お正月から美しい仏像を観ました
あけましておめでとうございます
などと言っても、もう1月7日ですね
この冬は休みが長かったため、サラリーマンにはゆっくり過ごせた年末年始だったかもしれませんが、私には果てしない主婦業、母業、娘業、叔母業…の時間でした
今年のおせち料理です
タカシマヤオリジナルのおせち料理です
80代の母の、
「外で買うおせち料理が美味しいはずがない」
という固定観念との戦いに勝利し
今年はわが家も実家も、このタカシマヤオリジナルのおせち料理となりました(母が納得したかどうかは知らない)
お正月の2日と3日は、息子の運転で熱海方面に行きました
お正月らしい、快晴の空がさわやかでした
初詣のあとは、熱海の高台にあるMOA美術館に行きました!
(息子が運転してくれると、いろんなところに行けて助かるわ〜)
あそこはMOA美術館を参考にして建てたのかしら?と思うくらい、
入り口の感じが似ているのでした
入り口からは、何本ものエスカレーターを乗り継ぎながら、上へ上へと上ります
階段の途中で振り返ると、より高い場所から海が見下ろせます
有名な秀吉の「黄金の茶室」がありました
阿弥陀三尊像(平安後期、重文)
エスカレーターの途中にはホールがあり、音楽とともに幻想的な模様が天井に映し出されています
この空気感は、宗教団体の建物であることを実感させてくれます
この空気感は、宗教団体の建物であることを実感させてくれます
というのも、MOA美術館は、世界救世教の教祖岡田茂吉の創立による美術館なのです
「MOA」は、Museum of Artの頭文字でもあり、
教祖の名をとった Mokichi Okada Associationの頭文字でもあるんですよね
MOA美術館の設立の経緯などは、下にwikiを貼りますので、そちらを見ていただきたいのですが、
それほど長い古い歴史がある美術館ではないのに、所蔵する美術品の数は多く、
・国宝3件
・重文67件など、
計3500件ほどの所蔵品があるそうです
詳しくは↓
教祖岡田茂吉は元々美術家でもあり、美術館に所蔵することで文化財の海外流出を防いだようです
数年前(もう十年くらい前かな)に、新しく運慶の作品と認められた愛染明王像を真如苑が買い取って海外流出を防いだのも、同じようなケースですね
最後のエレベーターを上ります
何があるのか、ワクワクします
外出ると眼下に海が広がります
海を背にして、さらに巨大な宮殿のような建物の階段を上りますヘンリ・ムーア作「王と王妃」が、海を眺めていました
この建物、すごく大きいんですよ
宗教性を感じます
階段を上り切ると、こんなレリーフがあり、
キラキラピッカピカでした
MOA美術館で現在開催中の展覧会は
「琳派を楽しむ 光悦・宗達・光琳・乾山・抱一」
です
タイトルのとおり、琳派が楽しめる展覧会でした
詳しくは↓こちらをどうぞ💁♀️
…って、琳派の説明せんのかーい?
と思われるかもしれませんが、
私が説明するより、リンクを見たほうがいいですよ
で、そのかわりというわけでもないのですが、
私が記事にしたいのは常設展(たぶん)の展示です
その中でも阿弥陀三尊像と曼荼羅集について、レポートしたいと思います
美術館によれば、この三尊はもともと奈良の安養寺旧蔵だそうですが、安養寺ってどこの寺なんでしょうね?
