こんにちは!

ナポリのYukoです。

1週間空いてしまいましたが、

今回は古代ナポリの歴史シリーズに戻ります!!


個人的な趣味で始めた歴史シリーズですが、

予想以上に反響を頂き、

大変驚いていると共に、

感謝の気持ちでいっぱいです。

本当にありがとうございます!照れ

シリーズ過去記事はこちら↓

黎明期② 

黎明期③ 

黎明期④ 











今回は

「黎明期⑤古代ナポリ

古代ギリシャ風の世の中を覗いてみよう!前編」

がテーマです。

紀元前9世紀

古代ギリシャ人によって

古代ナポリ「パルテノペ」が誕生。

街の中心部を内陸へと移動し、

「ネアポリス」へと発展していきました。


その後に訪れる

古代ナポリの古代ローマ人入植時代も、

古代ギリシャからの影響は

街に色濃く残っていきます。

今日は、

古代ローマ人の入植へ進む前に、

古代ギリシャ風に整えられた古代ナポリの街は

一体どんな様子だったのか、

じっくり見ていきましょう照れ






目次
1,古代ナポりは古代ギリシャ文化の中心地!
①古代ギリシャ哲学
②古代ギリシャ美術
③古代ギリシャ文学
2,古代ギリシャ文化と原住民との関わり







1,古代ナポリは古代ギリシャ文化の中心地!

