「光る君へ」ー第二回から今回(第六回)までずっとずっと永観2年(984)年でしたが、今回、途中でようやく、寛和元年(985)に進みましたね
永観二(984)年
寛和元(985)年
今回の大事件は、
・花山天皇ご寵愛の忯子が懐妊中にもかわらず、お亡くなりになってしまったことですかね
これをきっかけに、政治が動き、(ミチカネの暗躍によって)986年には花山天皇が出家する寛和の変へと進むのだと思いますが、
忯子のお腹の子を、兼家たちが呪詛したというのは記録にあるのでしょうか?(呪いたい気持ちはあったかもしれないけど)
それから、
・道長とまひろのラブコメ展開が一歩進んだ感があった(個人的にはこれ以上展開しないでほしいと思うけど、ラブコメ展開にしたほうが視聴率とれるわけ?)
左大臣家(源雅信)と右大臣家(藤原兼家)
前回、まひろが泣きながら夜中に帰ってきたことを、父為時は心配したのか(父親のオロオロはいつの時代も一緒)、こんなことを娘に言いました
↓為時「もう左大臣家の集いには行かないでよい」
ところで、左大臣家ってなんだっけ?
…と、何回見ても聞いてもややこしいこの時代の血縁関係
「藤原氏多すぎ」の中、左大臣家は「源」であり、系図を辿ると「宇多天皇」に行きつくお家柄なのです
まひろのお父さんは、右大臣兼家の配慮で花山天皇に漢詩などを教え、官位(なんの官位だっけ?)も取得した、いわば右大臣寄りの立場
ですが、
↓「源(左大臣家)とのつながり」もキープしたほうがよいと、逆に父に諭しています
左大臣源雅信は、娘倫子を「ことのほか」かわいがっており、
まひろが「左大臣家の集い」(倫子の女子会)で、倫子と仲良しになれば、
源とのつながりが深くなる、というわけです
一方、
右大臣家では、左大臣家の倫子との縁談を持ちかけられる道長(結婚するんだよなあ)
右大臣兼家も、左大臣家が宇多天皇の血筋であることにギラギラ
兼家「左大臣 源雅信は 宇多天皇の血筋」
「わしも 左大臣と手を結ぶことができればやりやすくなる」(ギラギラ)
駆け引き
花山天皇が即位した後、
藤原義懐が花山天皇の信頼を得て、力をふるっていました
花山天皇が即位したとき、外祖父伊尹、母懐子など周囲の血族はすでに亡く、
後ろ盾が薄い状態でした
そこで、権力を握ったのが義懐
義懐の出自は
↓当時の勢力図で確かめることができます(以前の記事に載せたものを一部改変)
この系図をみると、
義懐は、花山天皇の母の兄であり、溺愛する妻忯子の義兄に当たります
花山天皇が、頼忠や左大臣家・右大臣家よりも義懐を信用したのは、このためでしょう
ドラマで義懐は、若者世代を懐柔して、その親まで取り込もうとしたようです
ターゲットは、公任と斉信でした
公任の親は関白頼忠、斉信は忯子の兄
藤原行成が、義懐の「計画」を道長に教えてくれました
行成「明日の夜 義懐殿と公任殿 斉信殿が お会いになります」
行成「義懐殿のねらいは まずは 息子たちを懐柔し」
(今週もお美しい公任殿)
あら?道長は?
道長「俺は呼ばれておらぬが」
道長が呼ばれなかったのは
「我が右大臣家の排除ということか?」
義懐は、右大臣家を排除しようとしたわけです
排除される側の右大臣家も黙ってはいられない
道隆「斉信は(忯子の兄だから)わかるが、公任まで誘いにのったのか」
たおやかに語っていらっしゃるけど、そこは怒るところ
このころ、義懐家では、懐柔計画実行中
(ターゲットの隣に美人を付けていて、生々しいわ)
頼まれる公任と斉信(生返事)
惟成(花山の側近)「頼むぞ 公任殿」
公任「ああ…」
惟成「頼みましたぞ 斉信殿」
斉信「ええ…」
さて、義懐の若者懐柔策は功を奏するのでしょうか?
