仏の三十二相と阿弥陀の四十二相 | 奈良大好き主婦日記☕

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鎌倉在住
奈良や仏像が好きで子育て終了と共に学び直し大学院博士課程修了、研究員になりました。
テーマは平安後期仏教美術。

明日香村、山の辺の道等万葉集の故地が好きです。
ライブドアにも書いていました(はなこの仏像大好きブログ)http://naranouchi.blog.jp

 
皆さんお元気ですか?
 
最近の私は基本的に家にこもる生活ですが、
昼間は人のいない山道を歩いています
こんな時、鎌倉のほどほどの田舎に住んでいて良かったと思います
(今は、鎌倉や湘南にサーフィンしに来ないでね♥)
夜はYouTubeで一時間程、ストレッチとかスクワットなどしております
(おそろしい光景です)
この年になると、適度に運動しないと、それはそれで体調が悪くなるから、気を付けないといけないと思っています
新型コロナが一日でも早く終息することを願ってやみません
 
 
 
ところで、そんな前置きとは全く無関係なのですが、今回は、
仏の三十二相と阿弥陀の四十二相について書いてみようかなと思います
ちょっとマニアックですが、いつもの通り、私が書く内容は特定の宗教などとは関係なく、
できるだけ学術的寄り(のつもり)で、しかし読みやすいというふうにしたいと思います
論文とは全く違うジャンルでもあります(誰も論文だとは思わないから心配ないか…ねー
 
この「仏の三十二相」というのは、お寺巡りが好きな人はご存じの方が多いと思います
 
もし、三十二相といわれてピンとこなくても、
仏像の指の間にある水かきとか、額にある白毫とか、偏平足の足の裏に書かれている模様とか言われれば、「ああ、あれねウインク」と思うと思います
 
他方、それより10も多い、「阿弥陀の四十二相」については、
「なんだそれ?」と思うかもしれません
 
32ですら多すぎなのに、42って何なのさ?
と思う方、
これからそのことについて順を追って書いていきたいと思いますので
お茶でもすすりながらお読みくださいお茶お団子(←団子もサービスでつけてみた)
 
 
1.仏の三十二相
⑴ 概要
まずは、仏の三十二相についてです
御存じの方も多いと思います
上に書いたように、例えば、
仏像の額にある白毫相、
両手の指と指の間にある水かき(縵網相)、
偏平足の足の裏に描かれている模様(千幅輪)など、
仏(如来)の身体的特徴を32個集めたものを三十二相といいます
 
しかし、さすが仏様、
もうちょっと特徴があるようで、
さらに80の項目について、仏の身体的特徴をさらに詳しく述べたものを
八十随形好(八十種好)」
といいます
これらを合わせて、「三十二相八十種好」といいます
 
三十二相の例を画像で見てみます
・薬師寺薬師如来像の縵網相(指と指の間に水かき状の膜があります)
 
指の間の水かきというと、ちょっと、カエルを思い出しますね~カエル(冗談ですっにやり
 
・薬師寺薬師如来像の千幅輪
千幅輪は足裏真ん中の「輪っか」模様ですが、そのほかにもごちゃごちゃといろんな絵が描かれていますね
 
仏の三十二相については、仏像に関する本ならどんな本にでも書いてあると思うのだけど、例えば私の手元にある本で、
↓『仏像入門』(洋泉社MOOK、2018年)という本を見てみることにします
 
 
この本の一番後ろについている別冊「仏像の見方がわかるポイント15」を見てみると(この別冊、どうやっても取り外せないんですけど…)、
 
別冊の中には、お釈迦様の三十二相として、三十二相があげられています
 
 
説明文もつけられています
 
この説明によれば、仏さまが特徴的な表情をしているのは、仏像の仕様書でもある「三十二相・八十種好」によって仏像が制作されているからと読み取れます
 
三十二相の例として説明されているものは、次のようなものです
・金色相…全身が金色に輝く
・丈光相…体から一丈の光を放っている
・細薄皮相…皮膚は薄くなめらか
・上身獅子相…上半身は獅子の如く堂々としている…
この辺までは、「あぁそうだなニコニコ」と思えるような特徴なんですが、
話はだんだんグロテスク(?)な展開となり、ちょっとそれを仏像の表現に取り込むのは無理だろうというものも出てきます
 