古代ナポリは、

古代ギリシャの有力都市国家である

アテネ(アテナイ)の人々によって

建設されました。


それに伴い、

アテネで普及していた文化

古代ナポリへたくさん流入していくことと

なります。

ここで、

古代アテネの文化について、

3つに分けて知っていきたいと思います。












①古代ギリシャ哲学

古代ギリシャ時代のアテネには

奴隷が多数暮らしていたので、

戦争以外の仕事は奴隷が担当。

市民たち

日常のほとんどを広場に集まり、

日がな議論を交わす

という生活を行っていました。


そこから【哲学】が生まれ、

ソクラテスプラトンなどの後世に名を残す

高名な哲学者が生まれていくこととなります。

古代アテネ人の入植により、

哲学古代ナポリにも流入。

街は一気に当時の最先端文化都市へと

発展していきました。











②古代ギリシャ美術

紀元前2000年から紀元前1400年の間

初期の古代ギリシャ文明が興ったクレタ島では、

すでに貴族の壮大な宮殿

青銅器や陶器の美術品で飾られていたほど、

ハイレベルな美術の歴史を持つ古代ギリシャ

クレタ人器用創造性に溢れ

芸術家の腕は非常に優れていたそうです。


青銅器や陶器のみならず、

色鮮やかな壁画なども

宮殿内の各部屋を飾っていたとされています。

古代ギリシャ人(アテネ人)の入植により、

観念や哲学だけでなく、

美しい古代ギリシャ美術も、

海を超えて「ネアポリス」に届くこととなります。












③古代ギリシャ文学

口頭伝承で物語を受け継いでいた

古代ギリシャ人は、

紀元前7世紀頃に

文字を使用して物語を伝承する技術を会得。


その後、

文学の面でも非常に高度な文化レベル

発展していきました。

演劇も盛んで、

には音楽をつけて吟唱。


文芸を意味する語「ムーシケー」

「音楽」という意味で使われていました。

現代ヨーロッパ語の音楽を意味する語は

この「ムーシケー」に由来するものが多いです。

近代的な哲学

洗練された美術

そして、

記述によってさらに発展した文学、

詩や演劇など、

海を挟んだイタリア半島に位置する

「ネアポリス」には

このように様々なギリシャ文化

到達することとなります。
























2,古代ギリシャ文化と原住民の関わり

古代ナポリ

古代ギリシャ人によって

整えられていく過程では、

ナポリ周辺の原住民である

オスク人、クーマ人、エトルリア人なども、

彼らから大きな影響を受けました。


その中でも、

古代ローマとの繋がりが強かったエトルリア人が、

イタリア半島にある古代ギリシャ風近代都市として

文化的にも経済的にも整えられた

古代ナポリの様子を、

その後現れる古代ローマ人に伝達。

古代ローマ人にとって、

高い文化レベルで発達した近代都市・古代ナポリ

憧れの場所となっていきました。


その後、

紀元前4世紀頃に起こった

古代ローマ人「ネアポリス」入植後

現地の古代ギリシャ風文化は受け継がれていき、

古代ナポリには

多くの文学者がこぞって訪れることとなったのでした。

ちなみに、

スポーツの祭典・オリンピックが生まれたのも、

古代ギリシャです。











ということで、

今回は

「黎明期⑤古代ナポリ

古代ギリシャ風の世の中を覗いてみよう!前編」

というテーマで、

古代ギリシャ風の(古代アテネ風の)文化について、

紐解いてきました。


哲学美術文学など

文化面の影響を大いに受け、

一気に文化的近代都市へと飛躍していった

古代ナポリ


古代ローマ人が憧れる街だったというのだから、

当時の相当なレベルの高さが伺えます。

いや、本当にすごいですね・・びっくり

私も書きながら、

開いた口が塞がらないというか。

いや、本当に昔の人はすごいの一言ですびっくり











このように

素晴らしい影響がたくさんあった

「ネアポリス」古代ギリシャ人入植なのですが、

残念ながらアテネ風の政治体制によって

古代ギリシャ人原住民との間に軋轢が生まれ、

最終的には衰退していくこととなります。


次回は

「黎明期⑥古代ナポリ

古代ギリシャ風の世の中を覗いてみよう・後編」

徐々に衰退していく

「ネアポリス」古代ギリシャ世界

じっくりと知っていこうと思います。








次回もどうぞお楽しみに!!照れ
こんにちは!

ナポリのYukoです。

今回は古代ナポリの歴史から少し離れ、

心も身体もあたたまる、

優しいナポリの食卓です。


ナポリではお馴染みの食材、

ひよこ豆

3月に入り、

春近しといえども

肌寒い日が続くナポリでは、

まだまだ、

あたたかいスープが美味しい季節。

ミネストローネ風にお野菜を入れて、

ひよこ豆と一緒に頂くのが好きです。


紀元前5000年前(!!)には、

すでに存在していただろうと推測されている

歴史の古い食材、ひよこ豆

古代ナポリの歴史シリーズで

頻繁に登場している古代ギリシャでも

紀元前8世紀には

日常の食材のひとつとして

普及していたと言われています。

紀元前8世紀といえば、

ちょうど古代ナポリが生まれた時代。

古代ナポリ人

ひよこ豆を食べていたのかしら

と思うと、

感慨深いです。


プロテインを多く含むため、

昔は貧しい人たちが

お肉の代わりとして

寒い時期に食することが多かったそうです。

今でもナポリでは

冬の煮込み料理に使用することが

多いひよこ豆

寒暖差が激しく

体調管理が難しい時期なので、

あたたかいひと皿で

身体も心もほっこりしたいですね。


とてもシンプルなお料理なので、

ぜひお試しください。

レシピを載せておきますね。

【ひよこ豆のミネストローネ風スープ】

【材料】*量はお好みで調整してください*
玉ねぎ  
人参
セロリ
ひよこ豆
オリーブオイル
お水
ローズマリー
(なくても大丈夫ですが、入れると良い香りがします)

【作り方】
1,細かく刻んだお野菜をお鍋に入れ、
  少量の油で炒める。
2,ひよこ豆(茹でてあるもの)をお鍋に入れ、
  軽く炒める。
3,お水を材料ヒタヒタに入れ、
  弱火でコトコト煮込む。
  (ローズマリーはこのタイミングで)

*油で材料を炒めるとコクが出ますが、
 ヘルシーに頂きたい場合は
 省略しても大丈夫です。
 その場合は、
 お皿に盛ってから
 スープにオリーブオイルを数滴垂らすと
 香りが良く、美味しいですよ。

ぜひお試しください照れ









毎週金曜更新で続けていましたが、

今回は更新が遅れてしまいました。

申し訳ありませんガーン

また次回もどうぞお楽しみに照れ
こんにちは!

ナポリのYukoです。

先週は体調不良でおやすみを頂きましたが、

現在は快方に向かっています!

ご心配頂きました皆様、

本当にありがとうございます!!!







約3000年に渡る古代ナポリ誕生から現在までの

長い歴史についてのシリーズ。

今回は第四回目。

「黎明期④古代ナポリのメインストリートいま昔!」

というテーマです。

黎明期シリーズ過去記事はこちら↓




(コロナ前に撮影)

前回までにじっくりと学んだ、

古代ナポリの近代的な街づくり

今回は、

今も昔もナポリの人々が行き交う

古代ナポリのメインストリート

「デクマーノ」について紐解いていきます。

それでは今日も

たのしい古代ナポリ・歴史の時間

はじめましょう!








【目次】
1,メインストリート「デクマーノ」!
2,古代を現代(いま)に伝える「デクマーノ」!










1,メインストリート「デクマーノ」!

