こんにちは!
ナポリのYukoです。
1週間空いてしまいましたが、
今回は古代ナポリの歴史シリーズに戻ります!!
個人的な趣味で始めた歴史シリーズですが、
予想以上に反響を頂き、
大変驚いていると共に、
感謝の気持ちでいっぱいです。
本当にありがとうございます!![照れ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/007.png)
![照れ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/007.png)
シリーズ過去記事はこちら↓
今回は
「黎明期⑤古代ナポリ
古代ギリシャ風の世の中を覗いてみよう!前編」
がテーマです。
紀元前9世紀に
古代ギリシャ人によって
古代ナポリ「パルテノペ」が誕生。
街の中心部を内陸へと移動し、
「ネアポリス」へと発展していきました。
その後に訪れる
古代ナポリの古代ローマ人入植時代も、
古代ギリシャからの影響は
街に色濃く残っていきます。
今日は、
古代ローマ人の入植へ進む前に、
古代ギリシャ風に整えられた古代ナポリの街は
一体どんな様子だったのか、
じっくり見ていきましょう![照れ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/007.png)
![照れ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/007.png)
目次
1,古代ナポりは古代ギリシャ文化の中心地!
①古代ギリシャ哲学
②古代ギリシャ美術
③古代ギリシャ文学
2,古代ギリシャ文化と原住民との関わり
1,古代ナポリは古代ギリシャ文化の中心地!
古代ナポリは、
古代ギリシャの有力都市国家である
アテネ(アテナイ)の人々によって
建設されました。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210326/03/napoli-violino/fa/22/j/o1080071914915958309.jpg?caw=800)
それに伴い、
アテネで普及していた文化も
古代ナポリへたくさん流入していくことと
なります。
ここで、
古代アテネの文化について、
3つに分けて知っていきたいと思います。
①古代ギリシャ哲学
古代ギリシャ時代のアテネには
奴隷が多数暮らしていたので、
戦争以外の仕事は奴隷が担当。
市民たちは
日常のほとんどを広場に集まり、
日がな議論を交わす
という生活を行っていました。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210326/03/napoli-violino/e7/36/j/o1080071914915958313.jpg?caw=800)
そこから【哲学】が生まれ、
ソクラテスやプラトンなどの後世に名を残す
高名な哲学者が生まれていくこととなります。
古代アテネ人の入植により、
哲学が古代ナポリにも流入。
街は一気に当時の最先端文化都市へと
発展していきました。
②古代ギリシャ美術
紀元前2000年から紀元前1400年の間に
初期の古代ギリシャ文明が興ったクレタ島では、
すでに貴族の壮大な宮殿が
青銅器や陶器の美術品で飾られていたほど、
ハイレベルな美術の歴史を持つ古代ギリシャ。
クレタ人は器用で創造性に溢れ、
芸術家の腕は非常に優れていたそうです。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210326/03/napoli-violino/f0/30/j/o1080072214915958439.jpg?caw=800)
青銅器や陶器のみならず、
色鮮やかな壁画なども
宮殿内の各部屋を飾っていたとされています。
古代ギリシャ人(アテネ人)の入植により、
観念や哲学だけでなく、
美しい古代ギリシャ美術も、
海を超えて「ネアポリス」に届くこととなります。
③古代ギリシャ文学
口頭伝承で物語を受け継いでいた
古代ギリシャ人は、
紀元前7世紀頃に
文字を使用して物語を伝承する技術を会得。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210326/03/napoli-violino/5f/49/j/o1080071914915958442.jpg?caw=800)
その後、
文学の面でも非常に高度な文化レベルに
発展していきました。
詩や演劇も盛んで、
詩には音楽をつけて吟唱。
文芸を意味する語「ムーシケー」は
「音楽」という意味で使われていました。
現代ヨーロッパ語の音楽を意味する語は
この「ムーシケー」に由来するものが多いです。
近代的な哲学、
洗練された美術、
そして、
記述によってさらに発展した文学、
詩や演劇など、
海を挟んだイタリア半島に位置する
「ネアポリス」には
このように様々なギリシャ文化が
到達することとなります。
2,古代ギリシャ文化と原住民の関わり
古代ナポリが
古代ギリシャ人によって
整えられていく過程では、
ナポリ周辺の原住民である
オスク人、クーマ人、エトルリア人なども、
彼らから大きな影響を受けました。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210326/03/napoli-violino/b9/c0/j/o1080060714915958582.jpg?caw=800)
その中でも、
古代ローマとの繋がりが強かったエトルリア人が、
イタリア半島にある古代ギリシャ風近代都市として
文化的にも経済的にも整えられた
古代ナポリの様子を、
その後現れる古代ローマ人に伝達。
古代ローマ人にとって、
高い文化レベルで発達した近代都市・古代ナポリは
憧れの場所となっていきました。
その後、
紀元前4世紀頃に起こった
古代ローマ人の「ネアポリス」入植後も
現地の古代ギリシャ風文化は受け継がれていき、
古代ナポリには
多くの文学者がこぞって訪れることとなったのでした。
ちなみに、
スポーツの祭典・オリンピックが生まれたのも、
古代ギリシャです。
ということで、
今回は
「黎明期⑤古代ナポリ
古代ギリシャ風の世の中を覗いてみよう!前編」
というテーマで、
古代ギリシャ風の(古代アテネ風の)文化について、
紐解いてきました。
哲学、美術、文学など
文化面の影響を大いに受け、
一気に文化的近代都市へと飛躍していった
古代ナポリ。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210326/03/napoli-violino/69/ed/j/o0756108014915958598.jpg?caw=800)
古代ローマ人が憧れる街だったというのだから、
当時の相当なレベルの高さが伺えます。
いや、本当にすごいですね・・![びっくり](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/014.png)
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私も書きながら、
開いた口が塞がらないというか。
いや、本当に昔の人はすごいの一言です![びっくり](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/014.png)
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このように
素晴らしい影響がたくさんあった
「ネアポリス」の古代ギリシャ人入植なのですが、
残念ながらアテネ風の政治体制によって
古代ギリシャ人と原住民との間に軋轢が生まれ、
最終的には衰退していくこととなります。
次回は
「黎明期⑥古代ナポリ
古代ギリシャ風の世の中を覗いてみよう・後編」。
徐々に衰退していく
「ネアポリス」の古代ギリシャ世界を
じっくりと知っていこうと思います。
次回もどうぞお楽しみに!!![照れ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/007.png)
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