例えば、
・四十歯相…歯の数が40本
・牙白相…上下四本の牙がある
・大舌相…舌が大きく、顔全体をおおう😱
「歯が40本」もちょっとアレだけど、なんといっても舌が大きくて、顔を覆うことができるくらいのサイズだとすると、ちょっともう友達にはなれないかもしれない(友達になろうとしてたんかい)
 
足の特徴では、
・足下安平立相…偏平足
・足下二輪相…土踏まずのところに千幅輪と呼ばれる歯車状の大きな紋様がある
…などがあり、これは上の薬師寺金堂薬師如来像の写真のところに書いた特徴です
 
三十二相についてもっと詳しく知りたい方は、上にあげた表を拡大してみてほしいのですが、具体的な項目は経典により多少の違いがあり、全て固定されたものではないことはちょっと気を付けた方がいいと思います
 
⑵いつから?
ところで、上の本の記述では三十二相を例えて、「仏の仕様書」などと書いていましたが、
実はこれ、仏像が造られるよりも前に考えられていました(だから気持ち悪いのが入ってるのか…にやり
 
古くはインドの『中阿含経』の中にある「三十二相経」に書かれいたそうで、
また、大般若経、大集経、無上依経、報恩経、優婆塞戒経など多くの経典や、
龍樹の『大智度論』等にも説かれています
 
日本に三十二相が伝わったのは、奈良時代かそれ以前か、よくわかりませんが、
薬師寺の金堂薬師三尊像だけでなく、たしか法隆寺金堂釈迦如来像にも縵網相があるので、
ずいぶん前から伝わっていたということかもしれません(誰か教えて)
 
その後、日本では、比叡山において叡山浄土教が発展し、『摩訶止観』に説かれた常行三昧の中に阿弥陀の三十二相を観想する方法が取り入れられました(いきなりややこしくなりました)
 
なので、(三十二相の具体的な内容に若干の異同があったとしても)仏の特徴である「三十二相、八十随形好」に(できるだけ)従って、仏像が造られたということができると思います
 
ひらめき電球ところが、この三十二相に、さらに10の特徴が加えらえ、四十二相が登場するのですねー
 
それを行ったのは、源信です
 
源信は『往生要集』の編纂者ですが、『往生要集』の中で、三十二相に10の特徴をプラスして、四十二相として阿弥陀仏の特徴を説いているのです
 
 
2 阿弥陀の四十二相
⑴『往生要集』
 さて、ここから、阿弥陀の四十二相について書きたいと思うのですが、
その前に、まず、『往生要集』について軽く整理しなければなりません
 
『往生要集』は、
 
極楽に往生するためにはどうしたらよいか?
 
というテーマについて、いろいろな教典類からさまざまな方法を抜き出して編纂された
「極楽往生のための解説本」です
 
著者は源信です
源信↓
源信は、奈良県当麻の出身ですが、比叡山横川で修行をした学僧です
 
往生要集上巻↓(向かって右ページには目次も書いてあるんですよね~)

 
『往生要集』で有名なのは、もちろん、最初の章(大文第一 厭離穢土)で、
そこには前世の行いによって地獄・餓鬼・畜生道などに堕ちてしまうとどのように恐ろしい世界が待っているかを具に描写しています
地獄の様子などは、当時描かれていた絵画でも広く知られていて人々の関心を引きますが、
このブログを読んでくれている皆さんは、きっと善い行いの人だろうということで、
厭離穢土の部分はスルーしますね
 