東西南北に一直線に走る道をもとに、

ピッポダモス型・格子状に道路整備された

古代都市・ネアポリス

東西はピンク南北は紫

メインストリートは東西に走る3本の道。

このメインストリートのことを

イタリア語でデクマーノ(複数形はデクマー二)

と言います。

東西に走る

3本のメインストリート・デクマーノの道幅は、

それぞれに6メートルほど。

それに引き換え、

南北に走る副主要道路の幅は

3メートル程度。

道の広さからも、

メインストリートの重要性

はっきりと現れていました。

ちなみに、

道幅6メートルとは、

車が2台すれ違えるくらいの道幅です。

下デクマーノから中デクマーノを眺める。
奥の白い建物が向こう側の中デクマーノ
(コロナ前に撮影)


本来「デクマーノ」は、

その後、紀元前4世紀以降に訪れる

古代ローマ人入植時代に

同様の方法で建てられた都市の

主要3道路を指しますが、

ナポリの場合は

古代ギリシャ時代のものを指しています。

これだけ近代的で規則的で

機能的な都市構造を整備できたということから、

当時の古代ギリシャ人の

相当な知識レベルの高さが伺えますね。

2500年以上前の世界に、

これほど高度な知的レベルの方々が

いたということは、

本当に驚きとしか言いようがありません。。

古代ギリシャ人、すごすぎです!!!









2,古代を現代(いま)に伝える「デクマーノ」!

格子状に整えられた

ネアポリス時代の道路は、

現在も変わらず日常的に使用されていて、

今でも普通に歩くことが可能です。

↑下デクマーノ
サン・ベネデット・クローシェ通りと、
サン・ビアジョ・デイ・リブライ通り
(通称スパッカナポリ)

2500年以上前に埋め込まれた

大きな石からなる石畳の道。

表面はデコボコですり減っている部分もあり、

長い長い時間(とき)の流れを私たちに感じさせます。

三本あるうちの一番下デクマーノは、

通称・スパッカナポリと呼ばれる

サン・ベネデット・クローシェ通りと、
サン・ビアジョ・デイ・リブライ通り
(道の途中で「通りの名前」が変わります)。

真ん中デクマーノは、

本場ナポリピザの超スーパー激戦地・トリブナーリ通り

一番上のデクマーノは、

サピエンツァ通りとアンティカリヤ通り
(こちらも道の途中で「通りの名前」が変わります)。

【図解】
・ピンク→サン・ベネデット・クローシェ通りと、
サン・ビアジョ・デイ・リブライ通り
・紫→トリブナーリ通り
・緑→サピエンツァ通りとアンティカリヤ通り


現在も学生や観光客などで大いに賑わい、

ナポリ歴史地区の中でも

その存在感をひときわ示している、

スパッカナポリトリブナーリ通り

スパッカナポリは、

ナポリ歴史地区南北真っ二つに分ける道

としても有名です。


それにに比べるとサピエンツァ通りは、

現在のところ、

古代ギリシャ時代の主要道路としての機能を

ほとんど失っている通りとなっています。

そして、

南北に走る副主要道路のうち、

現在も有名な通りが

ドゥオモ通りになります。


たかが道、されど道。

ナポリ歴史地区の道には

2500年の歴史あり。

知れば知るほど面白い、

ナポリ歴史地区です。

かの有名な

スパッカナポリの誕生秘話も

お分かりいただけたかと思います。


ナポリ歴史地区にいらっしゃる際は、

ぜひ2500以上年前に

古代ギリシャ人が整備した通りに

足を運んでみてくださいね。

気分は一気に古代ギリシャ時代にタイムスリップ!

不思議な感覚に包まれますよ。

古代遺跡が大好きな私には

楽しくて、心がウキウキする、

たまらなくステキな場所です。

なお、

ナポリ歴史地区

先ほどお伝えしました通り、

巨大な石が無造作にゴロゴロしている石畳のため、

足場が非常に悪い道。


歩き慣れていない方には

デコボコが激しいです。

必ず歩きやすい靴(スニーカーなど)での

お出かけをおススメします!!!

雨が降ると、

路面がさらに滑りやすくなります。

(本当にツルツルになります!!)

ナポリ歴史地区を歩く際は

「ゆっくり歩く」

というのもポイントです。

天候にも気をつけながら、

のんびりと気ままなナポリ歴史地区散策

たのしんでくださいね。


ということで、

今回は

「黎明期④古代ナポリのメインストリートいま昔!」

というテーマで書いてきました。

古代ギリシャ人の植民地として

紀元前9世紀に誕生した「パルテノペ」

「ネアポリス」となり、

一気に当時の近代都市へと姿を変えていきました。

次回は

「黎明期⑤その昔から文化の中心地!

古代ローマ人が憧れたネアポリス」

がテーマ。

ついに古代ローマ人のネアポリス入植!

という時期に入ります。

古代から文化の中心地として栄え、

みんながこぞって来たがる

憧れの街だったナポリについて

紐解いていきますよ。

どうぞお楽しみに!!





今日も週末のナポリ日和を最後までお読み頂き、

ありがとうございました!!

