2011年3月11日の事 | ビートまりお母(尾崎順子)の日記

ビートまりお母(尾崎順子)の日記

「林檎華憐歌」を楽しく歌っています♫ 「ビートまりお母」です。
歌を歌うことが大好きです。趣味は、カメラ、歌う事、朝散歩などなど。

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在住:青森県弘前市

あれから8年が経ちました。

私の生活環境も変わりました。

年齢も重ねました。

 

でも、あの日が衝撃的であったことは変わることなく確かな事なのです。

 

2011年3月14日の日記より

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ランチタイムも一段落した金曜日の午後2時45分頃。
いつものように、カウンターのイスで休憩しながら新聞を広げてのお昼ご飯を食べていました。
ゆっくりとゆらゆらしています。小船に乗って浮いて揺れてる気分です。
「あれ?地震だよね」と、マスターと顔を見合わせました。
だんだん揺れが大きくなります。外へ出ました。
気がつかないのか、車は普通に走っています。
外濠の桜の木も揺れています。
時間がとても長く感じます。
「地震?私のめまいかと思っちゃった~」と道を行く女性。
街灯につかまっていて、気がつくと信号機が止まっています。
店内の電気も消えています。
何事も無いかのように車は交差点を交互に走っていってます。
「大きい地震だあ~。海沿いは津波に注意だね」

電気が止まったこと以外、店内に何の変化も無し。水はOK。
ケータイはやっぱり繋がらず。
固定電話が鳴る。いつもと違う着音。
「大丈夫?」と、娘からでした。
停電してもお店の電話は使えるんだ!と、ハッと気づく。
ケータイのメール音。
「こっちは大丈夫」と息子からのメールが届き、はじめて東京もなんだ!と知る。メールが届いたことすら奇跡的。

店舗から自宅までは徒歩20分強。
信号機はどこも消えていますが、車はとてもスムーズ。落ち着いています。
「こんにちは♪」と明るく声をかけながら子供たちと手を繋いで歩いているのは、近くの小学校の関係者。首に身分証明のカードを下げています。
子供たちを一人一人、家まで送っているのです。

街は穏やか、静か過ぎるほどです。

家では97歳の義母「ときえ」ちゃんが無事でした。
お隣の奥様が無事な様子をいち早く確認してくれています。

ガスと水が出ます。
大きなろうそくを用意3本。マッチも。倒れないようにマスターが空き缶の中に固定。
懐中電灯を用意。
反射式の石油ストーブ。助かりました。
水を確保。お鍋、浴槽、ペットボトル。
私の20年来の相棒の携帯ラジオ。単三2本で情報を教えてくれました。
大きな地震、大きな津波。大変だなぁ。

電気毛布が使えない。
ときえちゃんの足が氷のように冷たい。
湯たんぽに熱いお湯。専用の袋に入れて布団の中へ。
かつてTVでさだまさしさんが言っていたペットボトル湯たんぽ。
思い出しましたので、2リットルのを2本用意。
着古したトレーナー上下に、それぞれ包んで足元と胸元に。
97歳。約一世紀を生き抜いてきた姑の童女のような瞳に、力をもらいました。
静かで真っ暗な中、ろうそくの灯りは驚くほど心強い明るさでした。
夕飯はリンゴ一個ずつ。
少しカーテンを開けた窓の外。
ほのかな雪明りが、必ずやって来る朝を約束してくれていました。
が、朝刊で目に入ってきた津波での壊滅状態の写真に絶句した瞬間を忘れません。

弘前は震度4と発表されました。ほとんど被害が無く幸いでした。
長く不気味な揺れは怖かったです。
突然止まった信号機。無人の交差点で、車は譲り合ってスムーズでした。
停電は一晩で済みました。

ガソリンも灯油も規制されています。
スーパーからは食料品がなくなりつつあります。
街は静かで穏やかです。

今は亡き、母の写真を眺めています。
「人として、人として生き切っておいで」
そう言っているようです。

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