中尊阿弥陀如来坐像
どこまでが、後補ではなく、当初のものなのかわかりませんが(調べましょう)
穏やかな表情、丸い顔、薄い衣などに、平安時代後期の作風が読み取れそうです
美術館の説明によれば、定朝様の仏像とありますが、定朝の唯一の確定作である平等院鳳凰堂阿弥陀如来像の印相が定印であるのに対し、この阿弥陀像は来迎印をとっていますね
光背を見てみましょう
光背もどこまでが当初のものかどうかわかりませんが(調べましょう)、
内光は二重円相、外光は透し彫りの飛天光背です
飛天光背には、奏楽飛天が音楽を奏でています
平等院の阿弥陀如来像の飛天光背は、外光は江戸時代の後補ですが、奏楽飛天のうちの数体は平安時代当初のものです
もし、MOAの阿弥陀如来の光背が平安時代後期当初のものであれば、「定朝以降は飛天光背が流行った」という当時の記録(「長秋記」)にぴったり符合する一体ということにもなり、面白いなあと思います
で、この像は三尊になっていますが、
当初から三体セットだったのか、後から三尊形式をとったのか、それもわかりません(だから調べましょう…)
中尊阿弥陀と脇侍は似てるかな?
ちょっと見てみましょうね
まずは、脇侍の一体勢至菩薩から(順番はどちらでもよいので)
両手を拱手し、大和坐りしています
伏し目がちのお顔は勢至菩薩にそっくりで、
穏やかな、美しい勢至菩薩ですねー
首筋に光るのは、金箔の残りかもしれません
この「大和坐り」は、正座から腰を浮かせたような座り方で、「今すぐお迎えに行きますよー」という姿勢です
中尊阿弥陀如来よりも、ややほっそりしたお顔ですが、全体の雰囲気は似てるようでもあり…
当初から一具だったんでしょうかね?
観音菩薩像
蓮台を持っています
こちらも「大和坐り」しています
二体並べてみると、そっくり
ところで、脇侍の「大和坐り」なのですが、
「大和坐り」といえば、京都三千院です
「マジで来迎5秒前」(←古い)のようですよね
でも私が、MOAの観音勢至を見て連想したのは、
京都即成院の観音菩薩像です
でも、元々は藤原頼通の第三子橘俊綱が現在の京都府伏見区泰長老という場所に建てた伏見堂にあったものだそうです
その頃はまだ二十五という数には確定してなかったんじゃないかなー?(忘れました)
曼荼羅集
密教は図像が豊かで、難しくてよくわからないけど、面白いと思います
こちらの展示は巻物状の図像を一部広げたもの
東寺旧蔵の別尊曼荼羅です
説明書きと図像がセットになり、巻物状にぐるぐる出てくる感じです
まずこれ↓
菩提場荘厳経曼荼羅
同じような曼荼羅は、「図像抄」にもあります
MOAの方は、手前にかわいいお坊さん↓がいるのに、図像抄にはいませんねー
次は
出世無辺門経曼荼羅
(気を取り直して)
宝楼閣経曼荼羅でも、かわいいお坊さんが登場!
一方、「日本の美術」に載せられた宝楼閣経曼荼羅はこちらです↓
宝楼閣経曼荼羅は、堂供養や滅罪息災法の本尊です
海のうねりの中、龍みたいなものも描かれてますね
次は、なんだかわかりません
美術館の説明書に、別尊曼荼羅を集めたものとあるので、これは阿弥陀曼荼羅か?とも思うのですが、こういう配列の阿弥陀曼荼羅は、私が調べた限り出てきません
一体これは何かしら?
なんだかわからないけど、真ん中の仏さまのお顔がほのぼのしています
お次はこちら↓(説明部分をもはや撮ってないので、そこに何が書かれていたか不明)
請雨経曼荼羅
崖の上のポニョもびっくりの波!
助けて〜っ
同じ東寺の請雨経曼荼羅でも、こちらは建物があり、だいぶ違います↓
…というわけで、特別展示の琳派はサッと通り、
変なところでおおいに引っかかってしまった
MOA美術館でした
おまけ2
MOAの敷地内でお蕎麦屋さんに入りました
MOAの能舞台で獅子舞を見ました
ところで、若い人に比べると、ドジでノロマな亀🐢の歩みの私ですが、論文をとある場所に出すことになり、初校を終えました
そのくせ、出来上がりに自信も持てず…
まあ書いたことだけで、よしとしよう