10月14日、前回の記事で書いた「高月観音まつり」の前日、
学友と東近江市にある瓦屋禅寺と石馬寺に行きました
どちらも秘仏公開中です
(これも学友の計画なので、もう彼女に足を向けて寝られません)
会いに行ったのは、こんな仏像たち↓
瓦屋禅寺
十一面千手千眼観音菩薩立像(重文)
石馬寺
特別大開帳ポスター
こちらは通常も公開の石馬寺阿弥陀如来坐像(重文)
その日、学友は関東地方から始発の新幹線で関西入りの予定です
瓦屋禅寺へのアクセス方法は、
JR京都駅から琵琶湖線に乗り能登川駅で下車、そこからタクシーを使うこととしました
↓能登川駅についたのが午前9時14分
駅前に和菓子屋があったので、いきなり脱線(大丈夫か?)
きんつばを買いました
↓瓦屋禅寺や石馬寺へ京都から行く場合、
JR琵琶湖線能登川駅がよさそうですが↓
(能登川駅が左上、瓦屋禅寺が右下の赤いところ)
実は瓦屋禅寺の最寄りの駅は、近江鉄道の八日市駅なのです
でもね近江鉄道って「それどうやって乗るの?」ってくらいわからないのよ
なので、京都からそのままJR能登川駅に行き、
そこからタクシーに乗ったわけですが、どうやらJR沿線と近江鉄道沿線では文化圏が違うらしく、タクシーの運転手さんは瓦屋禅寺をよく知らなかったらしい(悲劇の始まり)
上のグーグルマップを見ると、瓦屋禅寺へのアクセスは、八日市駅側から山道を登るように見えます
ところが、タクシーの運転手さんがこのお寺を知らないものだから、それよりずーーっと手前の平地で、人だかりができているところで私たちを降ろしてしまったのです
私はグーグルマップをチェックしながらタクシーに乗っていましたので、あれ?とは思いましたが、地元のタクシーさんがここで降りろというなら、きっとあっているのだろうと思って下りてしまった
↓タクシーを降りたところ
タクシーの運転手さんに悪気があったわけでないことは重々理解しております
ただ、知らないことは知らないと言ってほしかった
このことに限らず、自分が知らないことをはっきりと知らないという勇気って大事だと思います
この場所、一時的に人がたくさんいました
おまけに、ヒラヒラとのぼり旗がはためいていました
これは、お寺の入り口か?と思っても仕方ない(のかな)
たしかにこの地点は、瓦屋禅寺の正式な入り口でした
↓立派な石造りの石柱に「聖徳太子創建古刹 瓦屋禅寺」とありますし、
のぼり旗には何やら聖徳太子の横顔みたいな絵と「近江の聖徳太子」などという文言も踊っています
でも、今考えても、瓦屋禅寺へ行ってくださいと言われたら、山道を登ったところまで乗せるのが普通だと思います
人がたくさんいると思ったのもつかの間、ほんの3分後には誰もいなくなってしまいました
一人のおじさんが、帰り際に「あんたたちはここから登るの?」と聞いてきました
「タクシーにおろされた」と答えたところ、「ええっ?」っと憐れむような顔つきになり「この階段は、千段あるよ」ですって!
せ、せ、千段?((((;゚Д゚)))))))
聞いてないよー、知らないよー
驚愕する私たちに畳みかけるように
「途中に柵があるからしっかり閉めてね。イノシシが出るんだよ」
イ、イ、イノシシ?((((;゚Д゚)))))))
イノシシって、あの猪突猛進の?
私「イノシシ出るんですか?」
おじ「うん、そう。僕たちそれで困っているんだよ。だから、イノシシが外に出ないように、門をしっかり閉めてね♪」
な、な、なんですと?
私はてっきり、これから千段の石段を登る私たちがイノシシに襲われないように、外部からのイノシシの侵入を防ぐため、柵を閉めるのかと思ったら、
これから千段の階段を登る私たちとイノシシを閉じ込めるための柵だったのだ…
いや、そこまでいうと曲解かもしれないけど、
とにかく、(一応)私たち、都会から来てるんです
イノシシなんて、現実世界で見たこともあったこともないんです
なのに、これからイノシシの影にもおびえながら、千段の石段を登るって、なんかの修行ですか?私たち、何かしでかしましたっけ?ただでさえ、アラカンおばさん二人、千段の石段の途中で心臓発作起こすかもしれないのに、そこにイノシシが突っ込んでくるんですか?(さっきのタクシーめ!)
