こんにちは!

ナポリのYukoです。

歴史のお話が2回続いたので、

今日は一旦お休みして、

ナポリ郊外散歩

お楽しみ頂きたいと思います。









ナポリから東に100キロ離れると

景色が一変!


一気に緩やかな山並みが増えました。

ナポリにはない風景が広がります。

こちらはナポリ隣県、

アヴェッリーノ県の小さな村、ジェズアルド

とってものどかな雰囲気です。

昔のままの自然が変わらず残っているので、

野菜や果物の栽培、

酪農などで生計を立てている方が多いです。


村の中心部には、

頑丈に石で造られた

16世紀の古城が残されています。

このお城は、

ナポリの貴族で作曲家あった

カルロ・ジェズアルドの居住地でした。

村の名前も

ジェズアルドにちなみ、

同じ呼び名になっています。

ジェズアルドは

音楽の世界で非常に大きな功績を残し、

その貢献を讃えて

ナポリ大聖堂に祀られている人物の一人。

しかし、

プライベートでは

浮気した奥さんを殺してしまうなど、

残念ながらあまり幸せではなかったようです。

機会を見つけて、

改めてジェズアルドにも

触れていきたいと思います。


石畳の道が多く、

詩的な雰囲気が漂う中世そのままの街

ジェズアルド

私は昨年に引き続き、

今年もこの街の音楽高校で

若者たちにバイオリンを教えています。











ということで、

今回は週末のナポリ郊外編

ナポリから隣県へ少し離れるだけで

雰囲気や景色が全く違っていくのも

魅力のひとつ。

なかなか旅行では訪れることがない

ナポリ近隣の小さな村の紹介でした。

次回は通常のナポリの歴史シリーズ

戻ります。

最後までお読み下さり、

ありがとうございました!


こんにちは!

ナポリのYukoです。



前回に引き続き、

約3000年に渡る古代ナポリ誕生から現在までの

長い歴史についてのシリーズ。



第二回目は、

「黎明期②古代ナポリと伝説の人魚パルテノペ 

〜街の名前の由来に迫る〜」

というテーマです。

早速今回も古代ナポリの歴史をはじめましょう!

注)今回は少し長めの記事となっています。。!







【目次】

1、古代ナポリはパルテノペ
2,古代ナポリと古代ギリシャの深い関わり
3,古代ギリシャの文化とは
4,『オデュッセイア』とは何なのか??
5,古代ナポリパルテノペの現在(いま)







1,古代ナポリはパルテノペ


紀元前9世紀に、

サンタルチア湾で生まれた古代ナポリ

当時は【ナポリ】という名前ではなく、

【パルテノペ】という名前でした。

ここからは、

なぜパルテノペという名前だったのかについて

分かりやすく紐解いていきましょう。







2,古代ナポリと古代ギリシャの深い関わり

紀元前9世紀に古代ギリシャ時代の植民地として

生まれた古代ナポリは、

支配国であった古代ギリシャの影響を強く受け、

当時の街の名前も

古代ギリシャの伝説の人魚パルテノペに由来しています。


3,古代ギリシャの文化とは

ここからしばらくは、

当時の古代ギリシャの文化事情について

少し知っていきましょう。

古代ギリシアにおいて、

ギリシア神話と同様に

教養ある市民が

必ず知っているべき知識とされていた

オデュッセイア』と『イーリアス

というふたつの叙事詩がありました。

オデュッセイア』は詩人ホメロスによって「伝承」
(と言われていますが、諸説あります)

というのも、

当時はまだ作品の文字化が行われておらず、

吟遊詩人の方々が

【詩歌を吟(ぎん)ずる】

という方法で作品が次世代へと

受け継がれていたからなのでした。


【吟ずる】とは、

詩歌などを作ったり、それらに節をつけて歌うこと

紀元前9世紀頃、

すでに古代ギリシャでは

各地を周りながら詩や歌を作り、

人々に歌っていた方々がいたとは・・。

このことから、

古代ギリシャの、古代とは思えない、

かなり洗練された文化レベルが伺えますね。

ちなみに、全くの余談ですが、

私の子供の頃の夢は、吟遊詩人になることでした(笑)。

誰に言っても真剣に受け止めてもらえず、

不思議な顔をされて終わっていましたが、

私自身は本当に憧れていました。

古代ギリシャ時代に生まれていたら、

間違いなくこの職業を選んでいたと思います。


さて、前回も書きましたが、

当時の日本は縄文時代でした・・。

土器に縄で模様を付け、

狩りと収集で生活していた私たちと古代ギリシャは

だいぶ異なる世界だったのでしょうね。

古代ギリシャの皆さん、本当にすごすぎです。












4,『オデュッセイア』とは何なのか??

ここからは、

先ほどチラリと名前が出ていた

教養ある古代ギリシャ人の必須知識(!!)

