長い間、私は仏教だけを見てきました。
それは、仏教があまりにも奥深く、他のことを見る余裕がなかったからです。
ところが、ある時、少しばかり仏道に詰まりました。
その時、哲学が希望を見せてくれました。
「実存主義」というものです。
まだ詳しくはありませんが、私は次のように受け取りました。
受動的ニヒリズム
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すべては無意味である
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だから何をしても仕方がない
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無気力、享楽、自己破壊、諦めへ向かう
実存主義的な応答(能動的ニヒリズム)
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無意味を認めたうえで、自分で意味を作り出す(サルトルの「実存は本質に先立つ」)
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死を直視することで、逆に「今」を濃密に生きる
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自由と責任を引き受け、自分の人生を選び取る
※私なりの要約です。実存主義と能動的ニヒリズムが、厳密に同じだという意味ではありません。
では、これまで触れてきた仏教とは何が違うのでしょうか。
私が今感じている違いを、あえて簡単に表すなら、
仏教――執着を手放し、苦を減らす。
実存主義――執着や情熱も引き受け、苦を背負ってでも生き抜く。
ということになります。
仏教は、握りしめすぎたものを手放すことを教えてくれます。
実存主義は、無意味だからと諦めず、それでも何を大切にして生きるかを、自分で選ぶ姿勢を教えてくれます。
人生において、この両方を自然に組み合わせている人も少なくないようです。
それを聞いて、私も納得しました。
私はこれから、仏教と実存主義のミックスで生きてみようと思います。
名づけて「仏教的実存主義」
その具体的な定義はハッキリしていませんが、
「苦を減らし、無意味な人生を力強く生きる」という方向です。
自分の状態を顧みない禁欲は、かえって苦を増やすこともあります。
何かを手放すことで苦が減る時もあれば、何かを大切に選び取ることで生きる力が戻る時もあります。
仏教だけですべてを解決しようとしなくてもいい。
今の私には、手放すことだけでなく、選ぶこと、楽しむこと、生きる力を取り戻すことも必要なのだと思います。
手放すことと、選び取ること。
キーワードは、「バランス」。
その中で、自分にとっての生き方を探し続ける。
それが、これから私が歩いてみたい「仏教的実存主義」です。
最後までお読みいただき有り難うございました。
生きとし生けるものが幸せでありますように🌱
※この記事は、仏教と実存主義についての私自身の要約・解釈を含みます。