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ナポリにはない風景が広がります。
こんにちは!
ナポリのYukoです。
今日から数回のシリーズで、
約3000年に渡る古代ナポリ誕生から現在までの
長い歴史について書いていきたいと思います。
第一回目は
「黎明(れいめい)期 ①古代ナポリの誕生!」
〜いつ、どのエリアから生まれたの??〜
というテーマです。
歴史はちょっと・・という方もご安心くださいね。
ざっくりとわかりやすく紹介していきますよ!
1、古代ナポリはいつ生まれたの?
古代ナポリの発祥は紀元前9世紀。
古代ギリシャ人の植民地として誕生しました。
紀元前9世紀と言われてもピンと来ませんよね。。
あまりに昔すぎて、
私も全くつかめない時代でした(笑)。
ヨーロッパや西アジアでは新石器時代、
日本では縄文時代に当たります。
新石器時代の前にあたる旧石器時代は、
狩りや採集をメインに暮らしていたので、
人々の生活スタイルは移動型。
それと対象的に、
新石器時代は
農耕や牧畜が始まる時代になり、
生活スタイルは定住型に変化。
時代とともに人々の暮らし方が変わり、
「街」という概念が生まれます。
その波を大いに受けて生まれたのが、
イタリア半島にあるナポリです。
2、ナポリはどのエリアから生まれたの?
風光明媚なサンタルチア湾と
そこから突き出た
メガリデの小島と呼ばれたエリアが
古代ナポリ発祥の地です。
サンタルチア湾は、
ナポリ民謡の「サンタ・ルチア」で歌われるほど
景色が素晴らしいことで有名。
「湾」というだけあって、
当然ながら海に面しています。
当時は素朴な漁村でしたが、
現在は「グランドホテル・ベスビオ」などの
高級ホテルが立ち並ぶエリア。
常に観光客でひしめき合っています。
(今は残念ながら
コロナで閑散としていますが・・)。
お天気が良い日や週末は
ナポリっ子もこぞって
海岸沿いのお散歩を楽しむ絶景地。
古代ギリシャ人も今の私たちと同じように
ナポリの美しい景観に
魅了されていたのでしょうね。
なんだかロマンを感じます。。
ナポリが
古代ギリシャ人の植民地となった目的は貿易。
海に面していたこのエリアは
海洋貿易にもってこいだったのでしょう。
先ほどチラッと書いたメガリデの小島とは、
現在「卵城」がある場所のことで、
当時このように呼ばれていました。
卵城はナポリに3つあるお城の中で最も古いもの。
現在は「城」と呼ばれていますが、
もともとは紀元前1世紀に
当時ナポリを植民地としていた
古代ローマ帝国の軍人ルクルスの別荘として
建てられました。
卵城については、
また改めて記事にしたいと思います。
今回は
古代ナポリの黎明(れいめい)期①について
ご紹介してきました。
ヨーロッパや西アジアでは
人々が定住生活を始めた新石器時代の半ば、
そして、
日本では土器に縄で模様をつけていた縄文時代に、
イタリア半島ではナポリが
サンタルチア湾に
古代ギリシャ人の植民地として誕生。
街の発祥が、はるか昔なんだなということ、
歴史が深い街なんだなということ、
ご理解頂けたかと思います。
私は、
ナポリの歴史を古代から遡っていると、
ものすごくワクワクします。。!
ココがこう絡まって、
こう発展していくんだなという
街の変化を知ってから街を歩くと、
気分だけタイムスリップした感じで、
本当に心から深い感動を覚えます。
学校では歴史が大の苦手だった私が、
ここまで歴女になってしまった
魅惑の街・ナポリ。
知るって楽しい。
知るって喜び。
歴史って素晴らしいですね。
この気持ちを
少しでもたくさんの方と
共有できたらという気持ちで、
ブログを書いています。
次回は
黎明期②古代ナポリと伝説の人魚【パルテノペ】
というテーマで、
さらに古代ナポリの歴史を紐解いていきましょう。
【お知らせ】
今年からブログは「ナポリ日和」とタイトルを変えて、
毎週金曜日更新にするつもりです。
今はコロナの影響でなかなか海外旅行もままならない状況。
ブログを通じて
少しでも週末のナポリ気分を
お楽しみ頂けたら嬉しいです。
ブログ更新のお知らせは、
これからも変わらず行っていきますので、
どうぞよろしくお願い致します。