オデュッセイア』に話を戻しましょう。


オデュッセイア』は、

ラテン語でUlixes(ウリクセス

あるいはUlysseus (ウリュッセウス)。

これが英語のUlysses(ユリシーズ)の原型になっています。

日本語でも『オデユッセイア』と言われたり、

ユリシーズ』と言われたりしますが、

同じことを指しています。

イタリア語ではUlisse(ウリッセ)と言います。


さて、このユリシーズはどんなお話かというと、

主人公「ユリシーズ」の10年間に渡る大冒険物語です。

トロイア戦争に勝利したのち、

様々な冒険を経て、

妻が待つ故郷へ帰るというのがストーリー。

その途中でナポリ沖を通過したとされています。

ナポリ沖には人魚が住む島があるという伝説があり、

人魚たちは船が通るたびに

美しい歌声で船員を惑わし、

船を沈没させていました。


ユリシーズも人魚の誘惑に遭うのですが、

自らの耳を塞ぎ

身体を船体の柱に縛り付けることで、

無事にナポリ沖を通過しています。

実は、誘惑を図っていた人魚たちの中に

ユリシーズにひそかに恋していた

人魚パルテノペがいました。

彼を誘惑できなかったことにショックを受け、

なんと自ら命を絶ってしまうパルテノペ

悲しみに包まれたパルテノペの亡骸が

ナポリの岸辺にたどり着き、

現在のサンタルチア湾、

世界一美しい海辺の陸地部分となったと言われています。

つまり、

紀元前9世紀

サンタルチア湾から生まれた古代ナポリ

パルテノペと呼ばれていたのは、

この人魚パルテノペ悲恋伝説に由来しているのです。


5,古代ナポリパルテノペの現在(いま)

サンタルチア湾の美しい景色もさることながら、

街の名前の由来もまたロマンチックな古代ナポリ

現在も、

サンタルチア湾エリアは

「パルテノペ地区」と呼ばれ、

高級ホテルが立ち並ぶ海岸沿いの道は

「パルテノペ通り」と呼ばれています。

ナポリへいらっしゃる際は、

ぜひ人魚パルテノペ伝説を思い出しながら

サンタルチア湾をのんびりお散歩してみてくださいね。

海と山、両方一気に楽しめる美しい景色に、

きっと心が洗われますよ。


ナポリは温暖な気候なので、

冬でも寒さがそれほど厳しくありません。

春から夏にかけてはもちろん、

冬場でもナポリ特有の爽快な青空が広がる日があります。

一年中季節を問わず、

現地のナポリ民もこぞって集まる

海風が心地よいステキなお散歩ロード・パルテノペ通り

ナポリっ子気分を味わいたい方は

ぜひ足を運んでみてくださいね!











ということで、

今回は

「黎明期②古代ナポリ・伝説の人魚パルテノペ
 
〜街の名前の由来に迫る〜」

というテーマで書いてきました。

古代ギリシャ人の植民地として発祥した古代ナポリは、

古代ギリシャとの密接な関係を保ちながら、

さらなる発展を遂げていきます。

次回は第3回目。

黎明期③ネアポリスの誕生と古代ギリシャ人の旧市街整備」

がテーマです。


ビックリするほど近代的な構造で造られた街の中心部が、

どういう方法で建設されていったのか、

都市計画を中心に紐解いていきましょう。





週末のナポリ気分

今回もお楽しみいただけましたら幸いです。

少し長くなってしまって、ゴメンなさい・・。

最後までお読み頂き、ありがとうございました!

こんにちは!


ナポリのYukoです。


今日から数回のシリーズで、


約3000年に渡る古代ナポリ誕生から現在まで


長い歴史について書いていきたいと思います。


第一回目は


「黎明(れいめい)期 ①古代ナポリの誕生!」


〜いつ、どのエリアから生まれたの??〜


というテーマです。


歴史はちょっと・・という方もご安心くださいね。


ざっくりとわかりやすく紹介していきますよ!










【目次】
1、古代ナポリはいつ生まれたの?
2、ナポリはどのエリアから生まれたの?








1、古代ナポリはいつ生まれたの?


古代ナポリの発祥は紀元前9世紀


古代ギリシャ人の植民地として誕生しました。


紀元前9世紀と言われてもピンと来ませんよね。。


あまりに昔すぎて、


私も全くつかめない時代でした(笑)。


ヨーロッパや西アジアでは新石器時代


日本では縄文時代に当たります。


新石器時代の前にあたる旧石器時代は、


狩りや採集をメインに暮らしていたので、


人々の生活スタイルは移動型


それと対象的に、


新石器時代は


農耕や牧畜が始まる時代になり、


生活スタイルは定住型に変化。



時代とともに人々の暮らし方が変わり、


「街」という概念が生まれます。


その波を大いに受けて生まれたのが、


イタリア半島にあるナポリです。













2、ナポリはどのエリアから生まれたの?


