★前記事↑からの続編です。

 

最初の問いは単純だった。
嘘は悪なのか。なぜか。

 

けれど私の生活に五戒を当てはめると、そんなに単純ではなくなる。
恐怖と不安が極まると、嘘が頭をよぎることがある。
それは「嘘を肯定したい」からではない。安全を守りたい防衛本能として起こる。

 

追い詰められたとき、嘘は“悪”というより防衛反応としてよぎることがある。

よぎった瞬間に気づければ、口に出す前で止まりやすくなる。

 

ある日、良心と防衛本能がぶつかって、私は良心を選んだ。
だがその結果、強い不安に飲まれ、一時的に発作のような状態になった。
この体験以降、私は思うようになった。
正しさが、必ずしも自分を守るとは言い切れない。

 

ここで私は立ち止まった。
戒や倫理(善悪)は、それ自体が絶対なのか。
ただ、少なくとも自分の体験から言えるのは、
倫理(善悪)を「正しさの絶対視」として運用すると、人を脱落させうる、ということだ。

 

私の整理はこうです。

  • 個人の現象として:生存不安が極まると「最低限の嘘」が起こりうる。
     (※正当化ではなく、防衛反応として。)

  • 集団の規範として:信頼を守るために、その許容度は変わりうる。

だから私はこう言いたい。

 

個人的には、生きてこそなので、生きるための最低限の嘘はありうる。
(※許されるという意味ではない。現象として起こりうるという意味。個人重視

 

しかし集団的には、それも変わりうると思う。
集団重視

 

 

納得できる結論は今のところ出ていない。
それでも私は、矛盾を抱えたままでも脱落しない道を探している。

 

 

※これは誰かを裁くためではなく、落ちないための記録です。
まだ整理の途中ですが、ここまで読んでくださり有難うございました。

 

生きとし生けるものが幸せでありますように🌱