で、改めて『往生要集』の章立てをみると、こうなります
 
大文第一 厭離穢土 
大文第二 欣求浄土
大文第三 極楽証拠
大文第四 正修念仏
大文第五 助念方法
大文第六 別時念仏
大文第七 念仏利益
大文第八 念仏証拠
大文第九 往生所行
大文第十 問答料簡
 
と、このようになっています
 
⑵ 阿弥陀の四十二相
源信は、この『往生要集』を、いろいろな経典類から文章を寄せ集めて編纂していることは上にも書きましたが、
極楽に往くためには、阿弥陀の姿を観想することと念仏を唱えることが大事と言っています
 
なので、阿弥陀の姿を観想するために、その外観の特徴については必然的に詳しく描写した部分が多くなっています

それが、端的に表れているのが阿弥陀の四十二相です
 
 
阿弥陀の四十二相が説かれているのは上の『往生要集』の章立ての中の赤字の部分、すなわち大文第四「正修念仏」というところです

ここはさらに細かく章立てされており、
「第四 観察門、別相観」というところに四十二相の記述があります


大文第四 正修念仏
  初 礼拝門
  第二 讃嘆門
  第三 作願門  
  第四 観察門  
       初 別相観←ここ
       ニ 惣相観
       三 雑略観
  第五 廻向門
 
このように、別相観に四十二相が説かれているわけです 
そして、この四十二相というのが、
これが古くから伝わる「三十二相」に10相を加えたものなのです

次はその内容について考えてみます
 
⑶三十二相と加えられた十相
先に書いたように、仏の外観についての特徴は「三十二相・八十種好」として、とても古い時代から唱えられていました

それは経典から経典へ引き継がれ、日本にまで伝わっていました
 
比叡山では、円仁作ともいわれる『例時作法』の中に三十二相が取り入れられ世間に知られていたとされています

この円仁作ともいわれる『例時作法』と、源信が書いた『要法文』(『往生要集』が書かれた985年の翌年、986年の著作)に書かれた三十二相はぴったりと内容が重なります

また、『例時作法』と最大の仏典である大般若経という代表的な経典に説かれた三十二相もぴったりと重なります(順番は違うのですが…)
 
つまり、こういうことです↓
大般若経の三十二相(一般的なもの
= 円仁『例時作法』三十二相(比叡山)
= 源信『要法文』三十二相
 
 
それなのに、何故か『往生要集』だけが、10相多い四十二相を採用していることになります
 
源信『要法文』(986年)三十二相
源信『往生要集』(985年)四十二相
 
 
 
それから、もう一点、問題点(?)があります
それは、
『往生要集』の四十二相中の三十二相は、大般若経の三十二相と完全一致せず、28相のみが一致し、残りの4相は大般若経の八十随形好(八十種好)と一致する
らしいのです

すなわち、
『往生要集』四十二相のうちの三十二相
=大般若経の三十二相のうちの28相+八十種好4相

 
 
ん?(°▽°)??
 
 
ついてきてますか?
混乱しましたか?にやり
 
ま、こんなことイキナリいわれても、ワケワカメだと思いますので、とりあえず、『往生要集』の四十二相を順番に並べて、そこに対応する大般若経の三十二相と八十種好の順番を数字でカッコ(  )の中に書く、ということにしてみますね
それから、『往生要集』独自の10相についても、その都度、(  )で指摘してみたいと思います
 
(ややこしけど汗、とりあえず、やってみよう!上差し)
 
 
では、スタート!
 