(あの生返事では、うまく行ったとは見えませんね)
義懐の計画の成功を懸念する右大臣家の道隆・道長兄弟
(こんな時、父兼家だけでなく、ミチカネも外されているのが悲しい)
道長「義懐殿(なんかに権力を握られるくらい)なら 父上のの方が ずっと良いと思いました(知らんけど)」
そこで、右大臣家(というか道隆)も、
巻き返し策をとることにしました
その策とは、公任、斉信を、道隆主催の漢詩の会に誘うことです
ただし、道長は、参加を固辞
道長「漢詩がなにより苦手でして…」
ほんと、ニガテそうな顔しとる(笑)
漢詩の会
というわけで、道隆邸で漢詩の会が開かれることとなりました
漢詩の会は、985年4月27日に開催予定だそうです(史実かどうか確認できませんでした…誰か教えて)
ちなみに、985年のこの頃の出来事といえば
1月に比叡山では天台座主良源(慈恵大師、元三大師)が没し、
尋禅が次の天台座主になります
この尋禅は、兼家の弟です
985年4月、ドラマで漢詩の会が開かれた月、比叡山横川では、源信が『往生要集』を書き上げています
漢詩の会には、講師(漢詩を読み上げる人)として、為時と清原元輔(出た!)が招かれたようです
漢詩の会の出席者は、
公任、斉信、行成
先ほど、義懐の懐柔をうけた公任、斉信と、
このことを道長に告げた行成の3人の若者が出席です
え?F4のうち、道長だけが除かれている?
まひろ心の声「道長様の名前はない」
道長は、漢詩が大のニガテだったため、名前がないのですよね
というわけで、まひろも父に同行して
漢詩の会に行ってみました
するとここで、
清原元輔とその娘ききょう(のちの清少納言)と出会うことになりました
ちょっと、わざとらしい「2人の才女」の出会いに、「そう来たか!」と思うと同時に、「うーーん」と唸りました
笛を吹いても美しい公任様
遅刻で駆け込んできた、道長
ここに、役者が揃いました
平安のアイドルF4によるライブです(視聴者よ喜べ)
・F4についての訂正
ところで、ここで脱線します
前回の記事で、「藤原のF4」と書いてしまったのですが、
正式には(正式ってなんだ?)、「平安のF4」が正解(正解ってなんだ?)でした
変な間違いをしてしまい、謹んでお詫びいたします🙏
ちなみに、前回の記事で、F4に絡めて、寛弘年間に「寛弘の四納言」と呼ばれる4人(こっちは歴史用語)が道長を助けて政治を行うことを書きましたが(じゃあこれを、「K4」とでも呼ぼうかねぇ)、
K4について、ひとこと
↓K4から「源俊賢」を抜いて道長を加えると、あっという間にF4になります
K4の活躍期はまだまだ先なので、今はF4を楽しみましょう
・寛和の歌合せ
それから、もう一つ脱線(脱線は続くよ、どこまでも♪)
現在のドラマの時期、すなわち985年から987年の寛和年間には歌合せ(漢詩ではなくて和歌ですが)が2回開催されました(こちらは史実)
歌合せの主催者は花山天皇で、花山天皇を巡って「和歌サークル」のような集まりが形成されていたんだそうです(前回も書いた、「内劣りの外めでた」で、花山天皇は政治にはあまりかかわらなかったけど、文化的な事業には熱心でした)
歌合せ
1回目 寛和元年(985)8月10日
(ドラマの漢詩の会の4か月後)
花山天皇と側近による私的性格の強い歌合せだったといわれています
出席者には、公任や、花山天皇側近の惟成も含まれました
2回目(「寛和二年 内裏歌合」)寛和2年(986)6月10日
判者は藤原義懐、