そんな私たちの不安そうな(不満そうなかな)顔を見ておじさんは
「大丈夫、イノシシは夜行性だから」
とほほえみました(知るかよ)
さて、もう千段登るより他に選択肢のない私たち、
頑張ることにしました
↓石段を登る人のために説明板もありました(もう内容が入ってこない)
↓こうやって写真で見ると、のどかな勾配ですが、そんなことなかったです
↓これが、その「柵」
さて、イノシシが走り回るかもしれない、千段の石段ワールドへ突入です
そうはいってもここは表参道
↓「あー、何年も行ってないけど、東京の表参道がなつかしい)
ちょっと読んでみましょうか
「聖域である境内と外界との境界として門があった」ですって?
いやいや、「イノシシの住む境内と外界の境界として柵がある」でしょ
それから、なになに?
「お車を利用される場合は、八日市駅の裏にある……5分程で…駐車場に行くことができます」って、
今更何を書いているんだよ
↓途中にナンバリングされた古墳の跡がありました
↓深山幽谷( feat.イノシシ)
↓焔魔堂跡…車で行く人が多くなり石段利用者が減ったため、
移設されたそうですよ
↓聖徳太子の腰掛石
↓石垣(僧房跡)
↓かなり登ったところで、道が「表参道」「裏参道」の二手にわかれます
↓表参道を進む
↓今度は弁慶登場!
↓あれが「比べ石」だと思いますが、そこまで行く元気がなく、遠望です
↓さらに石段が不規則になってきて登りづらい
↓磐座だそうです(それどころではない)
↓登頂!(こんな写真しか撮れなかった)
少し休んで息を整えてから、拝観料を納めます
(すごそこに駐車場が見えて恨めしかった)
「瓦屋禅寺」の名称の由来は、聖徳太子が大阪四天王寺を建てる際、この山の土を使って瓦を106,000枚以上焼いたことにあるそうです
赤いよだれかけのお地蔵さん
↓閻魔堂(石段の途中に移転前の石垣があったよね)
閻魔さま
山なので、段々状に伽藍があります
見上げたところにあるのは経堂、周りが少しだけ紅葉していました
↓本堂に向けて、また石段を登る
↓本堂
↓本堂に入る手前に「だるま重軽石」なるものがありました
↓願いをこめて持ち上げます(何のお願いをしたの?)
↓本堂手前、こちらは賓頭盧堂のお賓頭盧さま
↓あらためて、お化粧した本堂
秘仏
十一面千手千眼観世音菩薩像 160.5㎝
別名「疱瘡観音」(芋観音)
50年ぶりの開扉です
聖徳太子が斧で一刀され彫られたんだそう
(聖徳太子制作と言われていますが、wikiには平安後期の像とあります)
カヤ一木造、
リアルに千本の手(令和3年度の修理で確認)
掌の一つずつに眼が描かれているそうです
(そんな「手」を道明寺展で買ったことがある)
引き締まったお顔、赤い唇…どこか、京都寿宝寺の千手観音像と似ている雰囲気
こちらは
↓寿宝寺 千手千眼観音菩薩像(平安後期)…一部の手に眼が残る
同じ平安後期だとすれば、時代が同じために似てるのかしら?
↓駐車場横の説明板を最後に見て、車道を徒歩で下山します
下山途中で下界が見えた(これを一気に登ったわけだ)
栗の実がはじけていました
下まで降りると、瓦屋禅寺「別院」であったという松尾神社がありました
松尾神社から八日市駅までの短い距離は、「飛び出し坊や」密集地域でした(滋賀県、飛び出し坊や急速に増えてる説…再び)
近江鉄道八日市駅…信号カラーの電車が止まっています
え?ちょっと待って!
駅表側に、こんな案内図がありました↓
額田王と大海人皇子のやりとりを表した万葉集の歌です
↓額田王
で、ここから石馬寺へ行くわけですが、瓦屋禅寺でお坊さんにご相談したところ、八日市駅から能登川駅行のバスに乗りなさいと言うことでしたので、バスの時刻表を確認します
↓本数少ないけど、鎌倉で普段使うバスと同じ頻度
で、八日市のそこらへんで昼食を軽く済ませて、バスにのり、バス停「石馬寺」で降車しました
↓バス停直ぐのところに、こんな石柱がありました
このあたりに案内のおじさんが数名いて、
私たちに向かって「300段の石段があるから気を付けてゆっくり行きなさい」とにやっとしながら教えてくださいましたが、
「300段?そんなの楽勝よ♪」と心の中で思いました
何しろ、先程1000段の階段を登った私たちですからね!(自信ありすぎ)
それに、今度はイノシシはいなさそうです
↓狭い道を進むと、ささやかな駐車場があり、またまた石馬寺と書いてある
(この筆跡は聖徳太子のものらしい)
↓さて、本日、1001段目の階段でございます(しつこいようですが、先程千段登っておりますからね)
瓦屋禅寺の石段より登りやすい石段でした
↓登り終わったあたりには六地蔵みたいな石仏
青組と紅組に分かれていましたよ
↓小さな庫裏です
