仏像に接する時の心のありかたについて | 奈良大好き主婦日記☕

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鎌倉在住
奈良や仏像が好きで子育て終了と共に学び直し大学院博士課程修了、研究員になりました。
テーマは平安後期仏教美術。

明日香村、山の辺の道等万葉集の故地が好きです。
ライブドアにも書いていました(はなこの仏像大好きブログ)http://naranouchi.blog.jp


最近、町田甲一氏の文章を探している過程で
改めて、
仏像とは何か、仏像を拝するとはどういうことか、仏像は信仰の対象か、信仰心と鑑賞は両立するか
・・と、様々なことを考えました


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そのことについて
町田甲一氏の文章から
少し考えてみたいと思います(手術が終わったら急に理屈っぽい人になったらしいよ(´∀`) )



1 和辻哲郎『古寺巡礼』に対する町田氏の疑問

和辻哲郎氏の有名な『古寺巡礼』が単行書として刊行されたのは
大正八年(1919年)のことです

町田氏は、この『古寺巡礼』に対してこのように記します
  「この書物 が、奈良の古美術についての高級な文学的啓蒙書として果たした役割は非常に大 きかった。・・・・とくに、戦時中、出陣 を前にした学生たちに与えた影響は、・・・・・きわめて深い ものがあった。」(町田甲一『古寺辿歴』昭和56年「はじめに」より)


町田氏は、旧制高校生時代、すでに奈良の古寺を訪ねるようになっていたそうです
(氏は、1916年生まれなので、旧制高校時代は、1930年代、十五年戦争 に突入していく時代ですね)

町田氏は奈良を訪ねる際、
「その折、和辻先生の文章を想い浮かべながら、その反面、古い仏像をそのように(文学的、哲学的に)観照するものなのか、という疑問を早くも抱きはじめていた。・・・・・・すでに大正期の西欧的な人文的教養主義の退潮期ではあったが、・・・・当時の高等学校的人文主義の伝統下にあった私たちには、大変面白く、かつまた大いに惹きつけられ、教えらえることが大きかった。しかしその反面、・・上述のような疑問が湧き、大和の古寺を巡るたびにその疑問は大きくなり、深くなっていった。・・・・・」(町田甲一『大和古寺巡歴』平成元年改訂版「はじめに」より)

「『古寺巡礼』は、和辻先生の古美術についての美術史的な観照を展開されたものでなく(先生自らも「学問の書ではない」と断られている)、奈良の古美術によせて先生の自由な文学的哲学的 感想を述べられているのだ、と受け取るべきであろう。」(同上)

「和辻先生の系統をひく文学的あるいは哲学的古美術随想には、・・・戦中の亀井勝一郎氏(『大和古寺風物誌』)、・・・・などの著書がある。これらを、一種の文学的作品ないしは文学的思想書として読むならば、あるいは著者 の文学的思想的自画像として理解するならば、それなりに評価されるが、古美術を観照するに当たって、そのような強い文学的、思想的先入観をもって観るべきだ、というように受け取られると、・・・・・いささかの不安、心配、危惧を、・・おさえ難いのである。この傾向を野放しにしておくと、極端な主観主義に走って、史実をまげ、途方もない推理や独断を犯して憂慮されることにもなり、或いはまた、ひどく甘えた文学趣味の結晶作用をおこして安価な感傷の淵におぼれてしまう怖れも心配されるのである。」(同上)



2 「奈良の古美術についての、いわゆる学術書でない書物」の二つの大きな系統

町田氏の、和辻『古寺巡礼』に対する疑問は、すでに『古寺辿歴』の中でも同様に記されています
そして、町田『古寺辿歴』のなかでは、学術書でないと町田氏が考える2つの系統 について、持論を展開されています
それは、 以下の二つの系統です
 ①「和辻先生の系統を 引く文学的あるいは哲学的古美術随想の類」
(直前の、『大和古寺巡歴』と同じ内容です‐‐‐ 最後に、こう締めくくります)
「この小著(『古寺辿歴』)は、そのような傾向(注、安価な感傷の淵に溺れてしまう怖れ)に対する警告の書、批判の書といった多少の自負をこめて書かれたものである。」

②「重要な遺品いついての即物的な内容を盛った研究者向きの案内書」
これは、「昭和六年に専門 の美術史家によって編集刊行された『日本古美術案内』の系列に属するもの」だそうで、「一切 の文学的記述は避けられて」、・・・「ドライな記述には魅力がなかった」そうです


