水彩画とスケッチ | 奈良大好き主婦日記☕

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鎌倉在住
奈良や仏像が好きで子育て終了と共に学び直し大学院博士課程修了、研究員になりました。
テーマは平安後期仏教美術。

明日香村、山の辺の道等万葉集の故地が好きです。
ライブドアにも書いていました(はなこの仏像大好きブログ)http://naranouchi.blog.jp

早いもので、父が亡くなってから2週間が経過した

長い2週間だった

葬儀をはじめ、いろいろと「やるべき事」があり、次から次へとそれらをこなすのに精いっぱいの2週間

きっとこういった煩瑣な手続きは、遺族の悲しさをやわらげるために「ワザと」仕組まれたものだとさえ思われた

 


そんな折、私の40年来の付き合いの、親しい友人からメールをもらった

彼女は、医大生時代に父親をくも膜下出血で亡くし、その後精神科医になった人で、メールにはこう書いてあった


「今はまだ気が張っているでしょうが、後からぽっかり穴が開いたような寂しさを感じるかもしれません。

そこにいつも居た人が、何処を探しても居ないという現実を、受け入れられるには、かなり時間を要するかもしれません。

でも、お父様は〇ちゃん(私のあだ名)の中に生きています。

遺伝子としても、記憶としても。

だから、(〇ちゃんにはないと思うけど)挫けそうになったり、失望して世を儚んでしまったりする時にも、自分を大切にすることがお父様を大切にすることなんだと思います。」

 


…さすが、精神科医だ

そして、私のことをよくわかっている


彼女のいうとおり、今はまだあまり実感が湧いてこないのだ

でも、彼女が私に語りかけてくれていることは頭では理解できる

 

彼女自身、お父様をなくした体験から、こうも言う


「人間誰しもいつかその日を迎えるわけで、彼方に行けば又会える、それまで少しの時間のお別れなんだと考えるようになりました。

この世で生きている時間、できる範囲で、何か自分ができる事をしていけばいい。そう思いました。」

 

私もきっと喪失感に襲われる日が来ることだろう

彼女の言葉は、私が喪失感に襲われたときにきっと支えとなるんだろう


 ありがとう

 



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父は、もともとは「超真面目なサラリーマン」だった

その超真面目時代に、自宅でたくさんの論文を書き、

それがある出版社の目にとまって、本を出すことになった


その本が時流にのり、売り上げが日本で一番の日々が続いた

私はその頃、大学生だった

毎日大学からの帰り道に八重洲ブックセンターに寄り道し、入り口に設置された本棚に、売り上げ順に並べられた本のトップに父の書いた本が鎮座するのを眺めて喜んでいた(中身は一度も読んでないけどね…)

 

その後、今度はその本がきっかけとなり、父はサラリーマンから、さる大学の教授に引き抜かれた


数校の大学で教鞭をとった


これは、私が結婚して海外生活や子育てに追われる時期と重なっているため、具体的な記憶はあまりない

 

父は、この大学教員時代に、山登りを本格的に学習し、世界中の山に登り始めた(らしい)

父の山登りついても、私はたいして記憶していないが、そのわけが遺品整理をしている今、明らかになった


それは、父が大学からの給料を「こっそり」ながら「ごっそり」山登りに当てていたということだ


その頃たぶん70代初め頃の年齢だった父は、フラーっと海外の山に出かけて、フラーっと帰国し、国内でも丹沢やら何やらの山々に登っていたらしい


 

父は記録魔でもあった

世界各地の山登りの際のメモ、スケッチ、パンフレット、チラシ、ガイドブック…をすべて保存していることも遺品整理の過程でよくわかった


そして、登った山を題材にして水彩画を描いては展覧会に出品していた


父の雑然とした部屋のあちこちからいろいろなものが「出土」し(考古学)、父の所業が明らかになってきているのは面白く、腹立たしい

 



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水彩画を描いたのには、背景がある


父の母方の父(父の祖父)は水彩画を描いていた人で、名前は書けないが、その道ではそこそこ知られた人である

その影響をうけ、父の母(私の祖母)と父自身も水彩画をたしなんでいた



最近は、山登りと水彩画をセットで行っていたようで、山を描いた水彩画が何十枚も部屋にある


そしてそれらの保存方法がよくわからなくて、困っている(どうしたものかねえ)




父の母が描いた絵



父が描いた絵(10年位前、絵を本格的に習い始めた頃、どこかの山→調べればわかるけど面倒)





この数年、父は、父の祖父の水彩画家について、いろいろと調べていた

理由は自分が描く水彩画のルーツを知る為だそうだ


で、大学教員だったころのクセが出たのか、調べたことに基づいて、論文を書き始めていた


その画家の作品を、現地の美術館や、自分の生家(ここに美術館よりも良い作品がたくさん秘蔵されてるんだなぁ…秘密だけど)に調査しに行ったりもした

私も記録係として、同行した(面白かった)


その論文の、「総論」に当たる部分を書いたところで、父にガンが発覚してしまった


調査の結果を織り込んで、各論までどうしても書きたかったのに、残された時間がなくて残念だと、父は繰り返し言っていた


そしてある日、私に向かって

「お前が続きを書きなさい」

と言い出した

それから何度も同じ命令を受けた(困った)


私も、呼吸が粗く意識が遠ざかる父の耳元で

「論文の続きをやるから」

などと口走ってしまったのだけど、

そして、父は薄れる意識の中で強くうなづいたのだけど、

私は仏像については何十年も見てきているのでそれなりに知ってるつもりだけど、

水彩画については知識もないし、えらいことになったと内心途方に暮れている

 

私のそんな内心の話はともかく、

今は、父が自室に残した「ガラクタ(これがマジにガラクタなんだわ)」と「旅の膨大な記録」と「水彩画」と父の「大学生時代の教科書ノート類」と、それからなんだっけ?…、とにかく「なんにも捨てないで、ほったらかしにする人」の部屋の遺品整理に頭を悩ます日々でもある

 

 

記録魔の父は、フェイスブックはもちろん、ブログを少なくとも2つ書いており、

今朝早く目が覚めた私は、父のブログを初めて読む気になった


…私が思ったよりも、ずっと家族想いの父だったことが改めてわかった


口に出して言ったらよかったのに…

 

 


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 父の部屋の「発掘」の結果、クリップてとめられた裏紙のメモ紙に、戦争中の記憶を描いたと思われるスケッチを発見した


ちょっと載せてみるので、話のついでに見てやってください(もしかすると、父がどこかで発表したかもしれないとも思いますが、なんせ裏紙のメモ紙のスケッチなので…)