだ谷筋の跡が存在します。また、現在の千歳川が、当時の南下する石狩川本流でした。

火砕流は、勇払平野方向と石狩平野方向に二分しましたが、これが石狩低地帯形成の始まりです。

 

札幌にはかつて深い海の時代がありました。

約1000万年前から500万年前までの札幌市南区の豊平川沿いの砥山(とやま)周辺は、カイギュウやクジラが泳ぐ豊かな海でした。

その海の底に周囲の陸地から流れ込んだ砂や泥が堆積してできた地層が、「小樽内川層(おたるないがわそう)」や「砥山(とやま)層」と呼ばれる厚さ1,000mを超える厚い層です。

地層の間には当時の海に生息していた生物が閉じ込められ、化石として見ることができます。多くは貝の化石ですが、「カイギュウ」や「クジラ」などの脊椎動物化石も発見されています。

「生痕化石(せいこんかせき)」という生物そのものではなく、生物の活動の痕跡が地層中に残されたものも多く見つかっています。たとえば足跡、摂食の跡、巣穴、糞などです。

 

●泥炭地

石狩低地帯の大きな特徴は,河川蛇行が著しいことと厚い泥炭地帯が広大であることです。

屈曲が過度になると,こんどはショートカットが洪水時に生じ,切り離された旧流路は三日月状の三日月湖となって残ります.泥炭層は湿地で植物が未分解~半炭化の状態で積み重なって形成された地層です.沼沢地や湖沼のへりなど水分の多いところではバクテリアの活動が不活発なため,枯死した草や木は完全には分解されずにスポンジ状などとなって堆積します.北海道のような気温の低いところでは分解作用はさらに小さくて泥炭の形成が進みます.

狩低地帯における泥炭地は広大で,大部分は高位泥炭です。泥炭層の形成は5000年ほど前から始まり,年平均1mmほどの速度で堆積し,現在では約5mの厚さ,最大7mほどになっています。

この不毛の泥炭地湿原を、現在のような北海道の米の生産の7割を占めるまでにしたのは、明治以来の入植者の想像を絶する苦難の努力があって成し遂げられました。

泥炭(ピート)は採取して乾かせば燃料として使用できる一方で、山火事の延焼要因ともなる。

モルトウィスキーの香りを特徴づける重要な材料で、ピートの煙で麦芽を乾燥させ、そのいぶした香りが麦芽につくことによって、ウィスキー特有のスモーキーな香りが生まれます。

 

 

 

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『北海道の地質的景観』 全28回 完

 

 

(担当 G)

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