情緒的な学術論文 | 奈良大好き主婦日記☕

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鎌倉在住
奈良や仏像が好きで子育て終了と共に学び直し大学院博士課程修了、研究員になりました。
テーマは平安後期仏教美術。

明日香村、山の辺の道等万葉集の故地が好きです。
ライブドアにも書いていました(はなこの仏像大好きブログ)http://naranouchi.blog.jp

 

 

 

時々、とくに古い論文の中に、情緒的なあるいは文学的な論文をみつけることがあります

 

仏教美術を中心に、文献や学術論文を読むことが多々ありますが(眠くなることも多々ありますがかお←おい) 、 

時々、朗々と歌うような論文に出くわすことがあるんですよ

 

 

例えばこの論文なのですが、

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定朝様に関連した記述のなかにこのような箇所があります↓

引用します

(定朝様に関して)

「…定朝様はこのように平安王朝 の思想を造型化するための様式であるとともに、それはもはや過差でも優雅でもなく、また後世の人が「仏の本様」と呼ぼうが呼ばなかろうがそれにかかわりなく一つの膨大な彫像であるだけである。芸術とは元来このように時代 を個人が理想として求める所の未知の人間像を造形することであり、造形された芸術品としての人間像はかえって作者には新しい世界でさえある。定朝は平等院阿弥陀を造顕することに自己の生命を賭け、かくて出来上がった

「仏の本様」にはかれ自身も驚異しかつ高められたことであろう。天喜元年に開眼した平等院阿弥陀と、天喜五年に没した定朝との間にはこのような芸術的人間的に絶対的宿縁があったわけである。」

(はなこ注  そもそも「仏の本様」と呼ばれた定朝仏は平等院ではなく西院邦恒阿弥陀堂というお堂に安置された定朝仏なので、ここ間違えていますが・・)

 

ね?これ、評論文なら素敵と思いますよ

でも論文としては

「ちょっと何言ってるかわかんないんですけど…」(私の好きなサンドウィッチマンの決まり言葉↓下にYouTube貼りました)

って思いませんか??表情

 

 

 

平等院鳳凰堂

(風景写真を入れておかないとアメーバさんからジャンルが違うとおこられますから)

{2300817F-A0AC-4038-979E-F749B2BADC1B}

https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/kyodo_nor/life/kyodo_nor-2018040401001794

夜桜見たかったな…

 

 

 

大仏1弥勒菩薩阿修羅

 

私が若いころは、「なんとなく仏像が素敵♥」なので、雰囲気に浸って仏像を眺めていました

一方で、そんな自分に対して

「たいしてわかってないくせに…」

という違和感も持ち続けていました

 

有名で素敵な仏像に出会うだけでも、もちろんいいと思います

でも、もしも知識ゼロでなーんにもわからないままその道をつき進むと、自分の勝手な思いこみや間違いを増幅させたまま、

本来のその仏像や文化財が持つ意味や作者の意図、さらに「その時代」の人たちの願いがわからないまま、結局は独りよがりの自己満足で終わると思うのです

そして、一番恐ろしいのは、そんな姿を無邪気にさらしてしまうことです

だから、少しでも、その時代の人々の願い、仏師が担った役割、仏像のあの表情の中に有るものは何なのか?などということを考える、そうしないと好きであるはずの仏像に対しても失礼だと思うのです

 

そしてその上で、阿修羅 がイケメンだと思ってもいいし、東大寺戒壇院の四天王のことをみんなはハンサムだというけど、私の好みではないかも、、とか言ってもいいと思うのです

 

日ごろ私はそんな風に自分を戒めながら、

より深く知りたいという思いに突き動かされてお偉い先生方が書き残した論文を読ませていただいているのですが……

 

それなのに、時々感情的な論文に出会ってしまって、混乱するのです

 

私の人生に少なからぬ影響を与えた亀井勝一郎の「大和古寺風物誌」とか、和辻哲郎「古寺巡礼」、それから今話題にしているような古い論文の中にも、感情を前面に出した文章が散見されます

 

とくに「大和古寺風物誌」は若いころ心酔していたにもかかわらず、最近は違和感が大きくて

「これはどうしたものだろう?」

と苦悩(なんてほどのものでもないが)しましたが…

これについては(論文とは)ジャンルが違うという言葉をいただきました

なるほど!です

この「仕訳け」には救われました

 

亀井さんや和辻さんは、もともと知識人で文章が魅力的なので、そんな人たちが奈良の仏像について書けばそれはもうものすごい影響を人々に与えてしまいます

しかし、それらの文章は学術論文ではないために、時としてあいまいだったり間違っていることもあるわけです

さらに、筆者の過度な陶酔に影響されて、読んでいるこちらまで「その気」になってしまうこともありえるわけです

 

このような「無知」と「勘違い」は、どちらも恐ろしいものです

 

文化財に接する時は、その文化財が今までに背負ってきた歴史を知ろうとする姿勢が必要なんじゃないかと思います




 

数年前ですが、仏像に対するときの態度についてブログに書いたことがありました仏像

 ↓これです

2014-12-20 仏像に接する時の心のありかたについて

 

 


現代の論文は、情緒的なものは少ないと思いますが、

「感情的な」論戦みたいなものは時々あるようで、ケンカしないでねハートブレイクとヒヤッとします

(それこそ、仏さまに悪いものね〜)



 

 

ところで、私はアナログ派なので(パソコンについていけないだけ)、

論文の情報をこんな風にカード化してみました(写真 をぼやけさせようと思ったのですがそれもうまくいかず、クオリティの低い加工写真となりまさた…泣笑汗)

 

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これ、論文を時系列に並べたくなったために、カード化しているのです

こうすることで、随時並べ直したり、差し替えたりできるわけです…超アナログですショック
 
…そして最終的にパソコンに入れてみようかと…
(もっと効率的な方法がありそうなものだけど!大泣)
 
 

 

 

  

参考文献

今中寛司「定朝様から慶派芸術へ」『日本文化史研究』、1967)

 

 
サンドウィッチマン「ちょっと何言ってんだか…」

 

 

 


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