鎌倉国宝館
北条時頼とその時代展
時頼については前回書きましたが, 今回は、蘭渓道隆イエーイ←なんていう人はいないだろうけど・・・
苗字に 蘭の字がつくなんて、宝塚?って思う華やかな名前?ですが、
名前とは裏腹に、中国からいらっしゃった禅僧のこのお方、かなりストイックな方だったそうです(^_^;)
彼は、北条時頼の帰依を受けて建長寺の開山となった高僧
禅を広めるために来日し、京都の泉涌寺の来迎院に止宿、その後鎌倉寿福寺に入り、鎌倉常楽寺の住持となりました
その後時頼により建長寺の開山として迎えられました
・・・・・とまあ、そんな感じですね
で、彼のお顔はどんなだったかというと
なかなかの優男風
彼はかなり厳しいお方だったそうですが、
結構いろんな人気があったんじゃないかなあ・・
こちらも
鎌倉建長寺 蘭渓道隆像(部分)
彫像でも顔の長さ健在(^∇^)
鎌倉常楽寺 蘭渓道隆坐像(部分)
話がそれますが、
私が、蘭渓道隆の、「いろんな意味での人気(?)」を疑うのは、この常楽寺にこんな伝説があるからです
常楽寺の仏殿の奥に無熱池(「色天無熱池」)という池があり、そこに蘭渓道隆にまつわる伝説があります
蘭渓道隆が常楽寺にいた頃、教えを乞うために多くの僧が蘭渓道隆を訪れていました
江の島の弁財天もそのうちの一人でした
道隆には乙護童子という給仕役の童子がおそばにおり、江の島弁財天はいたずらをして、この童子を美しい女性に変えてしまったんですって!・・・なんてことを!いたずらでもしてもいいいたずらと悪いいたずらがあると思うけどね
童子は気づかずに給仕を続け、近所の噂になってしまったそう
童子は、道隆や自分の潔白を証明するため、白い大蛇となり大イチョウに七周半も巻き付き、尾で池の底をたたいたんですって
そのためこの池は、おたたきの池とも言われるらしいですよ
大体、この江の島の弁財天(下の写真は拾い画ですm(_ _ )m)
私たちが子供の頃は、カップルで江の島に行くとやきもち焼いて、
そのカップルは別れることになるから、江の島でデートしちゃダメとか
割りと真剣に語られてましたよ
こんな恰好で楽器だけ持ってるって!
何ですか貴女は!(`Δ´)PTAに怒られますよ!!
でも、彼女の名誉回復のためにもう一つお話をすると
鎌倉でも江の島に近いほうにある青蓮寺(鎖大師)にはこんな話があります
昔、弘法大師が鎖大師のある地に365日滞在し護摩をたきました
その時天女があらわれ世話をしました
満願の日、天女は一粒の骨を渡し、池の中に消えました
大師はこれを瓶に納め、翌朝目を覚ますと、池の中に美しい青い蓮華の花が咲き、良い香りが漂っていました
大師は、江の島に行き天女のために護摩をたき、その灰で江の島弁財天の像を作ったということです
へえ、いい話じゃないですか!
弘法大師さん、どうせなら、服も作ってあげてよね!
彼女それ以来、ずっと裸でいて鎌倉時代にいたずらする女になっちゃったんじゃ
・・・・・あ、話がそれた
気を取り直して、
もしかしておびんずるさまですか?
道隆さん、なんか痩せすぎではないですか?
禅宗って、素人の印象でもかなりストイックな感じがしますが、
蘭渓道隆のストイックさは、『法語規則』などでも有名らしいのです
・・・・・が、人には必ず両面あるもので、
Mr. ストイック蘭渓道隆もこんな キモかわいい絵を描いてますよ(^O^)
えへっ:*:・( ̄∀ ̄)・:*:
服着てますね(´∀`)
もう一体
美しい仏像
鎌倉常楽寺 文殊菩薩坐像
頭部が蘭渓が中国から持ってきたもの
体部は蘭渓が日本で造ったという伝承つきです
このお顔、慶派っぽくないかなあ…