風光明媚なサンタルチア湾


そこから突き出た


メガリデの小島と呼ばれたエリアが


古代ナポリ発祥の地です。



サンタルチア湾は、


ナポリ民謡の「サンタ・ルチア」で歌われるほど


景色が素晴らしいことで有名。


「湾」というだけあって、


当然ながら海に面しています。


当時は素朴な漁村でしたが、


現在は「グランドホテル・ベスビオ」などの


高級ホテルが立ち並ぶエリア。


常に観光客でひしめき合っています。


(今は残念ながら


コロナで閑散としていますが・・)。



お天気が良い日や週末は


ナポリっ子もこぞって


海岸沿いのお散歩を楽しむ絶景地。


古代ギリシャ人も今の私たちと同じように


ナポリの美しい景観に


魅了されていたのでしょうね。


なんだかロマンを感じます。。



ナポリが


古代ギリシャ人の植民地となった目的は貿易


海に面していたこのエリアは


海洋貿易にもってこいだったのでしょう。











先ほどチラッと書いたメガリデの小島とは、


現在「卵城」がある場所のことで、


当時このように呼ばれていました。



卵城はナポリに3つあるお城の中で最も古いもの。


現在は「城」と呼ばれていますが、


もともとは紀元前1世紀に


当時ナポリを植民地としていた


古代ローマ帝国の軍人ルクルスの別荘として


建てられました。


卵城については、


また改めて記事にしたいと思います。










今回は


古代ナポリの黎明(れいめい)期①について


ご紹介してきました。



ヨーロッパや西アジアでは


人々が定住生活を始めた新石器時代の半ば


そして、


日本では土器に縄で模様をつけていた縄文時代に、


イタリア半島ではナポリ


サンタルチア湾


古代ギリシャ人の植民地として誕生。


街の発祥が、はるか昔なんだなということ、


歴史が深い街なんだなということ、


ご理解頂けたかと思います。









私は、


ナポリの歴史を古代から遡っていると、


ものすごくワクワクします。。!


ココがこう絡まって、


こう発展していくんだなという


街の変化を知ってから街を歩くと、


気分だけタイムスリップした感じで、


本当に心から深い感動を覚えます。


学校では歴史が大の苦手だった私が、


ここまで歴女になってしまった


魅惑の街・ナポリ



知るって楽しい。


知るって喜び。


歴史って素晴らしいですね。


この気持ちを


少しでもたくさんの方と


共有できたらという気持ちで、


ブログを書いています。










次回は


黎明期②古代ナポリと伝説の人魚【パルテノペ】


というテーマで、


さらに古代ナポリの歴史を紐解いていきましょう。








【お知らせ】


今年からブログは「ナポリ日和」とタイトルを変えて、


毎週金曜日更新にするつもりです。


今はコロナの影響でなかなか海外旅行もままならない状況。


ブログを通じて


少しでも週末のナポリ気分


お楽しみ頂けたら嬉しいです。


ブログ更新のお知らせは、


これからも変わらず行っていきますので、


どうぞよろしくお願い致します。

皆さま、あけましておめでとうございます!

旧年中は大変お世話になりました。

本年もどうぞよろしくお願い致します。


長かった2020年が終わり、新しい年となりました。

穏やかに健やかに、

世界中の人々が安心して暮らせるようになって欲しいと

心から願っています。












私は今年で在ナポリ10年目。

危険な目に遭うことなく、

至って平和に暮らしているのですが、

ナポリに住んでいると言うと哀れみの表情で見られたり、

ビックリされることが多く、

逆に私が驚くことも多々あります。


歴史的建築物や芸術作品が街に溢れているので

刺激が多く、

景観も美しいので、

私自身はナポリ生活をポジティブに

エンジョイしているのですが、

残念ながら、

ナポリは国内外からの偏見や誤解の多い街なのだ

ということを強く感じています。


古代ギリシャ時代のポリス(都市国家)の一つとして

誕生した街・ナポリの歴史は2000年を超え、

スペインやフランスからの支配を受けることで

様々な文化を融合させながら発展。

1734年から1860年まで続いた

ブルボン朝時代には、

ロンドン・パリに次ぐ、

ヨーロッパ第三の文化都市として

最盛期を迎えました。

それなのに何故、

今ナポリはこんなに

誤解されてしまうのでしょうか。

もちろん、

集団犯罪組織などネガティブな面があることは

否定できませんが、

その部分だけが突出してクローズアップされるのは

とても残念に思います。


今年はナポリ10年目の私だから思うこと、

感じることなども

ブログで皆さんと共有できたらいいなと

思っています。

その他、

今までずっと記事にしたいと思っていた

ナポリ民謡(カンツォ-ネ・ナポレタ-ナ)

についても

話題にしていきたいです。

「この曲が知りたい!」

などのリクエストがありましたら、

お知らせ頂けると幸いです。


2021年も、

頑張らないマイペースな投稿になるかと思いますが、

本年も当ブログをどうぞよろしくお願い致します。







追伸:新年のご挨拶が遅れましたこと、心よりお詫び申し上げます。
2020年も残すところあと少しとなりました。


今年一年間

当ブログをお読み下さった皆様には、

感謝の気持ちでいっぱいです。

本当にありがとうございます。


来年は穏やかで健やかな一年になって欲しいと

心から願っています。

皆さま、どうぞ良いお年をお迎えください。


また来年ブログでお会いしましょう!