親の老後のこと、お金のこと、社会復帰のこと。
私は、障害歴26年、無職歴20年、52歳独身、親と同居。精神障害で障害等級2級。貯金もない。未来が見えなくて不安です。

私に限った話ではありません。
多くの精神障害者が障害年金を受給したものの、その更新に怯えています。

生活のために、悪化してでも等級維持が必要だと感じてしまう人もいます。

こういう条件が揃うと、未来は「計画」ではなく「脅威」になる。
脅威の中心には、主治医への恐怖がある。自分の将来が、主治医の判断に左右されるように感じてしまうからだ。

嘘が頭をよぎる。

それでも私は、腐っても仏教徒だ。
五戒を可能な限り守りたい。けれど現実は、綺麗ごとだけでは済まない。



私は「素の自分」を主治医にぶつけていきたいと思っている。
病名はコントロールしようとして、できるものとは限らない。
かえって軽い病気に思われたり、主治医はお見通しだったりする可能性もある。嘘はつきたくない。

ただ、元気な時は沈黙してしまう。
調子が良いとは言わない(自分の不利になることは言わない)。沈黙という方便も使う。



私は、避けられない嘘はつきうると思っている。
自分の生活を守り嘘をつくか、自分の生活を破壊し真実を語るか。二択に迫られる場面はある。

最低限の生活を守るため、修行のため、家族の負担軽減のため、あと1回の障害年金更新で等級2級を維持する必要がある。
そのためには、主治医に病状の嘘(誇張表現や、少しの嘘)をつかざるを得ない——そう感じてしまうことがある。沈黙していても、誘導される場合は多いからだ。

たとえその嘘に「自他に益があり」「慈悲があり」「悪意が無い」としても、真実ではない以上、戒律としては守れないことになる。

ここで厳しい意見は簡単に言える。
けれど、厳密さが人を除外する刃になるなら、それは戒律の役割を取り違える危険がある。
戒律は、人を守り、人を成長させるものだと私は思う。
ある種の厳しさは、脱落のリスクを孕む。ブッダの教えが、脱落を顧みないものであるはずがない。

もちろん、「嘘が許される」という話ではない。
五戒は大切で、極力守り、可能なら厳密さを上げていく。
その前提の上で——現実の綱渡りの中で、私は落ちない道を探している。



さらに怖いのは、主治医だけじゃない。世の中の流れが不安だ。

法律だって、少しずつ多数派の意見に流されていく。
この社会は多数派が有利なのだろうか?
少数派…社会的弱者(障がい者や貧困層)と、社会的強者(お金持ち)。

障害年金の受給基準や、生活保護の「水際対策」が厳しくなるのでは?
お金持ちには、より強い増税を課すのでは?と恐れてみたり。
とにかく不安。SNSの強い言葉に触れると、さらに不安が増幅する。
過激な発言は可視化されやすい。やさしさは拡散されにくい。

でも、ここで一つだけ押さえておきたい。
生活保護には「申請する権利」があり、運用上も申請を妨げる行為は慎むべきだとされている。

つまり、世の中が無常で揺れても、「完全に丸腰」ではない。
少なくとも、知識と支援ルートを持つことで、不安の一部は具体化できる。



思うようにはならなくても、
「もがけば、少しは期待に近づける」と信じるから、もがき、執着し、苦しむ。
……どうすればいいのだろう。

私の暫定の答えはこうだ。

もがきは無くせない。
だから、もがきながら「第三の道」を探す。




そして最後に、私が一番言いたいのはここだ。

弱者にも役割があり、価値がある。
……ただし「役に立つから価値がある」からは離れる必要がある。
価値は条件付きではない。尊厳がある。

尊厳を憲法ではなく、もっと分かりやすく言うなら、
生きとし生けるもの、傷つきうるものは、踏みつけてはいけない。
ただ、それだけのことだ。




追記:そして今

そしてここが自分でも矛盾っぽいけど、大事で、
26年2月現在、私は「嘘をつくかも」と言いながらも、結局は嘘をつけていない、という事実の側面がある。

もがく中で導き出された、第三の道を歩んでいる。
この調子で行きたいと願う。
五戒を完璧に守れなくても、脱落しない形で、少しずつでも整えていきたい。

泥臭い話。2026年2月現在、
障害年金2級が貰えているなら、B型作業所までに留まり、医療費助成などの支援を受ける。
障害年金3級しか貰えないなら、A型作業所を目指す方向を見つめる。
(あくまで当事者の現実の一例です。)



最後までお読みくださり、心からお礼申し上げます。

生きとし生けるものが幸せでありますように。(合掌)