講師(左)を公任(F4)
出席者の中には、F4の行成を除く3名、公任、道長、斉信がいました
また、惟成も参加し、新しい作風の歌を多く歌っています
この歌合せから13日後には、花山天皇の寛和の変が起きることとなりました(ひぃ~っ)
この時、惟成も花山天皇と一緒に出家しています
で、話を元に戻して
漢詩の会
藤原行成
花の前で酒を酌み 君のことを思う
君とは 去年の春に別れ
今また 春が来る
君がくれた この銀の盃は
送り主が立派なので
あえて勧める人もいない
藤原斉信
藤原道長
下賜の酒は 十分あるが
君をおいて 誰と飲もうか
宮中の菊花を手に満たして
私は ひとり 君を思う
君を思いながら 聞くの傍らに立って
だから、ラブコメ入れるのやめてくれ~
藤原公任(お美しゅうございます)
酒の酔いに任せて
詩を吟じていると言ってくださるな
唐の太宗の治世が 目に触れるところ
全てに現れているのだから
F4たちの詠んだ漢詩の解釈
とくに義懐に懐柔された、公任と斉信の歌の解釈をどうしたらよいのか
よくわかりませんが(公任の歌など、花山天皇の治世を肯定しているように思えた)
この漢詩の会により、
彼らが、義懐側ではなく、道隆側(右大臣側)につくことを決めたようです
ただし、道長だけは「お前が好きだ、イェイ」と歌ったように聞こえたのは気のせいか?
↓公任、斉信が、道隆側に着くと話し合った瞬間
で、この会に参加して、
「私はそうは思いませんワッ!」
って、超生意気な感じの発言をした ききょう
まひろの空気の読めなさや生意気さとは比較にならないほど
やな女だったなあ…(ウイカさんは好きですけど)
女子会で絶対に仲良くしたくないタイプ
そんな女子会、今回はどうだったんでしょう?
ほのぼの女子会
今回の女子会、見る側も慣れてきたのか、
倫子さまの可愛さの炸裂っぷりに、ほのぼのしました
↓「父上のお顔に にわかに ほくろが出来たのかと思いましたら」
「ハエでしたの」(倫子さまのお顔が楽しそう)
「普通 このあたりに虫がいましたら 気になりますわよね」
「何も感じない父上は どうなさっておられるのかしら」
「内裏でのお仕事は 鈍いくらいでないとね」
「フフフフ…」
平安美人の倫子さま
本当にかわいらしい深窓のお姫様です
付き合って、苦笑いするまひろ
まひろはなんとか
溶け込みかけているとして…
ここに
ききょうを呼んではいけませんよ!
「わたくしは そうは 思いませんわ」
って言われちゃうから
忯子の死
今回のドラマで花山天皇にヘンタイ的に寵愛された忯子
寛和元年(985)8月7日、懐妊中に亡くなりました
うわー
どうする、花山
ラブコメやめてくれ!
月を見ながら物思いにふけり、
やおら墨をする道長
こちらも、
同じ月を見ながらボーっと座る まひろ
(これは運命的なkoi-wazuraiか?)
道長が描いた歌がまひろに届いた
道長フォントが画面いっぱいに広がるほど、
恋煩いしているの?まひろちゃんたら!
「ちはやぶる神の斎垣も越えぬべし 恋しき人のみまくほしさに」
いやいや、だから、この二人に恋愛させるのやめようよ
道長は、そのうち倫子と結婚するのに
まひろがかわいそうですよ!
そうだニャ~ン
三角関係もやめて
そういえば、直秀もまひろのことが好きなのかもしれない
こんなシーンがありました
なにこの展開?
韓流ドラマですか?
ここは日本の平安時代ですよ!
ラブコメはラブコメで楽しみたいのじゃ
史実と絡まると、ややこしいぞ