京都北区、千本通り沿いに
上品蓮台寺というお寺があります
大きなお寺です(画面に入りきれませんでした←そういうことではない)
このお寺、通りかかるまで知りませんでしたが、寺伝では聖徳太子が開基、宇多天皇が中興なんだそうです
それから、奝然が宋から清凉寺釈迦如来を持ち帰って、一時期ここに安置したんだそうです!
知らなかったわ〜
で、このあたり、紫野「十二坊町」という地名があちこちに表示されていましたが、この十二坊というのは、この辺りに塔頭が12院あったことからくる地名なんだそうです
そして、この寺にはあの定朝のお墓があるのです
…どこかにあるとは聞いていたけど、ここだったのね…
では、定朝の墓を探しに行きましょう!
本堂の前では、花も葉もない、枝垂れ桜の木が寒々と手招きしてくれました
源頼光の塚
塚、ってどういうことでしょうか?
この木のあたりが塚なんでしょうか?
四天王(歌川国芳)
↓頼光、土蜘蛛退治中!
戻ります
すぐに見つけることが出来ました
この木のあたりが塚なんでしょうか?
よくわからなかったものの、ここは墓地の中であまり長居をしたくないような雰囲気でした
頼光は、↓このような方です
土蜘蛛退治!
そして、頼光は
大江山では鬼退治!
頼光は、「四天王」とも呼ばれました
補足と訂正
私の書き方がいい加減だったため、コメントで正しい情報をいただきましたので、その部分を補足します
↓
「源頼光の塚と言うのは、頼光と四天王が倒した土蜘蛛の塚ですね。(補足しますと、この四天王というのは頼光の家臣で、坂田金時、渡辺綱、卜部季武、碓井貞光の4人です。)」
…ということだそうです
ありがとうございます
それが、青森のねぶただと、こうなる…らしい
頼光と坂田金時(どっちがどっち?)
いやはや、頼光の予想外の「大活躍」に紙面を割いてしまいましたが、
肝心の定朝のお墓はどこですか?
どうやら、頼光の塚とは反対側にある墓地に定朝の墓はあるようです
境内を移動して、
こっち側の墓地(南側です)
今年度の論文の締め切りを来月に控え、今は頭が噴火の時期です
大仏師定朝さま(ごますりの為、敬称)とも、是非仲良くして、論文が事故なく無事に通過することを、お墓にお祈りしました
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