東北の話に戻ります
前回の記事↓
今回は、毛越寺です
「大泉が池」という前池です
ここから、池に沿って時計回りに回ります…
いかにもそれらしい(平安時代っぽい?)小舟↓
開山堂
静謐な景色です
毛越寺の庭は「浄土式庭園」(前回の観自在王院と同じです)
ちなみに「浄土式庭園」とは、平安から鎌倉時代にかけてその頃流行りの浄土思想に基づいて造られた庭園で、
藤原道長の法成寺、頼通の平等院、浄瑠璃寺、円成寺、神奈川の称名寺、平泉の毛越寺、観自在王院、無量光院などなどがこれにあたります
詳しくは↓こちら
少し行くと、
「築山」の説明板…読んでみましょう
この説明の中に、「枯山水の様」とありますが、
「枯山水」は室町時代の禅寺などにある「水のない」庭園なんじゃないの?
時代も形態も違う!と思いませんか?
…ところが上の説明板をよく読むと「作庭記」に書かれた「枯山水の様」の実例と書いてあります
この「作庭記」というのは、平等院の発願者である藤原頼通の第三子・橘俊綱の書いた書物なのです
ということは平安時代後期には、すでに「枯山水」という言葉があり、この時代の浄土式庭園の構成要素を指しているんですね(この後、中世に枯山水の言葉の意味が変わっていったということなのかな)
ところで、橘俊綱は京都三条に「三条俊綱堂」というお堂を建て、それは「立派」な阿弥陀如来像を安置しました
この阿弥陀如来像は、鳥羽上皇御願の勝光明院(1136落慶)の阿弥陀如来像のお手本となったくらい立派なものだったのです
鳥羽勝光明院の阿弥陀如来像は、円派を代表する仏師賢円が制作を担当しましたが、ちょっとしたエピソードが残っていますので(以前にもどこかで書いたのですが)ご紹介しますね
実は賢円制作の阿弥陀如来像は、制作の途中段階で賢円の仏所から勝光明院の北にある院の建物に移動させられました
そこで、関係者や鳥羽上皇に見せたところ、責任者からこんな風に言われてしまいました
「まあ、雰囲気は優美だな」
「でも、鼻が短すぎるぞ!」
「それに頭はもっと下に向かせたほうがいいぞ!」
「おっと!衣の削り方もザツだな!」
(はなこ超訳)
賢円がこれを聞いて、激おこしたかガッカリしたか心情はわかりませんが、その阿弥陀如来像を言われたとおりに改良します(お客様は神様です)
賢円は改良にあたり、
三条俊綱堂の阿弥陀如来像を真似して、
胸を切り上体を傾けさせ、衣を削り直したのです
で、結局阿弥陀如来像はその出来栄えを褒められて、賢円は泣いて喜んだそうです(ヨカッタネ)
…と、ここで何がいいたかったかというと、
「三条俊綱堂は上皇の阿弥陀如来像のお手本になるくらい素晴らしい仏像を所有していた」ということ、そして、
その俊綱は作庭に関しても造詣が深く、「作庭記」は遠く奥州平泉にも多大な影響力があった」ということです
この「作庭記」は毛越寺庭園だけでなく、平泉にある無量光院(まだ記事を書いてませんが)にも影響を与えたようです
無量光院の伽藍は平等院を再現したことで有名です
話が長くなりましたが、
その「枯山水の築山」を巡り
百人一首の歌が思い浮かびそう…天の小舟の…とか?
ここから、経楼跡に向かいます
経楼の向こうは、砂利が敷かれた前庭の跡があります
経楼跡と鐘楼跡は、金堂円隆寺跡を真ん中にして左右対称の位置にあります
正面からみれば、こんな感じです
↓こうなっていました
次は、金堂の背後にある講堂を見てみます
こちらは大日如来を祀っていたらしい
次は、講堂のとなり
で、この毛越寺の常行堂をみると
拡大した部分地図で見ると↓下の空き地の場所に二つ並んでいました
✴︎ →北
ここが、隣の観自在王院へとつながる出口だったようで
背の高さが足りなくて直接あちら側は見えなかったのですが、手を伸ばして撮ってみたら、お隣の観自在王院の池のあたりが写りました
清衡の奥様のお住まいまで、すぐだったんですね…
(✴︎ここから、✴︎印の写真は現地でQRコードで読み取った写真をお借りしています)
こんな形の建物、見たことありますよね?
そう、平等院鳳凰堂にそっくり!
京都と平泉、場所は離れているけれど、
やっぱり真似したんだね
藤原氏だもんね
ここに薬師如来が安置されていたそう
↓イメージ図
✴︎
その薬師如来像は運慶ならぬ、「雲慶」(誰?)が制作したと記録では伝えるようです
でね、
↓これ、見てください礎石の跡が点々と見えます
金堂から池に向かいこのように礎石跡が残っているのです
この礎石跡をつないでいくと、翼廊の形が再現できるのです!
俯瞰図で見ると、◯の部分です
本堂から経楼につながる「翼廊」の跡です
じゃあ、反対側の翼廊はどうなってるの?と思いますよね
こちらは、礎石跡はなくて、そのまま歩けるように整地されていました
だから上からみると、翼廊は片方が緑色、もう片方は地面の色なんですね
✴︎
↓こんな感じの講堂跡
常行堂は常行三昧を行うお堂です
常行堂で有名なのは、比叡山延暦寺西塔にある担い堂です
比叡山西塔には、同じ形をした常行堂と法華堂の二つのお堂があり担い堂と呼ばれますが、そのうち常行堂では密教尊の阿弥陀如来像(宝冠、通肩)を祀り、常行三昧が行われました(→比叡山2〜常行堂と阿弥陀仏 2015/11/24)
普通常行堂は、宝形造りで真四角の建物のはずなんですが、この常行堂は後ろの真ん中部分が出っ張っているのです
おお〜!
常行堂と法華堂!(の跡地)
(比叡山西塔とおんなじだった〜!)
先程見た現在の常行堂は江戸期の建物でしたが(理由はわからないけど真四角ではない建物)、
もともとは、こちらの場所に
方形(真四角)の常行堂と法華堂が仲良く並んでいたわけです
北側奥の方に、
常行堂跡
手前南側には
法華堂跡✴︎ →北
以上、毛越寺は浄土式庭園を持つお寺でしたが、まとめるとこうなります
金堂 丈六薬師如来坐像(雲慶作)
経楼・鐘楼
講堂 大日如来像
常行堂 宝冠阿弥陀如来像
法華堂
嘉祥寺 丈六大日如来像
開山堂 円仁
浄土式庭園は平安時代後期の流行ですが、
金堂に薬師如来(顕教)、講堂に大日如来の密教尊というのは、京都の東寺のようですね
この辺、お堂の建て方に時代差があるんでしょうかね
東寺は、顕教(金堂薬師)→密教(講堂大日、密教尊)の順番に時代差をもってお堂が建てられましたが、
毛越寺は、もしかして、密教→浄土教の順番で、なのかな?(以下独り言)
でも、金堂薬師如来は密教尊か顕教かわからないし、
一番古い嘉祥寺は大日で密教、
常行堂は現在密教の阿弥陀(宝冠、通肩、多分朱色)なので、
浄土教の阿弥陀(螺髪で偏袒右肩)がどこにもいないぞ〜〜?
浄土教って、「庭」だけか〜??
…┐( ̄ヘ ̄)┌??
で、最後に庭園東端の通路を歩きましたが、
観自在王院の記事で書いたとおり、
清衡の奥様のお住まいまで、すぐだったんですね…
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