「オスカル!」「アンドレ!」なベルサイユ宮殿〜御仏(おフランス)旅行記その8 | 奈良大好き主婦日記☕

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鎌倉在住
奈良や仏像が好きで子育て終了と共に学び直し大学院博士課程修了、研究員になりました。
テーマは平安後期仏教美術。

明日香村、山の辺の道等万葉集の故地が好きです。
ライブドアにも書いていました(はなこの仏像大好きブログ)http://naranouchi.blog.jp



🇫🇷フランス旅行記
今回はついに
赤薔薇ピンク薔薇ベルサイユ宮殿ピンク薔薇赤薔薇
の巻です🇫🇷



もう、ベルサイユ宮殿という言葉を聞けば、
「パブロフの犬」的に
ベルサイユのばら
を思い出します


脳内ループしまくりですアセアセ 

アニメのベルばら
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宝塚のベルばら
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ベルサイユ宮殿では、思わず娘にむかって
「オスカル!」
とか叫びそうになりました
「アンドレ!」
と返して欲しいが、うー汗世代が違うかな…にやり


ピンク薔薇赤薔薇ピンク薔薇赤薔薇ピンク薔薇赤薔薇ピンク薔薇赤薔薇

ベルサイユ宮殿に来たのは2回目です


〜〜ここからちょっと思い出話です
ピンク薔薇10年ほど前、旦那がロンドンに単身赴任していた期間があり、夏休みに家族旅行でロンドンを起点にパリとイタリアを回ったことがありました

個人旅行でしたので、パリからRER C5線という地下鉄に乗り目的地ベルサイユ駅まで行きました

ベルサイユ駅は終点です
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(路線図をこちらからお借りしまました
赤薔薇C5線は途中、真っ黒な黒人ばかりの駅などを通り(ニューヨークでは黒人と言っても混血が進んだせいか「真っ黒」な人は少ないのに対してこの時見たパリの黒人たちは「真っ黒」でした)、ヒヤリとしました
車内で座って話に夢中になり、終点のベルサイユ駅で降りそびれてしまいました汗
地下鉄は車庫に入ってしまいました
電気が消え、窓の外を車掌さんが歩いたのを見て慌てる私たちに向かい車掌さんは窓の外からそのまま座っているようにとジェスチャーをしました
…ほんの数分で地下鉄は引き返してベルサイユ駅で降りることができました…(パリの地下鉄は危ないから油断したらダメですよえー……)

ピンク薔薇その日はベルサイユ宮殿の近くの小さなホテルに一泊し、翌朝ホテル前の交差点を斜めに渡ったところにあったパン屋でバケットコッペパンを買い部屋で食べたのですがもぐもぐ
そのバケットがあまりに美味しくてラブ、帰国してからもあのバケットの味を求めてあちこちのパン屋に行きました…今でも探してます
でもあそこまで美味しいバケットを売るパン屋をまだ見つけられません

赤薔薇で、その日はホテルからベルサイユ宮殿まで歩いて行きましたが、途中、
ツタンカーメンの頭+全身金色の布で直立し、微動だにしない人を見つけました

だんだんツタンカーメンに近寄って行きましたが全く動かない…

ピンク薔薇と、ある瞬間、突然全身の骨が砕けたみたいに崩れ落ちる…という「芸」をし、子どもたちの驚いたこと爆笑あせる
今でも時々会話に出てきます

以上、ここまで思い出話でした〜



花束花束花束


そして、あれから約10年…今回は母娘でツアーに乗って来たわけです
ツアーでは宮殿の目の前までバスが入ります
個人では長い時間チケットのために並ばなくてはなりませんが、団体だと比較的スイスイ中に入れるのです
(入り口付近のアランデュカスのカフェに入ってコーヒーでも飲めば、内側から入れるとも聞きました)


「日本晴れ」のベルサイユ宮殿
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ここでベルサイユ宮殿の歴史について、wikiから引用してみます
(ここから引用)
「ヴェルサイユ宮殿(ヴェルサイユきゅうでん、フランス語:一番多く使用されている、「ヴェルサイユ城」との意味であるChâteau de Versailles、あるいは、「ヴェルサイユ宮殿」との意味であるPalais de Versailles)は、1682年にフランス王ルイ14世1638年 - 1715年、在位1643年 - 1715年)が建てたフランス宮殿(建設当初は離宮)である。ベルサイユ宮殿とも表記される。