往生要集観察門別相観「阿弥陀の四十二相」です!
1 頂上肉髻(これに対応するのは大般若経の「三十二相」の32番、以下番号のみ)
2 頂上髪毛(12番)
3 髪際五千光(『往生要集』独自の10相)
4 耳厚広長(大般若経の「八十種好」42番)
5 額広平正(八十種好45番)
6 面輪円満(30番) 
7 眉間白毫(31番)
8 如来眼睫(如牛王眼)(28番)
9 仏眼青白(29番)
10 鼻修高直(八十種好33番)
11 脣色赤好(八十種好28番)
12 四十歯斉(23番)
13 四牙鮮白(24番)
14 舌相広長(26番)
15 舌下宝珠(『往生要集』独自)
16 咽喉瑠璃(『往生要集』独自)
17 頸出円光(『往生要集』独自)
18 頸出二光(『往生要集』独自)
19 缼骨満相(『往生要集』独自)
20 肩頂円満(16番)
21 腋下充実(17番)
22 仏双臂肘(9番)
23 諸指円満(5番)
24 指間輓網(4番)
25 其手柔軟(3番)
26 頷臆広大(21番)
27 胸有卍字(『往生要集』独自)
28 心相妙光(『往生要集』独自)
29 身皮金色(14番)
30 身光任運(22番)
31 身相直広(19番)
32 体相縦広(20番)
33 容儀端直(18番)
34 如来陰蔵(10番)
35 両足充満(15番)
36 双腨繊円  (8番)
37 足跟円満(6番)
38 足跟修高(7番)
39 身八万四千毛(『往生要集』独自)
40 足下千輻輪 (4番) 
41    足下平満相(1番)
42 足下生一華(『往生要集』独自)
 

再度、整理すると、
『往生要集』の阿弥陀の四十二相
大般若経の三十二相の内の28相大般若経の八十種好の4相オリジナル10相
 
という等式が成り立つわけです
 
イメージは、
28+4=32(大般若)
32+10=42(『往生要集』のみの特徴)
という感じです
 

⑷『往生要集』独自の10相の正体
次に、この、『往生要集』独自に加えられたオリジナルの10相って、何なんでしょう?

源信が勝手に考えたことを書いたの?それとも、どこかから引っ張ってきたの?

いずれにしても、三十二相が世の中に知られているのに、そこにさらに10もプラスするなんてよっぽどの事ですよね
 
で、この加えられた10相は、実は『観仏三昧海経(観仏経)』というお経の中に説かれているものなんだそうです
 

そもそも、『往生要集』には沢山のお経や経論が引用されています
例えば、浄土三部経(無量寿経、阿弥陀経、観無量寿経)や、龍樹の十住毘婆沙論、その他いろいろなのですが、『観仏経』からの引用もたくさんあります
 
ちょっと手元に『観仏経』が無いので(普通、ないよねほっこり)、確認できないのですが
『観仏経』の中では、三十二相と八十種好をあんまりちゃんと分けて書いていないようです
(観仏経全体を、ホントはちゃんと調べなきゃダメだけど、図書館やってないし、オンラインで調べるのはとっても大変だから、そのうちやるってことで見逃してお願い)
 

で、『観仏経』には、この『往生要集』独自の10相の引用元となった記述があります

ほんのちょこっとだけ引用してみると
『往生要集』19 骨満相では、
「缼骨満相。光照十方作琥珀色。…」
と書かれる部分は

『観仏経』では
「観如来骨満相。満相光明遍照十方作虎魄色。…」
 と書かれています(本当はどちらももっと長い)
似てるでしょ?
観仏経から少し省略しながら、書き写したという感じがしますよね?

このように『往生要集』で加えられたオリジナルの10相は、実は『観仏経』の記述から省略して引用されているようなのです
(ただ、一つだけ『往生要集』と『観仏経』の記述が一致していないのですが、細かすぎるので、ここではまあいいや)
 



皆さん、伝わりましたか?
 
つまり、言いたかったことは、
極楽往生の方法をあちこちの経典類から引用して『往生要集』三巻にまとめた源信は、
阿弥陀如来の外観の記述について力を入れて、
それまでの仏の三十二相に、更に10の特徴を加えて、阿弥陀の四十二相とし、人々に観想して極楽に往く方法を教えてくれた、
…ということになりますかね?ニコ
 



3.きもちわるい(主観です)具体例
ところで、源信は何も悪くありませんが、
『往生要集』に書かれている阿弥陀の特徴には、↑上の方で書いた以外にも「気持ち悪い(主観です)」特徴がたくさんあるのです

