『北前船』 第6回 「北前船」と船主たち① | 奈良の鹿たち

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『北前船』 

第6回 

「北前船」と船主たち①

 

加賀出身の北前船主たち(小樽)

 

<北前船の繁栄>

北前船の発祥の地は北陸で、江戸時代に近江商人の運送請負から独立した船頭たちが、自ら荷を買い付けて自前の船で商才を育みました。

多くの有力な船主を出した福井の橋立・瀬越は大正時代に「日本一の富豪の村」といわれました。

船主たちの桁外れの収入を示す資料として、明治31年(1898年)の石川県小松税務署の「所得調べ」があります。それによると、有名呉服商で年間所得400円。有名医師で800円。有名酒造家で813円。旅館経営者と織物製造業者で956円。という記録があります。これに対して、北前船主の大家七平(瀬越)が26,500円でトップ。西出孫左衛門(橋立)が3,239円。久保彦兵衛(橋立)が2,440円。酒谷長平(橋立)が2,230円などと、他の職業とは比較にならないほどの高所得でした。さらに、この税務資料の明治の末には、北前船は既にピークを過ぎていたころであり、明治の初めの最盛期には北海道から東北、北陸、中国、瀬戸内、上方で、多くの船主が莫大な利益を上げていました。

 

<有力船主たちと近代への移行>

明治の中頃から、近代化の波の中で西廻り航路の衰退が始まりました。

それでも船主たちの中には、西洋型帆船や汽船へと乗り換えたのは少数でした。

運送経営から別の業種へ転換し成功を収めた人たちもいました。陸に上がって、蓄えた資財で金融や不動産経営をしたり、北海道に渡って倉庫業や仲買問屋になる人もいました。また北海道、千島、サハリンで北洋漁業に乗り出した人もいました。さらに保険業、鉱山業、発電業などで近代化の波に乗った船主たちもいました。

他方、北前船のまま続けて衰退していったり、事業に失敗したりして栄華を誇った屋敷が廃屋になった人たちも少なくありませんでした。

 

(函館)

西出孫左衛門(福井県 橋立):明治の中頃まで函館山を所有 西出山と呼ばれていた。

 

小樽)

 渡海二三郎(福井県 瀬越):後述

 大家七平(福井県 瀬越):後述

 西出孫左衛門(福井県 橋立):後述

 西谷庄八(福井県 橋立):西出孫左衛門とは親戚同士。二人で旧小樽倉庫本庫を建てる。

   

 

(青森)

安野屋素六(新渡戸傳)(川内):酒田~川内~江戸と米・材木・海産物を運ぶ。新渡戸稲造は孫。

 

(秋田)

越前屋(能代):国名屋号。能代を代表する廻船業の富豪。

平川孫兵衛(能代):和船・洋船で木材を運ぶ。大地主に。

田沼慶吉(北浦):秋田最大の北前船主。入道崎の燈台。海難事故で船を失い没落。

古河屋嘉太夫(土崎):若狭小浜出身。丹波茶の運送から廻船業に。

 

(山形)

本間家(酒田):早くから自前船で北前交易。日本一の大地主。「本間様には及びもせぬが、せめてなりたや殿様に」 

 

 

(佐渡)

石塚清九郎家(宿根木):佐渡~松前~新潟~敦賀~下関の間を北前交易。

浜田嘉平次(宿根木):佐渡~堺~瀬戸内~下関~蝦夷~大坂と船を走らせる。

船登源兵衛(岩谷口):蝦夷~大坂の間で廻船業。

 

(新潟)

市島次郎(新潟):北越地方の御城米輸送。千石船40隻。白山神社大船絵馬。

津軽屋(新潟):松前交易。

鞍屋伊藤家(越前鬼舞):越後米を北海道で売り、海産物を東北・北陸で売る。大地主。

 

(富山)

鶴屋善右衛門(堀田家)(伏木):伏木町長、県議会議長。作家 堀田善衛の出身。

秋元家(伏木):海運で成功し伏木銀行を設立。

棚田長助(伏木):材木運送から北海銀行設立。

綿屋宮林家(放生津):畿内の綿を北陸に。汽船会社設立。地元経済界名士。

道正屋馬場家(東岩瀬):富山県最大の資産家。松前との海運業。北陸五大船主の一人。

宮城彦次郎家(東岩瀬):米穀商。米・塩・海産物の売買。北洋漁業。

 

 

 

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次回は 第7回「北前船と船主たち②」

 

 

(担当 H)

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