『生物の変遷と進化』第36回
(最終回)
<10万年前>
(新生代/第四紀)
「ホモ・サピエンスの広がり」
・2,500万年前に、ヒトの祖先である類人猿が生まれた。
・1,200万~700万年前に、ヒトとゴリラ・チンパンジーが分岐した。
・700万~200万年前に、直立二足歩行の猿人がいた。
・200万~20万年前に、さらに進化し打製石器や火を使っていた原人(ホモ・エレクトス)がいた。
・30万年前に、われわれ現生人類にごく近い原人(ホモ・ハイデルベルク?)からホモ・サピエンスが生まれた。
・6~5万年前に、ホモ・サピエンスはアフリカを出て(出アフリカ)、世界に広がっていlった。
以上が、今日まで一般的に考えられていたホモ・サピエンスの進化です。
しかし、今のところ最も古いホモ・サピエンスの骨は、アフリカのモロッコで発見された30万年前の化石です。60万年前にネアンデルタール人と分岐してから30万年の間の化石がアフリカにないことや、数十万年前にネアンデルタール人とのあいだで交雑があったことなどを考えると、ホモ・サピエンスは、アフリカではなくユーラシア大陸で誕生したのではないかという説も成り立ちます。ユーラシア大陸で、ネアンデルタール人とホモ・サピエンスの共通の祖先(原人)が存在していて、そこで分離したともいわれています。そして、逆に30万年前にユーラシア大陸からアフリカに移動したホモ・サピエンスが、5万年前に出アフリカをして世界に広がり、片やユーラシア大陸に残っていたホモ・サピエンスは、ネアンデルタール人と交雑をしたあと絶滅したというものです。
30万年~10万年前のアフリカでは、様々なホモ・サピエンスとそれ以前の骨が各地で出土しており、このことから、多様な種が交じり合って今日のホモ・サピエンスが誕生したと考えられます。ホモ・サピエンスといっても、様々な種が生まれては消えていった結果、現代のわれわれがいるのです。
現在のイスラエルでは、ネアンデルタール人とホモ・サピエンス双方の化石が出土しており、研究上重要な地域なのです。6万年前に「出アフリカ」をしたホモ・サピエンスが、この地を経由して世界に広がっていきました。ただし、ギリシャ(21万年前)、イスラエル(18万年前)、中国(12万~8万年前)、東南アジア、オーストラリアでは、6万年前よりも古いホモ・サピエンスの化石が出ています。ということは、6万年よりも前からホモ・サピエンスの「出アフリカ」が繁茂にあったということになります。
なぜ、「出アフリカ」が6万年前から顕著になったのでしょう。
それは気候と関係が深いと考えられます。
6万~5万年前は、最後の氷河期にあたっていて、短い周期で気候が著しく変動していたことが最近の研究でわかっています。気温の低下で海面が最大で120m後退し、海岸線がはるか沖に移動し陸地での移動がしやすくなりました。その後、温暖化に向いましたが、5万年前から再び寒冷化に向いました。2万1000年前が寒冷化のピークで、最終氷期の最寒冷期とよばれています。
それ以降は温暖化し、人類は新石器時代を迎えて文明の花を咲かせていきます。
8000~7500年前には牧畜を始め、4000年前には農耕を始めました。農耕は食料生産革命であり、人口が増加し人々は世界に拡散していきました。
ホモ・サピエンスがアフリカを出て、ヨーロッパ・アジア・オセアニアと進出するたびに、既にいた原人や旧人が絶滅していきました。そして、人類のみならず大型動物(オオツノシカ・マンモス・ディプトロドン・マストドンなど)も絶滅していきました。
20種類以上いた人類種が、すべて完全に絶滅し、ホモ・サピエンス一種類だけが残りました。
ホモ・サピエンスが他の人類を絶滅させたと言えるのだろうか?
ホモ・サピエンスが他の人類を駆逐してきたのは、直接に攻撃や殺戮があったというよりも、ホモ・サピエンスが集団の力で獲物や食料をどんどん自分たちのものにしたことで、他の人類の生存危機を招いたことが原因ともいわれています。
ホモ・サピエンスとはラテン語で「賢い人」という意味ですが、欲望の発生部位である前頭葉を肥大化させた現生人は、必要量を超えた底なしの浪費型欲望を拡大させる本能が身についてしまった「欲張りな人」といえます。ホモ・サピエンスは、牙を持たずに無制限に他者を攻撃滅亡させる性格を持った動物だといえます。現代社会では、その欲望が原因で様々な争いが起こり、人類は欲望が原因で自滅するのではないかとさえ言われています。
「他者を滅亡させることによって、ひいては自らも滅ぶ」ということです。
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『生物の変遷と進化』全36回(完)
(担当B)
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