一言でいえば「大げさ」なんですよ
 
なので、ちょっとその例を紹介してみますね

例えば
2 頂上髪毛
これは頭のてっぺんに生えた髪の毛の話です
(はなこテキトー現代語訳でお届けします)
仏の頭のてっぺんの、八万四千の髪の毛は、皆上に靡いて、右に旋回して生えている
抜けることなく、ぼさぼさにもならない
色は紺青で、びっしり生えていて、よい香りがして、細くて柔らかい
一つ一つの毛穴は、旋回して五本の光を発している
これを伸ばしてみたとしたら、長すぎて測れない
例えば、釈尊の髪の毛の場合、長さは尼狗楼陀の精舎(釈尊が父王の為に法を説いた場所)から父王の宮に至って、城をめぐること七回分である
髪の毛の無量の光はよく照らして瑠璃色の光を作り、その色の中には数えきれないほどの化仏がいる
ここまでを想像できたら、また仏の頭頂部に戻って、右に旋回して、渦巻き模様を作る(循環してる感じだよね…)
 
いかがでしたか?この頭頂部の髪の毛の話、なんかすごいですよね


同じような「毛の話」が、髪際(はえぎわ)でも展開します(3 髪際五千光)

それから、似たような大げさ(主観です)話はたくさん続き、
例えば
白毫(7 眉間白毫)では、
白毫は実は毛でできていて、これも右回りに旋回して、伸ばせば長く、光を発して、光の中に蓮華があって、その花の上に化仏がいてその化仏が無量の光を発して、その光の中に無量の化仏があって…とキリがない汗拡大路線の話となります

また、
まつ毛(8如来眼睫)では、目の上下に五百本ずつまつ毛が生えていて、その一本ずつから光が流出して、頭を回って、毛先にもろもろの青蓮華が生え、それぞれの蓮華の花の台には青い蓋を持った梵天王がいる
という、トンチキ話(主観です)となり、

眼(仏眼青白)では、目から青と白の光が出て(ウルトラセブン?)、それぞれ四本のえだとなって、青と白の化仏がいて、云々
などと、これまたトンチキ話(主観です)となり、
この類の大ボラ話(同上)にキリがないのです

なんかもう、大げさでグロテスクで、ちょっと話を盛りすぎなんじゃない?と思えます
 


そんな中で、ちょっと素敵で、仏像を造るときにも参考になると思われるものがあります
それは、6面輪円満です
ここに書かれているのは「仏の顔は真ん丸」ということです
(はなこスーパーテキトー現代語訳↓)
顔の輪郭は丸く、つやつやして光沢があり、柔らかい
並んだ眉毛はきよらかで、帝釈天の弓に似ている
その色は比べようがなく、紺瑠璃の光がある
この仏を求めて来た者が歓喜するので、顔が丸いのだ
この相を観想したものは、億劫の生死の罪を退け、後の世には、目の当たりに諸仏を見ることができる
…というハッピーエンドな話となっています

この顔が丸い話、例えば平等院の阿弥陀如来像などに通じていると思いませんか?
 


『往生要集』では、面輪円満だけでなく、四十二相のどれを選んで観想(イメージ)しても、ハッピーエンド、極楽往生できると書いてあります

「阿弥陀の四十二相」の大切なことを、源信は広く伝えたかったわけです


 
『往生要集』が編纂された当時の世の中は、「末法到来」に向け不安が増大していた時代です
人々は、極楽に往生することに望みをかけ、必死に暮らしていました

そんな中、極楽に往生する方法を具体的に示してくれた『往生要集』にどれだけ当時の人々が勇気づけられたことでしょう
 

あれから、千年以上の歳月が流れた現代ですが、
あの頃の人々と同様、大きな不安が渦巻いています

今、目の前にあるパンデミックの不安は、平安時代の末法到来の不安とどこか重なっているように思えます

現代の私たちがこの不安を乗り越えるために精神的な支柱となるものは何なのでしょう?