(中略)

  • 1624年 ルイ13世の狩猟の館として建てられる
  • 1661年-65年 ルイ14世が建築家ル・ヴォーを招き、増築(同じ頃、ルーヴル宮殿の改築も計画されていたが、王がヴェルサイユの方を気にいったため、ルーヴル宮殿の計画は縮小された)
  • 1667年-70年頃 ル・ノートルによる造園
  • 1675年-82年 セーヌ川にダムを築き噴水工事
  • 1668年- ル・ヴォーによる第二次の増築

マンサールによる増築、鏡の間を造る(天井画はル・ブランによる)

  • 1699年-1710年 礼拝堂建設
  • 1753年-1770年 オペラ劇場建設」(引用おわり)






まず、噴水庭園に行きます
東京ドーム何個分かわかりませんが広い!
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向こうにマリーアントワネットの別荘プチ,トリアノンがあるそうです

こんなに富を独占したら、そりゃ民衆は怒るわな…と納得しかけましたが、この庭園は実は
「民衆の心をつかむ」ために造られたという面もあるようです


金ピカの庭の柵に太陽王ルイ14世の顔が
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金ピカが輝き過ぎて、空の青が深くなるね




では正殿に入ります

いきなりトーハクみたいな階段を上ったので撮っておきました
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まず
王室礼拝堂
ルイ16世とマリーアントワネットの婚礼の式が行われたそうです
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ヘラクレスの間
ヴェロネーゼ「パリサイ人シモン家の食事」を飾るために、ルイ14世時代第4礼拝堂だったところを改装
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天井画「ヘラクレスの神格化」
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豊穣の間
ルイ16世の娯楽の間
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ヴィーナスの間
太陽王ルイ14世を讃える間

↓ルイ=アントワーヌ・ウアス 
ディアナの間「神々と強大国を従わせるヴィーナス」1672-1681
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ディアナの間
ベルニーニ「ルイ14世の胸像」1665
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マルスの間
徴兵の間として使われていたが、音楽会を開く場所になった
「ルイ15世」
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カルル・ヴァン・ロー「フランス王妃マリー・レクザンスカ」1747
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メルクリウスの間
アポロンの間とともに最も贅を尽くした部屋だったそうです
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ジャン=パティスト・ド・シャンパーニュ
「2羽のニワトリに引かれた戦車に乗るメルクリウス」1672-1681
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アポロンの間
接見にも使われた、王座を持つ間
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シャルル・ド・ラフォス
「四頭の馬が引く戦車に乗ったアポロン」
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リゴー
「ルイ14世」
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アントワーヌ=フランソワ・カレ
「ルイ16世」
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ここまで、番号にない間もありますが、下の図で言えば1から6まで行ったことになります
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この後、7の戦争の間を通り、いよいよ8の
鏡の回廊に行きます
(10〜12の王妃の寝室、戴冠の間などは改装中でした)
 

戦車の間
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いよいよ鏡の回廊です
1886年完成、73メートル
ルイ14世の偉業を描いたルブラン作の天井画が30枚もあります
ベルサイユ条約はここでていけつされたそうです
(1919年、行く行くパリのベルサイユと覚えましょう!)
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鏡の回廊の背後にある
王の寝室
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これでベルサイユ宮殿の拝観おわりです

最後に立ち寄ったミュージアムショップ内にマカロンで有名なラデュレのお店が入っています

とても可愛い文房具類が置いてありますが、パリのお店ではなくここで買ったほうがよいですよ〜(パリのシャンゼリゼ通りのお店ででは文房具類はありませんでしたので、買いそびれました)


ちょうどお昼です

門を出てすぐのところにあるレストランで昼食でした
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なんかもう、和食が欲しかったです

後から2グループ入って来ましたか、全員日本人のグループでした…

お店の中は日本人で満席!

京都あたりで外国人に渋い顔するのは良くないなぁと、「逆の立場」になってシミジミ思うのでした…


花束花束花束

ところであなたは、
アニメ派?


それとも宝塚派?



この二曲、まとめて脳内ループすること間違いなしです!