こんにちは!

ナポリのYukoです。






約3000年に渡る古代ナポリ誕生から現在までの

長い歴史についてのシリーズ。

今回は第三回目

「黎明期③・ネアポリスの誕生と

古代ギリシャ人の機能的な街づくり!」

というテーマです。


シリーズ過去記事↓













当初、

黎明期は3回で終わる予定だったのですが、

もう少し長くなりそうです。

のんびりお付き合い下さいね。

そして、

前回の歴史シリーズで

古代ローマ人の旧市街整備」

と書きましたが、

「古代ギリシャ人」の誤りです!

ごめんなさい!!

それでは

今日もたのしい古代ナポリの歴史

早速はじめましょう!










【目次】

1,パルテノペからネアポリスへ
2,ネアポリスとはどんな意味?
3,ピッポダモス型で格子状の街づくり









「パルテノペ」から「ネアポリス」

時は紀元前9世紀

古代ギリシャ人の入植により、

サンタルチア湾周辺に生まれた

古代ナポリ「パルテノペ」


その後、古代ギリシャ人

「パルテノペ」と呼ばれた

サンタルチア地区を後にして、

街の中心地を

現在の「ナポリ歴史地区(または旧市街)」へと

移していきました。

街の名前は

「パルテノペ」から

「ネアポリス(NEAPOLIS)」となり、

ここから本格的な街づくりが開始されます。


*具体的な移動の位置関係はこちら↓







2,「ネアポリス」ってどんな意味?

ナポリ歴史地区へと街の中心部を移し、

「ネアポリス」と命名された古代ナポリ

「ネア」新しい

「ポリス」は古代ギリシャの都市国家のこと。

古代ギリシャ人によって

「新しく」作られた「都市」ということで、

古代ナポリ

「ネア(新)ポリス(都市)」

と呼ばれることとなります。


そして、

歴史が現代に近づくにつれて

「ネアポリス」が少しづつ訛っていき、

現在の街の名前「ナポリ」へと

変化を遂げていくのでした。










3,ピッポダモス型で格子状の街づくり

古代ギリシャ人は、

ピッポダモス型と呼ばれる

格子状の都市計画をもとに

「ネアポリス(新都市)」を整備していきます。

ピッポダモス型都市計画とは、

都市計画家・ピッポダモスが考案した

「街を東西に横切る

3本の幅広なメインストリートと、

南北に走るいくつかの狭い道路を

交差させて作られる

格子状の都市計画」

のこと。


*分かりやすく図で示しますね↓
注)ピンクのラインが東西のメインストリート
  紫のラインが南北に走る道路


ピッポダモスとは、

紀元前5世紀に小アジアのミトレスで生まれた、

歴史上最初の都市計画家

一つの建物をデザインする建築家とは異なり、

街全体を機能的に整備するのが

都市計画家の仕事です。

博識家として知られたピッポダモス

壮大な知識のなせる技だったのでしょう。

本当にスケールがすごいです。

ナポリ以外には、

古代遺跡都市のポンペイ

ギリシャのロードス島も、

格子状に道路が走る

ピッポダモス型都市計画をもとに

整備されています。


明快かつ整然とし、

非常に機能的な近代的都市として建設された

「ネアポリス」

これがまだ紀元前の出来事というのは、

本当に驚きです。。!!

そして、日本はというと、

まだ縄文時代


すでにこのシリーズでお伝えしている通り、

まだ定住生活には至っておらず、

移動型の狩猟と採集のスタイル

暮らしていたのでした。。














ということで、今回は

「黎明期③ネアポリスの誕生と

古代ギリシャ人の機能的な街づくり!」

というテーマで書いてきました。

古代ギリシャ人の植民地として

紀元前9世紀に誕生した「パルテノペ」

「ネアポリス」となり、

古代ギリシャ時代の英知をここぞと注ぎ込まれる形で

一気に当時の近代都市へと姿を変えていきました。

冒頭でお伝えした通り、

もう少し「黎明期・古代ナポリシリーズ」は続きます。

次回は

「黎明期④古代ナポリ・メインストリートのいま昔」

というテーマです。



現代に引き継がれる

2000年以上前のメインストリートについて、

ご紹介していきます!











週末のナポリ気分

今回もお楽しみいただけましたでしょうか。

今日も最後までお読み頂き

ありがとうございました!!