↓今回は、70年ぶりの大開帳ということではるばるやって来ました
https://www.chunichi.co.jp/article_photo/list?article_id=553369&pid=2687395
HPからお写真お借りしてみますね
70年ぶりの
↓御本尊千手観音立像
お厨子に納められたとてもとても小さなお像です(よく見えなかったくらい)
伝快慶作といわれるそうですが、それよりずっと前の聖徳太子作という話も伝わるそうで、どちらにしてもありがたいお像です
↓脇侍 地蔵菩薩立像
↓脇侍 毘沙門天立像
脇侍の2像は共に運慶作と伝わるそうで、どちらも小ぶりのお像です
毘沙門天像はお顔が見えやすかったのですが、
さすが運慶作と伝えるだけあって、良いお顔立ちのお像でした
70年ぶりの特別公開でしたが、これは現在のご住職の御尽力によるもので、
今後の公開の予定は今のところないようです
↓こちらも、千手観音像の画像
https://www.chunichi.co.jp/article_photo/list?article_id=553369&pid=2687395
さて次は通常も公開されている収蔵庫にいらっしゃる仏像たちです
私はいつの日かこのお寺の仏像を拝観したいと思っていたので
今回お会いできてよかったです
収蔵庫内部
↓阿弥陀如来坐像(重文)平安時代 274㎝
この阿弥陀如来像は、平等院鳳凰堂阿弥陀如来像と同様に「弥陀の定印」を結ぶ丈六像で、平等院像の作風の流れを汲む「定朝様」のお像です
↓斜めからみあげる
(上2枚、絵葉書)
衣が薄く、流れるような衣文線を描き、正面から見ると安定感のある仏像です
穏やかな表情のお顔です
平等院像よりは、ちょっと平坦なお顔です
こちらの収蔵庫には、阿弥陀の両脇にとてもよく似た2体の十一面観音菩薩立像がおられました
↓向かって右側の十一面観音立像(159.2㎝)
↓向かって左側の十一面観音立像(167.8㎝)
一見、とてもよく似た、穏やかなお顔の十一面さまたちです
でもよく見ると、体勢や衣文など、かなり違いがあります
由来がわからないのですが、下の写真の十一面のほうが衣文が深い(しかも翻波式で渦文を持つ)ので上の写真の十一面よりも制作された時代が前なのかなと思います
上の写真の十一面が平安後期、下の写真の十一面が平安前期から中期位の感じでしょうか?(知らんけど)
見比べてみてくださいね
↓そしてナゾの仏像たち
収蔵庫では、阿弥陀を中心に向かって左側に、そっくりな体勢をとる大小二体の二天像がおられました
↓同様に、阿弥陀の向かって右側にも大小二体の二天像
(上2枚『近江若狭の仏像』)
この4体、どれも平安時代の重文だそうです
お寺のパンフには(どれがどれに該当するのかわからないけど)持国天2体、増長天1体、多聞天1体(持国天はダブり、広目天はいない)とリストのみが書いてあります
また、手元にあるガイド本(『近江若狭の仏像』)には(書き方に混乱がありますが)大きい二体が持国天と増長天で、小さい二体が広目天と多聞天と書かれています
仏像の手先は(破損しやすいので)後補かもしれないから、持物で判断するのは危険かもしれませんが、下の写真の向かって左側は「塔」を持っているので多聞天かと思います
その他の3体は何なんでしょう?パンフとガイド本で何故くい違いがあるのでしょう?
改めて写真をよく見ると、現場では「二天」と書かれた名札が置いてあるようなので、まあそのくらいのグレーな決着がいいのかもしれませんね
↓それからこちらは、
大威徳明王(重文)平安時代
(『近江若狭の仏像』)
あっ!ちょっと見てください!
牛くんが、これからお出かけのようです
「よっこらしょっと」(かわいいなあ)
ではここで、質問です
みなさん、この牛くんがどこに行ったかご存知ですか?
↓
↓
↓
↓
答えは、
醍醐寺でーす♪
ほらね
↓醍醐寺閻魔天騎像
(『醍醐寺のすべて』展図録)
やっぱり、かわいいなあ
なんと、牛くんは近江の国からわざわざ京都の醍醐寺までやって来たのです
そして、ホッとしたのか、落ち着いて猫の香箱座りみたいな座り方をしています
ではインタビューしてみましょう
「牛くん、醍醐寺まで来て、ご主人さまを変えたの?」
牛くん「モー、石馬寺では、大威徳さまが怒った顔して、いっぱいある手にいろんな武器を持って、ボクのお尻を引っぱたいて怖かったから、
醍醐寺に逃げてきて、優しい顔で、手が2本しかなくて、何も持ってない焔摩天さまに仕えることにしたんだよ」
だって…(うそです)
↓役行者
「牛は修行が足りんのう…」
というわけで、
お後がよろしいようで…
参考文献
・お寺のパンフ
・『近江若狭の仏像』(JTBパブリッシング)