3  法隆寺での町田氏 の体験

町田氏が、『奈良六大寺大観』の仕事で、法隆寺金堂釈迦三尊像の撮影 を、「開闢以来初めてという明るさ」のもとに行った時、
「そのすばらしい美しさと、それに伴ってそこに醸成された高い宗教的情調に、我々はもちろん、寺の方々も、息をのんで感動した」そうです
「従来、暗い不十分な光の下に拝して、専ら「神秘的」とか「森厳」あるいは「古拙的」といった評のみ受けて、正当な評価をうけることのなかった釈迦三尊の、明るい光のもとに発現された見事な美しさに、われわれは感動したのである。そして、この美しさは、残念ながら和辻先生も、亀井(勝一郎)さんも知らないものであり、岡倉天心 も知らなかった釈迦三尊の美しさであった。」

町田さんの、どや顔('-^*)/ がみえるようですねえ・・


そしてこの美しさは、この像をつくった止利仏師も「知っていた筈」、聖徳太子も「予見していたであろう」と、町田氏は考えるのです

つまり、「仏像は暗い堂内で拝すべきものであって、明るい光線のもとで観照すべきではない」というのは「愚論」である、「藝術的感動は宗教的 感動に相反するものではなく、、むしろ相通ずるものであって藝術的作品として優れていないものは、いかなる演出や堂内の施設によっても、本当に人の心を打つことは出来ない」、・・

「こういうことを反省すると・・・これまで多くの人の「仏像観照」の中には、修正を要すべきことがすくなくないのではないかと思うのである」



4 町田氏の立場

 町田氏は、上記の「両系統の記述を折衷したような書物」を書こうとしたわけではないそうです

氏は、「美術史家であり、美術史上の史実(歴史的真実)をネグレクトすることは出来ないから」・・「勝手気儘な、史実を無視するような、その意味で無責任な文章を綴るわけにはいかない
けれども「時に私の想うこと、感ずることの幾許かを添えて綴ってみた」のだそうです(以上、「古寺辿歴』昭和56年『まえがき」より)



5 まったくの蛇足だが、私の意見

町田氏の立場を全面的に支持します

若いころ、亀井勝一郎が特に好きで、『大和古寺風物誌』の中宮寺弥勒菩薩のところなんか、鉛筆で横線ひいたりしてました
亀井勝一郎の かいた内容は、それはそれですばらしかったと思う
和辻哲郎『古寺巡礼』も、多くの人に影響を与え続けてきた力はすごいのだと思う

最近になって、こういう本 をパラパラと読み返してみた時
軽い違和感を覚えてしまっていた
それは、私自身がこういった文筆家の年齢を越えてしまい
しかも、子育て、家事などの雑事に追われ続けてきたために
純粋に美しいものを美しく受け取る心が失われてしまったためだと思い込んでいた

でも、それだけではないんだと思う

違和感の正体は、むしろあちら側にある! (太字にする自信ないから斜め字)

それは、(無責任に言いっぱなしにしないため)亀井さんにだけ絞って云うけど

亀井さん、一人で勝手にうっとりしすぎだよ

ってことじゃない?

今読むと、間違った認識で書かれている部分もある

当時まだわからなかったことの記述ならそこは仕方がない

だけど、あの中宮寺弥勒菩薩についても

勝手にものすごい妄想を膨らませて
その中に、弥勒菩薩をおいて

さあ、かわいそうだろう、俺はそれがわかるんだぜ、どやどや?
って言ってるみたいなもの(でも、それでも好きだけどね)

こういう古美術観照のしかたって危険だと思うんだよね


逆に、
身近な例では、(一般的に)こういう例もありますね
「少しだけ仏像に詳しいざんす」
「あの本も、この本も持ってるざんす(持っていること自体は、全然いばることじゃないですよ)」
「その仏像については、テレビで見たざんす」

っていう、「ざんす」オバさんいるよね(カルチャーセンターとかでね)

別にいいんだけど
仏像を見て、いや、ろくに見もしないで
観た気になっちゃうの、もったいないよ
わかった顔するのも、なんか変だよ

冷静な鑑賞眼をもって
謙虚に
仏像と相対したいと私は思うのです

想像の翼を広げるのは
己を失わない理性のもとで行いたいものです

ま、私だって、「ざんす」おばさんの一人ざんすけどねっ≧(´▽`)≦ がはは


だから、これからも自由に書きます

けど、私はガイドブックに書いてあるようなことはめんどくさいから
(今まで通り)書かないよ、ごめんね許して


とほほ(ナミダがぽろり) まったくもう、めんどくさがり屋なんだから・・・・とほほ トホホ