こんにちは!

ナポリのYuko です。






「約3000年に渡る古代ナポリ誕生から現在までの

長い歴史についてのシリーズ」

の途中ですが、

実は体調を崩し

記事が書けませんでした…!!

告知が遅くなり、

申し訳ありません!

取り急ぎお知らせまで。

追伸:

来週からは

【週末のナポリ】

通常更新に戻りたいと思います。


春爛漫なナポリ。


こんにちは!

ナポリのYukoです。






約3000年に渡る古代ナポリ誕生から現在までの

長い歴史についてのシリーズ。

今回は第三回目

「黎明期③・ネアポリスの誕生と

古代ギリシャ人の機能的な街づくり!」

というテーマです。


シリーズ過去記事↓













当初、

黎明期は3回で終わる予定だったのですが、

もう少し長くなりそうです。

のんびりお付き合い下さいね。

そして、

前回の歴史シリーズで

古代ローマ人の旧市街整備」

と書きましたが、

「古代ギリシャ人」の誤りです!

ごめんなさい!!

それでは

今日もたのしい古代ナポリの歴史

早速はじめましょう!










【目次】

1,パルテノペからネアポリスへ
2,ネアポリスとはどんな意味?
3,ピッポダモス型で格子状の街づくり









「パルテノペ」から「ネアポリス」

時は紀元前9世紀

古代ギリシャ人の入植により、

サンタルチア湾周辺に生まれた

古代ナポリ「パルテノペ」


その後、古代ギリシャ人

「パルテノペ」と呼ばれた

サンタルチア地区を後にして、

街の中心地を

現在の「ナポリ歴史地区(または旧市街)」へと

移していきました。

街の名前は

「パルテノペ」から

「ネアポリス(NEAPOLIS)」となり、

ここから本格的な街づくりが開始されます。


*具体的な移動の位置関係はこちら↓







2,「ネアポリス」ってどんな意味?

ナポリ歴史地区へと街の中心部を移し、

「ネアポリス」と命名された古代ナポリ

「ネア」新しい

「ポリス」は古代ギリシャの都市国家のこと。

古代ギリシャ人によって

「新しく」作られた「都市」ということで、

古代ナポリ

「ネア(新)ポリス(都市)」

と呼ばれることとなります。


そして、

歴史が現代に近づくにつれて

「ネアポリス」が少しづつ訛っていき、

現在の街の名前「ナポリ」へと

変化を遂げていくのでした。










3,ピッポダモス型で格子状の街づくり

古代ギリシャ人は、

ピッポダモス型と呼ばれる

格子状の都市計画をもとに

「ネアポリス(新都市)」を整備していきます。

ピッポダモス型都市計画とは、

都市計画家・ピッポダモスが考案した

「街を東西に横切る

3本の幅広なメインストリートと、

南北に走るいくつかの狭い道路を

交差させて作られる

格子状の都市計画」

のこと。


*分かりやすく図で示しますね↓
注)ピンクのラインが東西のメインストリート
  紫のラインが南北に走る道路


ピッポダモスとは、

紀元前5世紀に小アジアのミトレスで生まれた、

歴史上最初の都市計画家

一つの建物をデザインする建築家とは異なり、

街全体を機能的に整備するのが

都市計画家の仕事です。

博識家として知られたピッポダモス

壮大な知識のなせる技だったのでしょう。

本当にスケールがすごいです。

ナポリ以外には、

古代遺跡都市のポンペイ

ギリシャのロードス島も、

格子状に道路が走る

ピッポダモス型都市計画をもとに

整備されています。


明快かつ整然とし、

非常に機能的な近代的都市として建設された

「ネアポリス」

これがまだ紀元前の出来事というのは、

本当に驚きです。。!!

そして、日本はというと、

まだ縄文時代


すでにこのシリーズでお伝えしている通り、

まだ定住生活には至っておらず、

移動型の狩猟と採集のスタイル

暮らしていたのでした。。














ということで、今回は

「黎明期③ネアポリスの誕生と

古代ギリシャ人の機能的な街づくり!」

というテーマで書いてきました。

古代ギリシャ人の植民地として

紀元前9世紀に誕生した「パルテノペ」

「ネアポリス」となり、

古代ギリシャ時代の英知をここぞと注ぎ込まれる形で

一気に当時の近代都市へと姿を変えていきました。

冒頭でお伝えした通り、

もう少し「黎明期・古代ナポリシリーズ」は続きます。

次回は

「黎明期④古代ナポリ・メインストリートのいま昔」

というテーマです。



現代に引き継がれる

2000年以上前のメインストリートについて、

ご紹介していきます!











週末のナポリ気分

今回もお楽しみいただけましたでしょうか。

今日も最後までお読み頂き

ありがとうございました!!